2.勃発!歴史教科書問題!!

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総理大臣の宿命
1.過熱!南北朝正閏(せいじゅん)論争!! 
2.勃発!歴史教科書問題!! 
3.出奔!藤沢元造!! 
4.炸裂!桂太郎の「ニコポン主義」!!

 明治四十三年(1910)、文部省が編修した国定教科書『尋常小学日本歴史』が発行された。
 執筆者は日本歴史地理学の父・喜田貞吉
(きたさだきち・きださだきち)

 が、これを見た峰間鹿水(みねまろくすい)が、まずケチを付けた。
 天皇家は万世一系のはずなのに「南北朝」というのは誤りだと指摘したのである。

 明治四十四年(1911)一月十九日、読売新聞は社説に「南北朝対立問題(国定教科書の失態)」を掲載、 
「国定教科書は南北両朝を並立させて正邪・順逆を誤らしめている!」
 として文部省を激しく非難、文相・小松原英太郎
(こまつばらえいたろう)の責任問題を追及した。
 これに早大講師・牧野謙次郎
(まきのけんじろう)らが同調、縁者の衆院議員・藤沢元造(ふじさわもとぞう)を動かし、質問書を作成させた。

●桂太郎内閣(第二次)閣僚(1911.2/)

大臣名 氏 名 出身・備考
総理・大蔵 桂 太郎 山口・貴院議員・侯爵・陸軍大将
外 務 小村寿太郎 宮崎・伯爵
内 務 平田東助 山形・貴院議員・男爵
陸 軍 寺内正毅 山口・伯爵・陸軍大将・朝鮮総督
海 軍 斎藤 実 岩手・男爵・海軍中将
法 務 岡部長職 大阪・子爵・貴院議員
文 部 小松原英太郎 山口・貴院議員
農商務 大浦兼武 鹿児島・男爵・貴院議員
逓 信 後藤新平 岩手・男爵・貴院議員
官 長 柴田家門 山口・貴院議員
法制局長官 安広伴一郎 福岡・貴院議員

 二月四日、藤沢は第二十七議会で河野広中ら五十一名の賛成を得て、
「三種の神器は意味を成さないものなのか? 足利尊氏は謀反人ではないのか? 大楠公
(だいなんこう。楠木正成)は忠臣ではないのか? 文部省は偽りの歴史を国民に教えて皇室を冒涜(ぼうとく)する気なのか?」
 など五項目からなる質問書を提出、十六日に質問演説を予定したのである。

 政府(第二次桂太郎内閣)は困惑した。
「藤沢が爆弾をぶちかますそうだ」
「どうするんだ。議会は滞りなく進むはずだったのに」
 これ以前、桂太郎は最大政党立憲政友会党首・西園寺公望と密談、「情意投合」で議会をスムーズに進める話をつけていた。
「議会は大荒れだ」
「とんでもないことになるぞ」

 小松原はに相談したことであろう。
「藤沢が南朝を正統としない歴史教科書は不敬だと申しております」
「どういうことだ? 国定教科書には何と書いてある?」
南朝北朝が並立していたと」
「その通りではないか」
「いいえ。藤沢は神器を継承していた南朝が唯一の王朝だと言い張っております。北朝と並立していたなどとんでもないと」
「歴史家は何と?」
「どちらが正統とも決しがたいと」
「歴史家が言っているのであれば、それが正しいのではないのか?」
「藤沢はそれでは満足できないようです」
「そもそも大帝
(明治天皇)北朝の系統ではないか。北朝をないがしろにすることこそ不敬ではないのか?」
「そうですが、大帝は後醍醐天皇になぞらえて幕府を倒し、新政府を樹立なさいました」
「藤沢め、ややこしいことを〜」

 二人は山県閥の大ボス・山県有朋におうかがいを立てたことであろう。
 元老を務める山県は、伊藤博文亡き後の大日本帝国の影の権力者でもあった。
 山県はこう指示したに違いない。
「皇室のことに口出しするべからず。藤沢を説得せよ」

 二月七日、小松原は藤沢と面会した。
「頼むから質問はしないでくれ。皇室のことはタブーなのだ」
 が、藤沢は頑固だった。
「イヤだな。今までワイがやるといってやらなかったことはない」
「そこを何とか〜」
「頭を下げても無駄だ。帰ってくれ」
 小松原は三時間粘って説得したが、結局、藤沢は落ちなかった。

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