3.大王の抵抗 | ||||||||||||||
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崇峻天皇五年(592)十月、崇峻天皇は人払いさせてから蘇我馬子を呼びつけた。
「なんでしょうか?大王さま」
「慇懃(いんぎん)無礼とはあんたのようなことを言うんだね。時々豹変(ひょうへん)するし――」
「はて?何のことやら〜。――それより大王さま。夜は河上娘とお楽しみでしょう?とっとと大后にしちまえばいいのに〜」
「残念ながら、あんたほどは楽しんでないよ」
「はてはて!何のことやら〜?」
「とぼけるんじゃねー!朕は全部知ってるんだよぉー!」
「のぞいたから?」
「……」
「まるで穴穂部皇子のように」
「……」
「そのような破廉恥(はれんち)なこと、大王さまともあろうお方がなされるとは……、おお、恥ずかしや〜」
「うるせえー!河上を大后なんかにしないぞっ!してたまるかー!河上は嬪(みめ)だ!妃より格下の嬪だっ!つまり、蘇我氏の娘は大伴氏の娘(小手子)よりも格下ということになるんだー!ホンモノであろうとニセモノであろうと、諸臣に対してはそーゆー示しになるんだぁー!ざまあみやがれってんだ!ペッペッ!」
崇峻天皇はまくし立てたが、馬子は冷静であった。
「足、震えてますけど」
指摘した後、声を低めて反撃に出た。
「びびってんじゃねえぞ、オラッ」
「……」
「人がおとなしくしてりゃ言いたいこと抜かしやがって。図に乗るなよバカヤロー!」
崇峻天皇はおびえながらもがんばった。
「ききき君っ。だっだっ誰に向かってものを申しているんだ!今言ったことを取り消しなさいっっ!」
「何ゆえに〜?」
「何ゆえってっっ、朕はすべての上に君臨する大王家の当主たる大王だぞっっ!」
「あんた、誰のおかげで大王になれたと思っていやがるんだ?」
「……。そんなことは関係ないっ」
「恐れながら我が蘇我氏は大王家と祖を同じくしております。それだけではありません。我が蘇我氏には大王家の血のほか、後漢の霊帝(れいてい)の血も、百済の王家の血も受け継いでいるのです。その蘇我氏の当主が、大王家に遠慮する必要がありましょうか?臣従する理由など、あるはずがございませーん」
「わけのわからないことを申すなっ!蘇我氏は大王家の分家ではないか!頭が高い!ひかえおろー!」
「はあー?」
馬子は大声でとぼけた後、さらに強く出てきた。
「大王は何か勘違いしていますな。大王家のほうこそ、蘇我氏の分家ではありませんか」
「えーい!むちゃくちゃ言うなーっ!」
「むちゃくちゃではありません。そのために私は史書編修の準備をしているのです。大王家は蘇我氏の分家だと、史書にそう書いてしまえばそれが歴史として後世に伝えられるのです」
「やめろー!」
「キサマに言われる筋合いはない!頭が高い!キサマのほうこそ、ひざまずきやがれ!」
「そ、そんな〜」
「ひざまずけっていっているのがわからないのか!このクソ大王っ!! こうしてやるっ!」
ボカッ!スカッ!
「いたい〜。おかしい〜。おかしいよぉ〜。なんでこうなるのぉ〜?」
馬子は手をはたいて帰っていった。
「ボロボロ〜」
崇峻天皇はヨロヨロと立ち上がった。
そこへうわさの厩戸皇子が入ってきた。
彼は服装が乱れている崇峻天皇を見て変に思った。
「どうなさいました?」
崇峻天皇は嫌な顔をした。
(ヤツの隠し子だ……)
その馬子にやられたとはいえないので、笑ってごまかした。
「ああ、ちょっと転んだだけだ。大事ない」
「お気をつけください。人払いはもうよろしいので?」
「ああ、みんな呼び戻してくれ。人払いなんてするんじゃなかった」
「それと、イノシシが献上されましたので、御覧になりますか?」
「おもしろいね。見よう」
イノシシはまだ生きていたが、虫の息であった。
「捕らえたときに弱ってしまったのでしょう。どのみち、食卓に上がる運命ですが」
「早く食べたいね」
「今すぐ殺させましょう」
「いや待て。面倒だ。朕が殺してくれよう」
崇峻天皇は剣を抜くと、いきなりイノシシの首に突き立てた。
ブスッ!
「ブヒーン!」
イノシシは思い出したように一声鳴くと、そのまま息絶えてしまった。
「アハハハ!」
崇峻天皇はめちゃくちゃに剣を振り回すと、返り血を浴びて震え立った。
「いつか憎きアイツの首をこのようにぶった斬(き)ってみたいものだ!アーッハハハッ!」
小手子は震え上がった。
「見ちゃダメ!」
蜂子皇子と錦代皇女の目を覆って奥へ連れて行くと、そのまま実家に帰ってしまった。
その日、厩戸皇子はその場にいた人々を集めて宴会を催した。
「今日の大王の言動は他言しないように」
口止めさせたのである。
が、このことを馬子にしゃべってしまった者があった。
ほかならぬ小手子であった。
「何?大王がそんなことを――」
馬子は笑った。
息子の蘇我蝦夷が付け足した。
「大王はコッソリ軍備も増強しているようですよ」
馬子は豹変した。
「イノシシになるのは大王のほうだっ!」