1.模範の農民

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おいでませ食糧難
1.模範の農民
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3.虫来たる
4.地獄絵図
5.最後の種籾

 作兵衛は元禄元年(1688)二月十日に伊予松山藩筒井村(つついむら。愛媛県松前町)で生まれた。
 父は貧農の作平
(さくべい)。母はツル。長じてタマという女性と結婚し、一男二女をもうけた。

作兵衛 PROFILE
【生没年】 1688-1732
【別 名】 瑞穂建功命
【出 身】 伊予松前藩筒井村
(愛媛県松前町)
【本 拠】 筒井村
【職 業】 農民
【 父 】 作平
【 母 】 ツル
【 妻 】 タマ
【 子 】 作市・カメ・次女某
【墓 地】 義農公園(松前町)
【霊 地】 義農神社(松前町)

 作兵衛は働き者であった。
 朝から晩まで田畑で働き、夜は遅くまで草鞋
(わらじ)を作る内職までしていた。
「作兵衛。たまには遊びに行こまい」
 村人が誘っても、
「いや。おら、田畑が心配だから」
 決して遊びに出かけようとしなかった。
 人々は感心した。
「作兵衛どんは働き者だのう」
「今どき殊勝な若者じゃ」
「おまえも作兵衛どんを見習え!」

 努力の甲斐あって、いくらか蓄えができた。
 作兵衛はそのお金で土地を買った。
「作兵衛どんが土地を買ったげな」
「努力は報われるものだの」
「じゃけど、あんなやせた土地では米も麦もできまい」

 でも、作兵衛はがんばった。
 村役人はあわれに思った。
「こんなやせた土地では税を取るのも気の毒だ。免除してやろう」
 作兵衛は断った。
「いいえ。税を払うのは農民の義務です。御安心ください。今にここはいい田畑になりますよ」

 作兵衛はますますがんばった。
 数年で見違えるほどすばらしい田畑にしてしまった。
「まさかあの荒地をここまでにするとは……」
「作兵衛はたいしたもんだ」
「おまえも作兵衛どんを見習え!」
 人々は舌を巻いた。
 また、内職の「作兵衛草鞋」の売れ行きも好調であった。
 作兵衛は貯まったお金で田畑を増やした。

 作兵衛一家は少し裕福になった。
「ありがたいことだ」
「あなた、無理しないでね」
「かあちゃん、おかわり!」
「とうちゃん。ごはん、おいしーねー」
 父の作平も妻のタマも子供たちもみんな幸せであった
(作兵衛の母のツルは1712年に病没)

 しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。
 享保十六年(1731)七月、三女を産んだばかりのタマが病気で死んでしまったのである。
「タマやー!」
 作兵衛は悲しんだ。
「母ちゃーん!」
 一家そろっておんおん声を上げて嘆き悲しんだ。
 だが、それはこれから始まる悲劇の前兆に過ぎなかった。

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