2.お金って何? | ||||||||||||||
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淀屋辰五郎 PROFILE | |
【生没年】 | 1684?-1717 |
【別 名】 | 淀屋三郎右衛門・岡本広当 |
【出 身】 | 摂津国大坂(大阪市) |
【本 拠】 | 摂津国大坂 →大和国奈良(奈良県奈良市) →山城国八幡(京都府八幡市) |
【職 業】 | 豪商 |
【 父 】 | 淀屋三郎右衛門重当 |
【 母 】 | 阿豊 |
【 妻 】 | 阿光(吾妻) |
【 子 】 | 阿徳 |
【部 下】 | 半七・勘助・宗兵衛ら |
【墓 地】 | 神応寺(京都府八幡市) |
父・淀屋三郎右衛門重当が死んだとき、跡継ぎの辰五郎(広当)はわずか十歳であった。
そのため、とりあえず母・阿豊(おとよ)が店を継ぎ、番頭・半七(はんしち)が辰五郎の後見人になった。
半七は何も知らない辰五郎を一から教育した。
「半七。この箱の中にたくさん入っているものは何じゃ?」
「それは、『お金』というものです」
「何に使うのじゃ?」
「ものを買うときに使います」
「この山吹色に光っている、楕円(だえん)形の平べったいものは何じゃ?」
「それは金貨で『小判』といいます。一枚一両(りょう)の価値があります」
一両は現在の貨幣価値で数万〜数十万円とされている(幕末にはさらに価値が低くなる)。今回はこの単位がよく出てくるが、この物語では一両≒十二万円とした。
「じゃあ、こっちの何かゴニョゴニョ墨書きされている一回り大きい金貨は何じゃ?」
「それは『大判(おおばん。判金)』です。一枚十両(約百二十万円)の価値があります。つまり、大判一枚に小判十枚分の価値があります。大判は高額のため買い物には使わず、贈答用などにします」
「この桐紋(きりもん)の刻印のある、小さい長方形の金貨は?」
「『一分金(いちぶきん。一分判)』です。一分金四枚で一両、つまり小判一枚分の価値があります」
「この、もっと小さい四角い金貨は?」
「『二朱金(にしゅきん)』です。二枚で一分金と同じ価値があります」
つまり、一両=一分金四枚=二朱金八枚である。
「この灰色のナマコみたいのは?」
「それは銀貨で『丁銀』といいます」
「灰色の豆粒みたいな銀貨は?」
「『豆板銀』です。銀貨はそれぞれ大きさが違うので、重さを量って価値を決めます。上方では金貨が、江戸では銀貨がよく使われます」
「この丸くて穴の開いている地味なものは?」
「それは銭貨で『寛永通宝』といいます。一枚一文です。一文は四貫(かん)文、つまり、銭四千枚で一両と同じ価値になります」
元禄十三年(1700)、幕府は金・銀・銭の比率を一両=六十匁(もんめ)=四貫文と定めた。つまり、一両≒十二万円とすると、一匁≒二千円、一文≒三十円である。
「ふーん。じゃあ、銭が一番持っていても仕方がないものなんだねー」
辰五郎は詰まらなさそうに寛永通宝を投げ捨てた。
ぽーい。
「何をなさいます!」
ごろんごろん!
半七がそれを回転レシーブのように拾い上げて、辰五郎の手に戻して諭した。
「坊ちゃま!小銭を大事にしない人はお金持ちにはなれませんよっ!坊ちゃまのご先祖さまたちは、一文一文また一文と、涙ぐましいまでの努力で小銭という小銭を少しずつ積み上げ、ようやくここまでの巨万の富を築き上げたのですよっ!小銭はとっても大切なんです!一文を笑う者は、いつか必ず一文に泣くんです!」
辰五郎は寛永通宝を握りしめてニッコリした。
「そうか!お金は大切なんだね?小銭でもバカにしちゃあいけないんだね?」
「そうです!お金は大切なんです!お金を大切にし、なるべく使わないことが、お金持ちになる秘訣(ひけつ)なんです!」
阿豊はそんな半七の教育をほほえましく眺めていた。
「やるじゃな〜い」
しかし、鼻で笑って眺めている者もいた。
(フッ!バカバカしい!)
手代の勘助(かんすけ)であった。
勘助は声には出せないため、心中だけで半七に反論した。
(カネってもんはなあ、使うためにあるものなんだ!人サマに使われることがカネにとっては最も幸せなことなんだ!ケッ!何が大切にだ!カネだって財布ん中に監禁されているより、外へ出て楽しく豪遊したいんだよーっ!)