2.三浦義村黒幕説の否定 | ||||||||||||||
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事件にはまだ疑問点がある。
それは、
「公暁はなぜ源実朝を父の敵だと勘違いしていたのか?」
と、
「なぜ、実朝だけでなく、北条義時も殺そうとしていたのか?」
という疑問である。
「三浦義村(「三浦氏系図」参照)黒幕説」支持者は主張するであろう。
「義村が『おまえの父は実朝と義時に殺されたんだよ』と、公暁をたきつけて襲わせた。ところが公暁は実朝は殺したが、義時を取り逃がしてしまった。義時の生存を確かめて分が悪いと思った義村が土壇場で裏切り、口封じに公暁を殺した。公暁は実朝暗殺後、真っ先に義村を頼っている。このことは二人の間に密約があったという何よりの証拠ではないか」
いや。私はそうは思わない。
公暁が義村を頼ったのは、義村の妻が自分の乳母だったという縁からである。また、義村の子・駒王丸が(こまおうまる。後の三浦光村)が自分の弟子だったからでもある。何か事件を起こした後に縁者を頼るのは、ごく普通の成り行きであろう。
私は義村には反逆心はなかったと考えている。
そのため彼は、大罪を犯した公暁に頼られることが大迷惑だった。だからこそ、請われてもお迎えをよこさず、ウソをついて時間を稼ぎ、義時の許可を得てから殺害したのである。
義村の行動にどこも不審な点はない。かえって分が悪いと土壇場で裏切ったと解釈するほうが不自然ではないか。
義村は一貫して義時支持である。
これより前の和田合戦(わだかっせん。和田氏の乱)でも、彼は従兄弟の和田義盛(「和田氏系図」参照)の誘いを断って義時についたではないか。
これより後の承久の乱でも、彼は弟の三浦胤義(たねよし)の誘いを断って義時についたではないか(「栄光味」参照)。
義村には娘がいる。
娘は、義時の嫡子・北条泰時に嫁ぎ、北条時氏(ときうじ)というかわいい外孫をもうけた。彼は、娘と孫がかわいかったのである。彼はいつも、義時とともに栄える道を模索していたはずである。勝てる戦いを棒に振ってまで、あくまで義時に忠誠を尽くすその義村が、わざわざ味方もいない勝ち目のない無謀な戦いを、自ら挑むはずがないではないか。
義村はバカではない。
実朝と義時と、どっちが怖いか心得ている。
もし、義村が黒幕であれば、実朝より先に義時を殺したはずである。
もし、義村が黒幕であれば、義時に使者を遣わす前に、公暁の口を封じたはずである。
もし、義村が黒幕であれば、変後、義時は義村を攻撃したはずである。
義時は「疑わしきは攻め滅ぼす主義」の男である。
和田義盛のほか、比企能員(ひきよしかず)・仁田忠常(にったただつね)・畠山重忠(はたけやましげただ)・稲毛重成(いなげしげなり)などなど、少しでも怪しい動きをした者は、その有罪無罪にかかわらず、とくあえず攻め滅ぼしている。前将軍・源頼家や実父北条時政ですら、容赦なく追放しているのである。
その義時が、将軍を殺したかもしれない不審男を放っておくはずがないではないか。
義時が義村を攻めなかった理由――。
それは、義村に反逆心が皆無だったことに他ならない。
以上のことから、義村が黒幕でないことも明白である。