2.仏敵・信長を討て! | ||||||||||||||
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木曽三川 |
木曽川(きそがわ) 長良川(ながらがわ) 揖斐川(いびがわ) |
長島は、木曽(きそ)三川河口にある三角州である。
三角州といっても南北に長い川島で、現在では陸続きになっている。
「そうか。長いから『長島』って名づけられたのか」
そう思われた方は、残念ながら間違っている。
長島というのは「長い島」という意味ではなく、「七島」から転じたものだという。
戦国時代当時、長島は七つの島に分かれていた。
長島だけではなかった。
現在でこそ木曽三川は治水工事によって三本にくっきり分れているが、当時は三つの川が絡み合って網の目のように合流と分流を繰り返していたため、大小さまざまな中州が木曽三川下流域、つまり、伊勢・美濃・尾張国境近辺に点在していたのである。
そしてこの三国にまたがる輪中地帯が、長島一向一揆の勢力範囲であった。
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現在の長島(三重県桑名市)周辺 |
一揆の本城は願証寺(がんしょうじ)。
文亀元年(1501)頃、蓮如の十三男・蓮淳(れんじゅん)が建立した城郭寺院である。
この寺に、本山・石山本願寺から、坊官・下間頼旦(しもつま・しもずまらいたん)が参謀として派遣されてきた。
「法主さまは信長の所業にお怒りである!信長は上洛以来、本願寺に法外な『用心棒代』を請求したばかりでなく、石山の地を出て行けとまでほざきよった!このような無礼千万な振る舞いを御仏が許されるはずがない!和尚(おしょう)は長島一向一揆を率いて仏敵信長を討てっ!戦略はわしが考える!みなの衆は武器を手に信長と戦うのじゃ!武器は石山から続々と送られてくる。これは法主さまの御命令である!すなわち仏命である!仏命にそむく者は、即刻破門にする!」
「破門!」
第四代願証寺住職・証意(しょうい)は震え上がった。
一向宗徒たちは恐れおののいた。
「和尚さま!」
「破門とはどういうことでしょうか?」
「破門にされた者は、死んでも極楽浄土に逝けないってことですか!?」
「そういうことじゃ。無間地獄に落ちるということじゃ」
頼旦が、青くなっている証意の代わりに冷淡に答えた。
証意がブツブツ言った。
「下間さまは信長の恐ろしさを知りません。信長という男は自分に従わぬ者は容赦なく皆殺しにする男でございます。とても恐ろしいゆえ、我々は今まで信長との戦いを避けてきました」
「何が恐ろしい!この世にもあの世にも地獄より恐ろしいものはない!信長の怖さなど何ほどのものであろう!そんなものは念仏を唱えて吹き飛ばせ!信長は修羅なのじゃ!戦の権化なのじゃ!ここで倒しておかなければ、近い将来、ヤツのほうから難くせを付けて攻めてくるであろう!和尚も『用心棒代』を払わなかった堺や尼ヶ崎(あまがさき。兵庫県尼崎市)かどうなったかを知っているであろう?ヤツの圧倒的な武力の前に屈するしかなかったのじゃ!長島もそうなってもいいのか!やられる前にやるのじゃ!今はその絶好機なのじゃ!」
頼旦は畿内や東海地方近辺の地図を広げると、証意らに示した。
「信長は今、石山本願寺を攻めている。信長軍の周囲を三好三人衆、朝倉・浅井連合軍、比叡山延暦寺、六角や南近江一向一揆などが取り囲んでいるため、身動きが取れなくなっている」
「ふむ。袋のネズミのようですな」
「それゆえ絶好機と言ったのじゃ。しかも、じきに加賀の一向一揆や武田信玄も動く手はずになっている」
「あの最強の信玄入道もっ」
「そうじゃ。もはや信長には万分の一も勝ち目はないということじゃ。我々はこの虚を突き、尾張に攻め込む」
頼旦は地図の尾張近辺を指でなぞっていくと、小木江城を指して証意に聞いた。
「この城は誰が守っている?城兵の数は?」
「兵は二百ほど。城主は――」
「城主は?」
「織田信興――」
「オダノブオキ……。織田家中の者か?」
「信長の弟でございます(「織田氏系図」参照)」
「ウホホッ!」
頼旦は喜んだ。
「そうか。信長の弟がこんなところにこんな小勢でいるのか!血祭りに上げるのに、これほどふさわしい生贄(いけにえ)はおるまい!」