5.成 金 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2020>令和二年5月号(通算223号)商売味 紀伊国屋文左衛門のミカン伝説5.成金
|
ほや。ほや。ほや。
未明の暗さの中で俺は眠っていました。
ほや。ほや。ほや。
辺りは静かになり、遠くでかすかに揺れている明かりの音すら聞こえるようでした。
(嵐は去ったのか――?)
ほや。ほや。ほや。
(俺は死んだのか――?)
ほや。ほや。ほや。
(これは、夢なのか?うつつなのか――?)
ほや。ほや。ほや。
「ほやほやではわからーん!」
俺は自分の寝言で目を覚ましました。
「あれはいったい何の光だ? 漁火か?」
そうではないようでした。
漆黒の陸地の中にあるようでした。
「吉原か?」
りゃん。りゃん。りゃん。
鈴の音が聞こえたような気がしました。
俺は目を凝らしました。
地平線が割れてオレンジ色の日が差し込んできました。
湾の向こうの大都会が次第に姿を現してきました。
「江戸だ……」
俺は完全に目覚めました。
明暦の大火で燃え落ちることになる江戸城天主閣がそびえ立っているのも見えました。
俺は歓喜しました。
「間違いない! 江戸だ! 江戸に着いたんだ! みんな! 起きろ! 江戸に着いたぞー!」
ごろつきたちも次々と起き出してきました。
「マジか!」
「ヒャッハー!」
「でっかいことをやってやったぜー!」
「みんながびっくりするようなことをよーっ!」
♪沖の暗いのに白帆が見ゆる〜 あれは紀伊の国みかん船〜
江戸湾の向こうでも町人たちが大喜びしていました。
「あれを見て! 船よ! 船が来たのよっ!」
「なぁにぃぃぃ〜! あの嵐の真っただ中をかぁー!」
「信じられん。ここしばらくどこの船も来なかったのに」
「積み荷は何だ? いったい何を運んできてくれたんだ?」
「ミカンだってさー」
「ありがてー!」
「ミカン大好き!」
「おらは食わないけど、『ふいご祭り』で子供たちに配るミカンがたくさんいるから買ってこよう」
「正月飾りにも必要だし」
「待て待て! わしが先に買わせてもらう!」
「私が先だ! 私は貴様よりたくさんの金を出す!」
「何を―!俺なんかてめーの十倍は出してやるぜー!」
俺のもくろみ通り、ミカンは瞬時に高値で完売しました。
積み荷が空になると、今度は塩鮭(しおざけ)をたくさん仕入れて船に積み込みました。
ごろつきは不思議がりました。
「塩鮭なんか載せてどうするつもりだい?」
「紀州に帰る前に大坂に寄って売りさばくんだよ」
「大坂は疫病で大変なんだぜ。こんなにたくさん売れるわけないじゃないか」
「売れる方法を思い付いたのさ」
俺は大坂でデマを流しました。
「塩鮭は疫病に効くんだって」
「ホンマか?」
大坂人は信じました。
(効くんならわいも売ってやろ)
商魂たくましい大坂商人たちも集まってきました。
こうして塩鮭も、見る見るうちに完売してしまったのです。
俺はこれら巨利を元手として江戸八丁堀(はっちょうぼり。東京都中央区)で材木問屋を始めました。
かの明暦の大火(「火事味」参照)でもボロもうけし、希代の大豪商へと成り上がることになるのです(「豪遊味」参照)。
[2020年3月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ