1.本気出す〜?

ホーム>バックナンバー2020>令和二年4月号(通算222号)巣籠味 第一次北畠満雅の乱1.本気出す〜?

コロナパンデミック
1.本気出す〜?
2.本気出そ〜?
3.本気出せ〜?
4.本気出る〜?

 南北朝合一(「南北味」参照)後、退位して出家した後亀山法皇山城嵯峨(さが。京都市右京区)の大覚寺で腐っていた(「天皇家系図」参照)
「あーあ、毎日毎日同じことの繰り返しで退屈だの〜う」
 大好きな連歌をするだけなら困っていなかったが、もう少し刺激が欲しかった。
 後亀山法皇は弟に話しかけた。
「――まあ、それもなんじが皇位を就けば、やれることも増えるであろう。もう少しの辛抱だ。北の連中は皇位は代わりばんこという約束は守ってくれるかの〜う?」
 しかし、皇太子・泰成親王はあきらめていた。
「北の連中は汚いです。連中は我々が神器を譲ってあげる条件の一つだった荘園の山分けを反故にしました。皇位代わりばんこも守らないかもしれませんよ」
 側近の阿野実為が明かした。
「皇子の申される通りです。北の連中は偽帝の長男を元服させて皇位を継がせるつもりですよ」
「何だと! 偽帝のクソボン躬仁
(みひと。後の実仁)とかいうヤツは、まだ十才のボーヤではないか!」
「我々に神器を返すよりはマシだと思っているんじゃないですか〜」
「バカにしやがって! プンプン!」
「怒ったって無駄じゃないですか〜。どうせ何もできないんですから〜」
 泰成親王に阿野も同じた。
「そうですよ。我々はこうやって毎日遊んで暮していればいいんですよ」
「よかない! もう怒った! 朕は本気出す! 目にもの見せてやるぜー!」
「あはは! どうせ何にもできないくせに〜」
「できるんだー!」
 応永十七年(1410)十一月、後亀山法皇は嵯峨を出奔した。
 大和の吉野
(よしの。奈良県吉野町)へ帰ってしまったのである。

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