2.雨やまず | ||||||||||||||
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享保十六年(1731)は暖冬であった。
明けて享保十七年(1732)は多雨で、春から夏にかけて休みなく降り続けた。
人々は心配した。
「いつまで降るんだろうか?」
「おまけに気温も上がらない」
「今年は不作だぞ」
案の定、この年の麦は凶作であった。
例年の二、三割しか収穫することができなかった。
「父ちゃん。腹減った」
「もう御飯ないの?」
「そーら。じいちゃんのを食べろ」
「わーい!」
作平は孫たちに麦飯を分けてやった。
で、自分は日に日にやせ衰えていった。
作兵衛は心配した。
「父さん。孫のことはいいから自分で食べなよ。貯えのことは心配しなくていいよ。もうすぐ米も獲れることだし」
作平は言った。
「果たして今年は米は獲れるだろうか?」
実は、作兵衛も心配であった。いもち病(稲の病気)も発生していたからである。
「大丈夫だよ。不作には違いないが、全滅ってことはない。家族が食べる分ぐらいは獲れるよ。こういうときのために、がんばって田畑を拡張したんだから」
その後も作平はひもじがる孫に御飯を分け与え続けた。
とうとう自分は空腹のあまり倒れ、動けなくなってしまった。
「だから言わんこっちゃない!」
野良仕事から返ってきた作兵衛が助け起こして怒った。
作平は喜んでみせた。
「よかったのう。これで食い扶持(ぶち)が増えるぞ」
「そういう問題じゃねえー!」
六月、作平は死んだ。
「父さーん!」
作兵衛は悲しんだ。
「じいちゃーん!」
一家そろっておんおん声を上げて嘆き悲しんだ。
だが、悲劇はまだまだ続くのであった。