2.昇天!天武天皇!! | ||||||||||||||
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天武天皇十四年(685)九月、天武天皇は発病した。
「なーに。薬師寺(やくしじ。本薬師寺。奈良県橿原市。後に奈良市へ移転)建立を発願した功徳によってすぐに治るさ」
が、僧たちに読経させても一向に良くならない。
百済僧・法蔵(ほうぞう)と優婆塞(うばそく。在家僧)・益田金鐘(ますたのこんしょう)が取り寄せたオケラの煎(い)り薬も飲んでみたが、翌天武天皇十五年(686)五月には重病人になってしまった。
「こうなったら大赦だ」
天武天皇は凶悪犯まで釈放して獄舎を空っぽにしてやったが、それでも病気が癒えることはなかった。
三種の神器 |
鏡 … 八咫鏡(やたのかがみ) 剣 … 草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣) 玉 … 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) |
「何が原因なのかしら?」
心配した鵜野讃良皇女は、占星台(せんせいだい。後の陰陽寮)に務める陰陽師・津守通(つもりのとおる。津守道)に占わせてみた。
じゃらじゃらじゃらら〜、チーン!
「出ました!草薙剣(くさなぎのつるぎ)のたたりでございます」
草薙剣は三種の神器の一つで、尾張熱田社(あつたしゃ。熱田神宮。名古屋市熱田区)の御神体である。
が、天智天皇七年(668)に新羅僧・道行(どうこう・どうぎょう)がこれを盗み、母国へ持ち去ろうとした事件があったため、その後は宮中で預かっていたのである。
「そうでしたか」
鵜野讃良皇女は即日草薙剣を熱田社に返させた。
が、疑問が残った。
「それにしても、どうして道行とやらは草薙剣を盗んだのでしょうか?」
「さあ」
通も不思議がったが、答えた青年がいた。
大織冠(たいしょっかん・だいしょっかん)藤原鎌足の子・藤原不比等である。
「草薙剣は皇位の象徴。新羅は日本の皇統を揺るがして国家転覆を謀ろうとしたのでしょう」
「何ですって!」
「先年、日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍と戦って敗れました。いわゆる『白村江の戦』です(「日朝味」参照)。戦後、百済は滅びましたが、日本はいまだ健在です。しかも日本には、百済王善光(くだらのこにきしぜんこう。禅広。百済国王・義慈王の子)以下、祖国復興を目指す百済人数万人が亡命しているのです。そのような敵討ちに燃える人々を多数かくまっている物騒な隣国を、新羅が気にしないはずがありません。その証拠に新羅はしょっちゅう日本へ使者を遣わし、偵察に来ています」
「なるほどね。最近、新羅人がよく来るのはそういうことだったのね」
「新羅人は日本の敵です。百済人こそ味方なのです。彼らの目指す百済復興は、白村江で苦杯をなめた皇后様のお父君(天智天皇)の悲願でもあるのです」
朱鳥元年(686)九月九日、天武天皇は崩御した。享年不明。
天武天皇十年(681)二月に草壁皇子が皇太子になっていたが、生母の鵜野讃良皇女が後見人として天皇の政務を執った(称制)。
彼女が正式に伝四十一代天皇として即位するのは四年後であるが、これより後は持統天皇と表記することにする。