2.阿衡の紛議の勃発 | ||||||||||||||
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仁和三年(887)八月二十六日、定省親王は践祚(せんそ。皇位継承)し、十一月十七日に即位式(継承披露宴)を行った。
伝五十九代宇多天皇である。
「朕が即位できたのは、基経・淑子兄妹のおかげだ」
宇多天皇は、さっそく淑子を従一位に昇級させると、基経には先代光孝天皇同様、全権を委任する勅書(天皇のお言葉)を作成させた。
勅書を作成したのは、参議兼左大弁(さだいべん。「古代官制」参照)・橘広相(たちばなのひろみ。「橘氏系図」参照)。
菅原道真の父・菅原是善(これよし)に学び、文章生(もんじょしょう。学生)から蔵人(くろうど。宮内庁職員)・文章博士・東宮学士(とうぐうがくし。皇太子家庭教師)・蔵人頭に昇進(「詐欺味」参照)、元慶八年(884)に参議に入閣した菅原学閥の出世頭であった。
宇多天皇とも旧知の仲で、娘の義子(ぎし)を嫁がせ、斉中親王(ときなかしんのう)・斉世親王(ときよしんのう)という二人の外孫をもうけている(後に斉邦親王・君子内親王も誕生)。そのため、宇多天皇の信任は際立って厚かった(「天皇家系図」参照)。
「その万機巨細、百官己(すで)に統(す。総)べ、みな太政大臣に関(あずか)り白(もう)し、しかる後に奏下すること、一(いつ)に旧事のごとくせよ」
ここに史上初めて「関白」なる言葉が登場した。
これが基経の正式な関白就任となっている。
「私なんかにそんな大役、もったいないですよ〜」
一か月後、基経は辞表を提出した。
大役はいったん辞表を提出し、改めて任命されるというのが当時の慣例だったからである。
辞表を作成したのは、少外記(しょうげき。外記局職員。内閣法制局高官)・紀長谷雄(きのはせお。「紀氏系図」参照)。
菅原道真と大蔵善行、両巨頭に師事しているどっちつかずの男である。詩に優れ、いくつか詩集を編んでいるが、大蔵学閥の秀才・三善清行(みよしのきよゆき・きよつら。「三善氏系図」参照)からは「無能の博士」とののしられていた。
辞表を受け取った宇多天皇は、改めて広相に関白任命の勅書を作成させた。
広相、前文と同じでは文才が問われるため、部分的に違う表現に書き換えてみた。
「よろしく阿衡の佐(たすけ)をもって、卿(けい・きょう)の任とすべし」
つまり「関白」を「阿衡」に替えたわけだ。
勅書を見た基経は首をかしげた。
「阿衡?
はて、どこかで聞いた言葉であるが、なんであったか?」
「阿衡とは、殷(いん。古代中国)の宰相・伊尹(いいん)の別名のことですよ。伊尹は夏(か)の国王・桀(けつ)を滅ぼして天下を平定したので、主君の湯王(とうおう)から阿衡の称号を与えられたのです」
答えたのは、紀伝(きでん。中国史)博士・藤原佐世(すけよ。「藤原式家系図」参照)。
道真の娘の一人を妻にしている菅原学閥の若手頭である。基経の家司(けいし。執事)も務めており、彼の知恵袋になっていた。
基経は不思議に思った。
「伊尹の別名だと?
では、官職名ではないのか?」
「官職名には違いありませんが、称号といったほうが正しいでしょう」
「では、阿衡の職掌とは何か?」
「そんなもの、ありませんよ。太政大臣と同じく、名誉職ですので」
「ない? どういうことだそれは!? 勅書にはわしの職掌は阿衡の任とあるではないか!それでは、わしの仕事はなんなのだ!」
「つまり、この勅書によれば、閣下は無職だということですよ! 風太郎だということなんですよ!」
「無職!
プー!!」
基経は言いながら、二度目を見開いた。そして改めて、
「こ、こっ、このワシが、む、無職っ!
ププッ、プ〜ゥ!!」
と、言い直して、激烈激怒した。
「けしからん! 何たる屈辱! 何たる侮辱! もういい! そういうことなら、わしはいっさい仕事はせんぞ!
絶対にしてやるもんかぁー!」
その日以来、基経はいっさい仕事をしなくなった。
そのため、政務は滞り、政治は混乱した。
「なんだ、この書類の山は!」
「太政大臣公が御覧にならないので、どんどんたまっていくんですよ〜。なんとかしてくださーい」
「太政大臣公はいったいどうされたんだ。ただ、こういうときは左大臣公が何とかするのではないのか!」
「だめです。左大臣公は遊び人ですから、もともと仕事なさいませーん」
左大臣・源融(みなもとのとおる。「嵯峨源氏系図」参照)は、かの『源氏物語』の主人公・光源氏(ひかるげんじ)のモデルの一人ともされている風流人で、賀茂川(かもがわ)のほとりにあった河原院(かわらのいん。京都市下京区)なる別荘で、日々遊興にふけり、明るく楽しく暮らしていた。
宇多天皇は困った。
「なんてこった」
橘広相も理由が分からなかった。
「基経公は何をすねておられるのだ? 真意が分からない! 私は伊尹が宰相として湯王を補佐したように、基経公も帝を補佐して欲しいという意味で関白を阿衡に書き換えたのだ! それ以上の意味はない! 帝、この勅書のどこがおかしいでしょうか? 解雇や左遷の勅書でもないのに、怒ることでもありますまい!―― ええい! 何が『阿衡に職掌はない』だ! 阿衡の職掌は天皇の補佐ではないか! 言わずとも分かることを、佐世め、変なナンクセ付けよって!」
広相にとって、佐世は菅家廊下(かんけろうか。菅原氏が経営する私塾)の後輩である。
広相は勅書を見て首をひねりまくったが、宇多天皇には心当たりがあった。
(アレに違いない。アレを朕が拒否しているから、基経はすねているのだ。そうだ! 絶対そうだ! 朕がアレを受け入れるまで、基経は仕事をしないつもりだ。抗議しているんだ……)