★ 総理はつらいよ、アメ! ムチ! 根回し! 泣き落とし!
 〜 南北朝正閏問題で炸裂! 桂太郎の「ニコポン主義」!!

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総理大臣の宿命
1.過熱!南北朝正閏(せいじゅん)論争!! 
2.勃発!歴史教科書問題!! 
3.出奔!藤沢元造!! 
4.炸裂!桂太郎の「ニコポン主義」!!

 はい。今月の味付けは「総理味」である。
 本当はもっとズバリの味付けが列挙した中にあるが、それを明かしてしまうとネタバレなので「総理味」なのである。

  http://ameblo.jp/zokukokon/entry-11490971440.html

 明治十八年(1885)十二月、かの伊藤博文内閣制度を発足させて以降、日本には五十六人の総理大臣が誕生している(平成十八年(2006)五月現在)
 その面々は多彩である。
 ハト派もいればタカ派もいた。
 文人もいれば軍人もいた。
 右翼もいれば左翼もいた。
 天才もいればバカもいた。
 明朗もいればネクラもいた。
 人殺しもいれば、殺された人もいた。
 女を泣かせた人もいれば、女に泣かされた人もいた。
 二千八百八十六日も務めた人もいれば、六十四日で辞めた人もいた。
 四回も務めた人もいれば、召されるほうが早かった総理候補もいた。

 ただ、共通していることもある。
 それは、総理は常に敵だらけという点である。
「男子家を出ずれば七人の敵あり」
 一般人ですらそれだから、総理であればなおさらのことであろう。総理は常に戦うことを運命付けられているといっていい。
 しかもいつまでも戦い続けているわけにはいかない。
 最後は必ず国の総意としてまとめ上げなければならないのである。
 その苦労たるや、とても我々一般人にはうかがい知れぬことであろう。

 明治時代末期、三度組閣し、日本でもっとも長い間総理を務めた男がいた。
 日英同盟を結び日露戦争を遂行、韓国併合もやっちまった山県閥
(やまがたばつ)の直系・桂太郎である。
 当然、が事を行うたびに反対者が出現した。
 しかもやることがでかいことばかりだったため、反対者の声も大きかった。
「同盟反対!」
「戦争反対!」
「併合反対!」
 これらに対し、は容赦なく「ムチ」を振るった。
 好色社会主義男・幸徳秋水らを処刑した大逆事件はその顕著な例である。
 が、は「ムチ」とともに「アメ」も持ち備えていた。
 それは、必殺技「ニコポン主義」であった。
「反対者には『ニコ』と笑いかけて『ポン』と肩をたたけば、誰でも賛成してくれるものだ」
 それがの信条であった。
 彼は反則な「暴挙」ばかりではなく、穏便な「根回し」も得意としていたのである。

 今回は明治末年に勃発した「南北朝正閏(なんぼくちょうせいじゅん)問題」を御紹介したい。
 この問題において、は「恐るべきアメ」でもって反対者を、ものの見事に懐柔させている。

 え?「恐るべきアメ」って何かって?
 詳しくは、この物語を御覧ごらん。

*            *            *

※ 桂太郎の首相在職日数最多記録は、令和元年(2019)十一月に安倍晋三に抜かれました。

[2006年5月末日執筆]
[2019年11月追記]

参考文献はコチラ

「南北朝正閏問題」登場人物

【桂 太郎】かつらたろう。首相。有朋の子分。ニコポン主義の使い手。

【小松原英太郎】こまつばらえいたろう。文相。有朋の子分。

【山県有朋】やまがたありとも。元老。大日本帝国の影の権力者。

【寺内正毅の手の者】
【小松原英太郎の手下たち】
【料亭の芸者たち】
【藤沢の友人】

【藤沢南岳】ふじさわなんがく。儒学者。元造の父。

【藤沢元造】ふじさわもとぞう。衆院議員。南北朝正閏問題提起者。

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