6.招かれざる客

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景気回復の一提案
1.淀屋の繁栄
2.お金って何?
3.悪いヤツラ
4.浪費のススメ
5.禁じられた遊び
6.招かれざる客
7.ナニワのことは夢のまた夢

 柳沢吉保将軍徳川綱吉のお気に入りである。
 小姓から身を起こし、綱吉将軍就任にともなって幕臣となり、元禄元年(1688)に側用人に就任、老中格から大老格に昇り、宝永二年(1705)には甲斐府中
(ふちゅう。山梨県甲府市)十五万石(実高二十三万石)という異例の太守に成り上がっていた。

 その吉保大坂の別邸に来ていたのであった。
 劣悪な元禄金銀改鋳で知られる勘定奉行荻原重秀と、吉原
(よしわら。東京都台東区)豪遊で知られる江戸豪商・紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん。「豪遊味」参照)を伴って。
大坂一の豪商といえば、誰だ?」
 吉保に聞かれ、別邸留守役・横田団右衛門
(よこただんえもん)が答えた。
「断然、淀屋でございましょう」
「ほう。淀屋はそれほどまでに富裕か?」
「はい。本店の屋敷地は一万坪。母屋の建物は百間四方の大豪邸。邸内には純金製の鶏や碁盤や仏像、古今東西の高級茶器、珊瑚
(さんご)製の玉すだれ、千枚分銅、豊臣秀吉の唐冠(からかんむり)楠木正成の鎧(よろい)小野道風の書、藤原定家直筆の百人一首、紫式部直筆の物語本、岡崎正宗粟田口吉光らの刀ほか金銀財宝が満ちあふれ、日本はおろか唐・天竺・南蛮の珍品がところせましとひしめき、夏座敷という部屋は天井がビードロ張りで、頭上を金魚や銀魚が泳ぎ、庭には泉があり、川が流れ、奇石・名木をめぐらしてあるとか。お宝入りの土蔵は「い」「ろ」「は」から順に全部で四十八戸。支店の数は大坂に八十四、京都に三十五、伏見(ふしみ。京都市伏見区)に十七、堺(さかい。大阪府堺市)に十一、別荘は尼ヶ崎(あまがさき。兵庫県尼崎市)に一か所、堺に二か所、そして八幡に一か所――」
 吉保と重秀は黙って聞いていたが、文左衛門は目を丸くした。
「すごい!すごすぎる!とてもわしと同じ豪商とは思えねえ!」
「ふふふ、天下の紀文が驚くとは、よほどのものとみえるな」
 団右衛門は続けた。
「それだけではございません。淀屋は先代から大名
(だいみょうがし)を盛んに行っており、幕府や諸大名は淀屋から相当な額の借金をしております」
 大名貸とは、町人が大名家に貸し金をすることである。利息は一般向けより低いが、年率一割二分ほどであった。
「相当な額の借金とは?」
「利息を含め、総額二十億両
(約二百四十兆円)
「!」
「なんと!!」
「ふええっ!」
 これには三人とも大仰天し、吉保は苦笑した。
「しかしなぜに幕府や諸大名はそれほどまでに淀屋に借金をしているのだ?」
 経済通の重秀が口を挟んだ。
「財政悪化に加え、淀屋が米市で行っている空米
(くうまい・からまい)取引に手を出しているからではないでしょうか?」
「くーまいとりひき?」
「米の先物取引ですよ。現物の米を扱わず、米手形
(後の米切手)という紙切れだけで大量の取引をするため、とてつもない利益か損失を生み出すのです。ようするにバクチですよ」
「ふうむ」
 吉保は腕を組んでうなった。
「――ということは、幕府も諸大名も、淀屋がつぶれたほうがいいと思っているのであるな?」
「そういうことです。そうなれば莫大な借金がチャラになるわけですからね」
 団右衛門も言った。
「淀屋から金を借りているのは幕府大名家だけではありません。士農工商すべての階級の多くの者たちが淀屋から金を借り、借金地獄に苦しんでいるのです。また、淀屋を嫌っているのは外部の者だけではありません。内部でも番頭と手代が対立しているようです。今朝、手代の勘助なる者が番頭の横暴を訴えに参りました。これもすべて当代三郎右衛門がどうしようもないドラ息子のためでしょう」
「ほう。四面楚歌
(しめんそか)、内憂外患じゃのう。淀屋の当代はそんなにひどいのか?」
「ええ。当代は通称辰五郎というのですが、これがもー、カネの使いっぷりがハンパじゃなんですよー。もーすごいのなんのって、そうそう、ここにおられる紀文さん以上の浪費っぷりです」
「ほっとけ!」
「なんと、わずか一年半で百万両
(約千二百億円)も使っちゃったとか」
「うひょー!ありえねー!」
 文左衛門は目を白黒、卒倒寸前であった。
 吉保は吹き出した。
「それでは、このまま放っておけば、いくら淀屋にカネがあるとはいえ、つぶれてしまうのう〜」
「ええ、長くはないかと」
「つぶれるくらいであれば、どうせ離散する運命にあるカネであれば、幕府のカネにしてしまったほうが天下万民のためになるとは思わぬか?」
「もっともでございます」
「よし、幕府は淀屋から借金を重ねることにする。団右衛門。さらに三万両
(約三十六億円)借りて来い。当家は甲府に引っ越したばかりで金がいるのだ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。何しろ、幕府には返すつもりはないからな」
「いえ、幕府ではなくて淀屋の方が」
「淀屋は二十億両もの債権を持っているんだぞ。それを三万両ぽっち増やしたところで痛くもかゆくもないであろう。というより、淀屋は大丈夫ではないほうがいいのではなかったのか?」
「そうですが、貸してくれるでしょうか?」
「遊びで百万両も使ってしまうドラ息子なら、貸してくれないはずがあるまい」
「いえ。今、店を仕切っているのは、お金にきちんとした半七という番頭ですが」
「貸してくれないならくれないでもよい。幕命にそむいた罪で取り潰すだけだ」
「遅かれ早かれ、淀屋はつぶれる運命ですか……」
「そのとーり」

 こうして吉保の使いが淀屋にやって来た。
「大切な用事がある。店主は柳沢邸に来るように」
 半七は察した。
(これは御用金の申しつけだろう。チャランポランな坊ちゃまを行かせるとまずいことになる……)
 そこで、半七はウソをついた。
「店主はあいにく病気ですので、番頭の私が代わりに参ります」

 こうして半七が代理人として吉保の別邸に向かった。
 留守役の団右衛門が切り出した。
「淀屋よ。すまないが、幕府の財政は苦しい。さらに三万両貸してほしい」
 半七は困った。
幕府さまにはすでに相当な金額をお貸しいたしております。利息だけでも払ってくださらないと、借金は膨らむばかりですよ」
「だから、借金返済のためのカネもいるのだ」
「そういうことをなされると借金が減ることはありません」
 団右衛門の配下・平田軍八
(ひらたぐんぱち)が横から脅した。
「おぬし、何を渋っているのだ?お上にたてつく気か?」
「滅相もございません!」
「聞いておるぞ。淀屋の当代は大浪費家だそうだな?わずか一年半で百万両も使ったそうだな?女に出すカネはあっても、幕府に出すカネはないと申すのだな!」
「いえいえ!確かに当主の浪費はひどすぎましたので、今は私が出金を管理しております!月の小遣いを定めましたゆえ、今は前ほど使ってはおりません!」
「ちなみに今の小遣いとやらは月いくらだ?」
「百両……」
「高っ!たかたか高っ!それでもまだ高すぎるわっ!そういうものは小遣いとは言わないのだっ!予算というのだ!――わしらはそこらへんの一商人に頼んでいるわけではない!古今比類の大豪商淀屋に頼んでいるのだ!天下の淀屋にとっては、三万両ぐらいは小銭の範疇
(はんちゅう)であろうっ!」
「いえいえ。今の淀屋にあるのは焦げついた債権ばかりでございます〜。とてもとても三万両という現ナマはすぐに集められる額ではありません。どうか御勘弁を〜」
「つべこべ言うんじゃねえー!わかった。明日までに現ナマ三千両
(約三億六千万円)だ!これ以上は負けられねえ!もし持って来れなければ、柳沢さまを通じて淀屋当代の大放蕩ぶりを将軍さまにバラしてやるぞっ!」
「ああっ!そればかりは御勘弁うおー!」

 翌日、半七は五百両(約六百万円)入りの菓子折を持って再びやって来た。
 いわゆる賄賂
(わいろ)である。
「近々、貸付金を返済していただける方が現れましたので、三千両なら何とか用意できそうでございます。どうか残りの御用金の件は、もうしばらくお待ちいただきたく……」
 団右衛門と軍八は、菓子の中にあるまじき光を確かめてウホッとなった。
「よいよい。そういうことなら柳沢さまにもよーく事情は申し上げておこう。ヒッヒッヒ!これはこれは結構なものを、どーも」

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