1.いとしのジジー

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広島土砂災害とシリア情勢
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新田義貞 PROFILE
【生没年】 1301or1300-1338
【別 名】 小太郎
【出 身】 上野国に新田荘(群馬県太田市)
【職 業】 武将
【役 職】 武者所頭人・越後守・播磨守
・左中将・右衛門佐・治部大輔
【 父 】 新田朝氏
【 妻 】 安東氏・一条経尹女(勾当内侍)ら
【 子 】 新田義顕・義興・義宗ら
【兄 弟】 脇屋義助ら
【部 下】 船田義昌・大館宗氏ら
【主 君】 北条高時→後醍醐天皇
【墓 地】 安養寺(群馬県太田市)
・称念寺(福井県坂井市)
・金竜寺(茨城県竜ヶ崎市)
【霊 地】 藤島神社(福井県福井市)

「じいちゃ〜ん」
 孫が帰ってきた。
 かわいい孫がへとへとになって鎌倉に帰ってきた。
 孫とは長崎高重
(ながさきたかしげ)
 内管領長崎高資の子で、前内管領・長崎高綱
(たかつな。高経。円喜)の孫であった。
「おお、孫よ!」
 高綱は出迎えた。
「敗れて帰って参りました」
 高重は桜田貞国
(さくらださだくに。北条貞国)とともに討伐軍の大将として派遣され、小手指原(こてさしがわら。埼玉県所沢市)・久米川(くめがわ。東京都東村山市)・分倍河原(ぶばいがわら。東京都府中市)と戦ってきたのである(「交戦味」参照)
「いいのじゃ、いいのじゃ」
「だが、一方的に負けてきたわけではありません。久米川では敵二人を討ち取って参りました」
 高重は中間や下部に運ばせてきた生首二つを持ち上げて披露した。
「ほれえ!おみやげ〜」
 これを現在のシリアでやると「野蛮人め!」と非難される所業である。
 が、高綱は喜んだ。
「そうかそうか」
「あと、雑魚
(ざこ)兵の首十三も持参しました」
 高綱は涙をぬぐってほめたたえた。
「よくやった!わしはお前を戦地に行かせることが不安であった。ところが、箱を開けてみれば予想以上の大手柄じゃ。わしはお前の実力を見誤っておった。許せ。今後も父祖の名を挙げ、得宗御恩におこたえ申し上げよ」
「ははっ」
 高重はひざまずいた。
 高綱は孫の鎧
(よろい)に矢が刺さっているのに気付いた。
「まだ血が流れているではないか」
「にじんでいるだけです。かすり傷ですよ」
 高綱は鎧を解かせた。
 で、高重の傷口を自らなめてあげたのである。
 ペロペロ、ベロンベロン。
 高重はもだえた。
「ダメよ〜ダメダメ」

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