4.一手詰(奉公)→投了

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加藤一二三→藤井聡太
1.七手詰(神頼み)
2.五手詰(寺子屋)
3.三手詰(学校)
4.一手詰(奉公)→父母投了

 父母はあきらめなかった。
 渾身
(こんしん)の一手を放った。
「勉強が嫌なら仕事しなさい!」
 俺を奉公に出すことにした。

●将棋名人(世襲制→実力制永世)一覧
氏 名 襲位年
大橋宗桂 1612年
大橋宗古(二世) 1634年
伊藤宗看 1654年
大橋宗桂(五世) 1691年
伊藤宗印(二世) 1713年
大橋宗与(三世) 1723年
伊藤宗看(三世) 1728年
大橋宗桂(九世) 1789年
大橋宗英(六世) 1799年
10 伊藤宗看(六世) 1825年
11 伊藤宗印(八世) 1879年
12 小野五平 1898年
13 関根金次郎 1921年
14 木村義雄 1952年
15 大山康晴 1976年
16 中原 誠 2007年
17 谷川浩司 -年
18 森内俊之 -年
19 羽生善治 -年
※ 14代以降が実力制永世名人。

 が、どの店でも同じだった。
「お前って前にいた所ではどんな理由で辞めさせられたの?」
「将棋ばっかしていたからさ」
「将棋、強いのか?」
「ああ、すごい強いよ」
「おいらも強いけど、一局やってみるか?」
「望むところだ」
 パチ、パチ、パチパチ!パッチンチン!
「つええー!マジで強いぜー!コテンパンだぜー!」
「参ったか?」
「おいらは参ったけど、悔しいからおいらより強いヤツを連れてきてやらー!」
 どの店でも仕事をせず、将棋ばかりしていたため、数日で解雇されてしまうのだった。
 奉公させる店がなくなってしまったため、父母は困り果てた。
「勉強もいや、仕事もいやって、金次郎はいったい何がしたいの?」
「将棋だよ。俺は日本一の将棋指しになってやるんだ!」
「そんなもんで生活できるわけないじゃないか!」
「できるわけないじゃない! できるようにするんだ!」
 父母は投了した。
「もうこの子には何を言っても無駄だわ」
「そんなに言うなら勝手にしろ!」
「ああ、勝手にしてやる!」

*             *             *

 俺は家を飛び出して上京し、明治十一年(1878)に将棋十一世名人・伊藤宗印(いとうそういん)の弟子になった。
 明治三十八年(1905)には八段に昇進、大正十年(1921)に十二世名人・小野五平
(おのごへい)が没したため、十三世名人を襲名した。
 名人位は江戸時代の初代名人・大橋宗桂
(おおはしそうけい)以来、約三百年にわたって世襲で終身制だったが、昭和十年(1935)に自ら「生前退位」を表明し、実力制へと移行させた。
 そうそう。子どもの時に銭を頂戴した日枝神社には、出世してから大金を寄付している。

[2017年6月末日執筆]
[2017年7月修正]
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参考文献はコチラ

※ 賽銭ドロは犯罪です。出世払いは逮捕を免れる言い訳にはなりません。
※ 金次郎は学校も二度転校しているようです。
※ 金次郎が奉公した店は、米屋・呉服屋・酒屋・菓子屋・金物屋など十数軒に及ぶようです。

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