3.さよならバイビー

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広島土砂災害とシリア情勢
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3.さよならバイビー
4.稲村ジャジャーン

「執権赤橋相模守守時切腹ー!」
「堀口貞満・大島守之軍、巨福呂坂を突破ー!」
「堀口軍、山之内
(やまのうち)まで進撃ー!」
 知らせを聞いた大館宗氏は悔しがった。
「クソッ、堀口に先を越されたか!」
 江田光義も驚いた。
「速いですな。それに比べてここ極楽寺坂の大仏勢の守りは堅い」
「何とかならぬのか。我々がもたついていれば、ヤツらに御所への一番乗りの手柄を奪われてしまう」
「では、坂突破をあきらめて回り道をしては?」
「回り道だと?」
「稲村ヶ崎から鎌倉へなだれ込むという手も」
「バカか。稲村ヶ崎の向こうは海ではないか。船もない我々がどうやって海上から攻め寄せるのだ」
「裏技がある」
「どんな?」
 光義は宗氏の耳元でコショコショコショと説明した。
「ほう、おもしろい」
 宗氏は理解した。
「使えるだろ?」
「ああ、まずは地元の者を呼んで詳細を聞こう」
 が、そこへ知らせがあった。
「先陣、極楽寺坂を突破!」
 宗氏は喜んだ。
「どうやら江田殿の策は空論に終わったようだ。者ども、拙者に続けー!」
「あいあいさー!」

現在の極楽寺坂(神奈川県鎌倉市)

 宗氏は極楽寺坂を駆け抜けた。
 大仏軍は撤退したが、妨害する者が別に登場した。
「やあやあ我こそは大仏陸奥守貞直の家来、本間山城左衛門入道
(ほんまやましろざえもんにゅうどう)!主君の代わりにわしがここを通さぬ!」
 この男、「子供味」に登場した本間山城入道てある。
 主君貞直の勘気を受けて謹慎していたというが、理由は不明である。あるいは例の「ナンデモ」の件だったのかもしれない。
「しゃらくせー!拙者は堀口に勝たねばならぬのだ!ザコどもは、引っ込んでろ!」
 が、ザコどもは引っ込んでくれなかった。
 みんなして宗氏の馬を取り囲み、刃物で馬をツンツンしまくったのである。
「ひひゃーん!」
 どう!
 たまらず馬は棒立ちになり、宗氏を落馬させてしまった。
「今だ、討ち取れー!」
 本間のザコが宗氏を組み伏せて刺した。
 ブスッ!
「何の!」
 ガシッ!
 宗氏もザコに刺し返した。
 相打ちであった。
「敵の大将、大館又次郎宗氏を討ち取ったりー!」
 本間は宗氏の首を斬ると、それを刀の切っ先にリンゴ飴
(あめ)みたいに突き刺して、貞直の陣に参上した。
 しかし貞直は許さなかった。
「本間だと?余はヤツを許したわけではない。どの面下げて戻ってきた。追い返せ」
 で、本間を幕内に入れようとはしなかった。
「やむをえまい」
 本間は切腹して果てた。
 死んだと聞いて、さすがに貞直も幕から出てきた。
 そこで本間の遺体と「リンゴ飴」を見た。
 家来が説明した。
「大館宗氏の首です。本間は殿の代わりに大館軍を撃退しました」 
 貞直はぐっときた。
 顔をそらして泣き顔を見せずに言った。
「みなの者、本間の志をたたえよ!」
 それが精いっぱいであった。
 時に元弘三年(1333)五月十九日。

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