7.ナニワのことは夢のまた夢 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2010>7.ナニワのことは夢のまた夢
|
辰五郎の知らぬところで淀屋は大変なことになっていたが、彼自身もまた、個人的に大変なことになっていた。
辰五郎のお気に入りの太夫・吾妻を、阿波徳島(徳島県徳島市)の豪商・島屋吉郎兵衛(しまやきちろうべえ)が身請けするというのである。
「いやだー!吾妻を四国になんか行かせねえー!」
辰五郎は吉田屋へ押しかけた。
吾妻にすがりつき、月の小遣いの全額百両を積んで懇願した。
「頼む!身請けはわいがする!四国なんかに行かないでくれ!」
吾妻は百両をチラッと流し見てから鼻で笑った。
「島屋さんは私を二千両(約二億四千万円)で身請けしてくださるんですって」
「にせんりょー!」
そんなもん持ってなかった。
小遣いを制限され、実印も没収されている今の辰五郎にとっては、とてもとても用意できる額ではなかった。
「ぬ、ぬ、ぬ……、きっ、きっ、君は、カネの額で動くのかっ!?」
「そーじゃないけど、お金も重要な要素の一つよ。あなただってオカネ大好きでしょ〜?」
吾妻は百万両を自分のほうに引き寄せると、辰五郎にしなだれかかり、ひざ頭を指でクリンクリンいじくりながらお願いした。
「あと二千両であなたの勝ちなのよ。私を好きなら、精一杯の誠意を見せてぇ〜」
辰五郎は鼻息荒らげ、プルプル震えて仁王立った。
「わかったよ!用意してきてやるよっ!わいは負けん!四国のエロジジイなんかに負けてたまるかあー!」
そのまま弾丸のように飛び出した辰五郎ではあったが、どうにもいい手が浮かばず、勘助に相談した。
「どうしよう〜。二千両もどーやって集めりゃいいんだよ〜?」
「坊ちゃま、おまかせください。ここはおれが何とかしましょう!」
「頼む〜」
しばらくして勘助はさっそうと二千両を持って帰ってきた。
「はい、用意してきました!」
辰五郎は大喜びした。
「本当か?いったいどうやってこんな大金を?」
「淀屋で坊ちゃまの実印を盗み出し、上町の小池屋四郎兵衛(こいけやしろうべえ)という金持ちから借りてきたんですよ」
「でも、それじゃあすぐに淀屋に請求が来て、半七にばれちゃうね」
「大丈夫です。笹屋伝兵衛を堺の薬屋・小西源右衛門(こにしげんえもん)に化けさせて金を借りましたから、請求は小西さんのほうへ行くはずです。つまり時間稼ぎですね。小西さんには後で淀屋から返済すればすむことです」
「なるほど。頭いーい」
「さあ、早く!早くしないと島屋に吾妻さんを盗られちゃいますよっ!」
「お、そうだった。『善は急げ』というからな」
「善ではなく、完全なる悪ですが……」
「うるせえ!」
辰五郎はその金で吾妻を身請けし、名を阿光(おこう)と改めさせて結婚した。
「いやー、めでたいめでたい」
辰五郎は吉田屋の祝宴でかなり酔っ払ってしまった。
「もうダメ〜。淀屋に帰る〜」
辰五郎は千鳥足で席を立った。
籠(かご)に乗る前、勘助が着替えを勧めた。
「店に帰って酒臭いとまた番頭に何か言われます。下衣だけでも着替えていかれては?」
「ごえっぷ!そうする〜」
辰五郎は勘助が差し出した白無垢(しろむく)や小袖(こそで)を着ながら、ムニャムニャ言った。
「あれ〜?白無垢も小袖も御禁制とかじゃなかったっけ〜?」
「今日は特別な日なんです。お上だって許してくれますよ〜」
「アハハ!それもそうだね〜」
辰五郎を籠に押し込んだ後、勘助はなぜかニヤリとし、急いで大坂町奉行所に駆け込んで訴えた。
「大変です!町人のくせに御禁制の白無垢・小袖を着ている不届き者がいます!」
「なんだと!」
すぐに奉行所の役人たちが駆けつけ、辰五郎の乗っていた籠の周りをバラバラと取り囲んだ。
「籠の中の町人!外へ出よ!」
「なになに〜?」
辰五郎は顔を出した。
役人たちは騒いだ。
「本当だ!白無垢・小袖を着ていやがる!」
「けしからん!」
「引っ立ていー!」
辰五郎はわけがわからなかった。
「え?どーゆーこと?ちょって待って〜。わい、酔っ払ってるんですけど〜」
「問答無用!言訳は奉行所でしてもらおう!」
「大変だー!淀屋の放蕩店主が奉行所にしょっ引かれたー!」
「御禁制の白無垢・小袖を着ていたんやて!」
「えらいこっちゃえらいこっちゃ!」
知らせはまもなく淀屋へ届いた。
時を同じくして、小池屋四郎兵衛の手代が淀屋へやって来て請求した。
「二千両を返してもらいに参りました。小西源右衛門さんに聞いたところ『そんなもんは知らん。淀屋さんに聞いてくれ』ということでしたので」
半七は混乱した。
「何がどうなってるんだー!?」
とりあえず小池屋の手代には、こう言っておいた。
「うちも二千両なんて存じませんが……。何かの間違いでは?」
小池屋の手代は怒った。
「そんなはずはありません!この通り証文もありますし、貴店の悪代官顔をした方が確かに来られましたがっ」
「悪代官顔?勘助か?」
半七は勘助を捜したが、どこにもいなかった。
実はあの後、彼は卑怯(ひきょう)にも逃亡していたのであった。
小池屋の手代は激怒した。
「まさか天下の淀屋さんがドロボーするなんて思わなかった!奉行所に訴えてやるっ!」
辰五郎はこの件でも奉行所で問いただされることになった。
「君ぃ〜、ドロボーもしていたそうだね〜?小池屋さんが訴えに来ましたよ〜。これでは罪は重いね〜」
辰五郎は観念して白状した。
「急いでたんです〜。あの二千両は後で返すつもりだったんですよ〜」
「てめー!後で返すが通るんだったら、奉行所なんていらねーんだよおー!」
「ごめんなさい〜、ごめんなさいぃ〜」
三都 |
江戸(東京都) 大坂(大阪府大阪市) 京都(京都府京都市) |
大坂町奉行・松野助義(まつのすけよし)は、大坂一の大豪商の処分を幕府に仰いだ。
幕府では、大老格・柳沢吉保以下老中たちが協議し、辰五郎の処分を決定した。
「淀屋三郎右衛門広当を闕所(けっしょ)・所払に処す」
つまり、辰五郎は全財産を没収され、三都から追放されたのである。
時に宝永二年(1705)五月のことであった。
その後、辰五郎は奈良にしばらく住んだ後、先祖ゆかりの八幡で隠棲、享保二年(1717)十二月二十一日に三十歳(または三十五歳)で亡くなったという。
後日、勘助と伝兵衛が大坂にある吉保の別邸を訪れた。
「おれたち、うまく淀屋をおとしめてやりましたよ〜」
「もっとほめてくださいよー」
団右衛門はほめてあげた。
「そうだな。お前たちのおかげで幕府ほか諸大名、武士、町人、農民に至るまで、多くの人々が借金地獄から解放されたのだからな」
「そうですよー」
「もっともっと御褒美だってくれてもいいんじゃないですかー?」
団右衛門が思い出したように言った。
「そうそう。そういえばいい話がある。豊後で見つかった銅山の開発を、お前たちに任せようと思ってな。やってくれるか?絶対もうかるぞ〜」
勘助と伝兵衛は色めきたった。
「やったー!」
「もちろんやりますとも!」
二人は喜んで船で豊後へ向かった。
が、豊後沖でなぜか二人とも海に投げ出されて死んでしまったのであった。
[2010年2月末日執筆]
参考文献はコチラ