4.背徳の代償 | ||||||||||||||
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崇峻天皇は孤独であった。
額田部皇女の秘密を知り、大伴小手子が去った今、彼には蘇我河上娘しかいなかった。
でも、河上娘は蘇我馬子が差し向けた女であった。
その晩、河上娘は馬子から策を授けられていた。
「出ない?」
「どこへ?」
「たまには外の空気を吸いたいなー」
「まだ未明じゃないか。一眠りしてからにしよう」
「ひょっとして、暗いのが怖いとか?」
「怖くはないよ!」
崇峻天皇は向きになった。一番触れられたくない部分だったからである。
「そんなら出ましょう。ちょっとだけ外を散歩しましょっ」
「うーん。警備の連中に見つかっちゃうよー」
「大丈夫大丈夫」
そうであった。
すべては馬子の計略どおりだったため、とがめられもせずにすんなり宮の外へを出られたのである。
「あー、夜風最高!」
「悪くはないね」
一方、馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)なる若者に命じていた。
「最近、男女二人連れの強盗が未明の宮の周辺をうろついているそうだ。その強盗を勇敢ななんじにしとめてほしいのだ」
「おやすい御用です」
「まずは不審なヤツがウロウロしていないか、様子を見に行ってくれ」
「わかりました」
しばらくして、駒が戻ってきた。
「松明(たいまつ)を掲げた男女が一組、川のほうを歩いています。ほかに怪しい者は見当たりませんが」
「ならばそいつらだ!」
「間違いありませんね?」
「ほかにいないのであれば、そいつらに間違いない。二人は前科無限大の凶悪犯だ。即座に殺せ。万が一にもありえないが、誤認であれば、わしが全責任を負う」
「了解」
駒は松明を目指して駆けていった。
そして、闇の中からいきなり現れ、男の背中に剣を突き立てたのである。
ズブ!
ぐりんぐりん!
「ギャーン!」
松明は投げ出され、火の粉が回りに散った。
同時に刺された崇峻天皇の命も散ってしまった。
「御免!」
駒は河上娘にも剣を振りかざした。
河上娘は叫んだ。
「話が違う〜!」
駒はためらった。
「何が違う?」
「私は助ける手はずでしょー!?」
「そんな命令は聞いていない」
駒は落ちていた松明を河上娘の顔にかざしてみた。
うーん、美人であった。
しばらくして、復命を待つ馬子にもとに駒が帰ってきた。
「間違いなく殺したか?」
「はい。絶命を確認いたしました。遺体はどういたしましょう?」
「そのまま放っておけ。明るくなれば誰かが気づくであろう」
「はい」
「確かに二人とも殺したであろうな?」
「あ……。はい。ただし、女のほうは逃げたかもしれません」
「逃げただと?」
「あ、いえ、その――、致命傷なので、逃げ延びたとしても明日までの命はありえませんけど」
「それならよい。御苦労」
朝になり、明るくなって崇峻天皇の刺殺体が発見された。
「ゲッ!誰か死んでいるぞ!」
「ああっ!大王ではないか!!」
「なんてこった!とんでもないことだ!」
宮は大騒ぎになった。
崇峻天皇は殯(もがり。通夜の長期版)もせず、その日のうちに倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ。桜井市)に葬られたという。
崇峻天皇暗殺の報は、駒のところにも入ってきた。
「大王さまが川のそばで殺されていたそうな」
(川のそば……?)
駒は気になった。自分が凶悪犯を処分したのも川のそばだったからである。
(いや。そんなはずはない……)
不安になった。
彼はひそかにお持ち帰りしていた河上娘に聞いてみた。
「おまえと一緒にいた男は誰だ?」
「大王よ」
答えたのは、河上娘ではなかった。
いつの間にか背後に立っていた馬子であった。
駒は振り返って仰天した。
「お、大王って……、あなたさまは確か――」
馬子はすべてを言わせず、逆に駒に問うた。
「なぜ河上娘が生きているのだ?それもまったくの無傷で!キサマは確かに殺したと言ったな?」
「こ、これは、その……」
「ウソをついて大王の嬪を奪ったのか?」
「いえ、その、かわいそうで……」
「言訳無用!」
馬子は駒の髪をつかんで引きずり出した。
「大王殺害および嬪強奪の罪で即刻処刑する!」
「そんなぁー!」
駒は悲鳴を上げた。
「だいたいおれはあの方が大王さまだって知らなかった!そのことを知っていたのは、ほかならぬ――」
ブッサリ!
ジュビビビビ!
「ぐええ!」
駒も首だけになってしまっては、真実を語ることはかなわなかった。
* * *
崇峻天皇五年(592)十二月、額田部皇女は即位し、推古天皇となった。
最後に最初に提起したナゾの答え合わせ(圧倒的な我田引水ですが)を付しておきます。
1.なぜ敏達天皇と蘇我馬子はしっくりしなかったのか?
⇒額田部皇女と三角関係だったから
2.なぜ蘇我馬子は穴穂部皇子を殺したのか?
⇒額田部皇女と三角関係だったから
⇒額田部皇女と三角関係だったから
⇒愛人を優遇したかったから
⇒息子だから
6.なぜ中国の史書には推古朝の日本の国王を男王としているのか?
7.なぜ聖徳太子は冠位十二階に蘇我馬子を組み込まなかったのか?
⇒オヤジだから
8.なぜ聖徳太子はありえないほど聖人化されたのか?
⇒蘇我馬子らが聖人伝説を作り上げたから
9.なぜ聖徳太子は架空人物とまで言われ始めたのか?
⇒伝説の数々がありえなさすぎるから
10.なぜ聖徳太子は馬小屋で生まれなければならなかったのか?
⇒「馬小屋」ではなく、「馬子家」という意味だから
⇒息子だから
⇒自分の立場がないから
[2008年11月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 崇峻天皇の暗殺現場について、『日本書紀』には東国からの調(みつき)の貢進儀式の場で殺されたような書き方をしていますが、これは乙巳の変と混同したものだと筆者は考えます。もし儀場で殺されたとすれば、蘇我馬子は河上娘の生存に初めから気づいていたはずです。また、馬子の権力はすでに崇峻天皇のそれを凌駕(りょうが)していたとみられるため、あえて公開の場でクーデター的な暗殺を行う意義もないと思います。