3.逢いたい

ホーム>バックナンバー2022>令和四年11月号(通算253号)宗教味 仏教公伝3.逢いたい

宗教はカネがかかるのか?
1.信じたい
2.伝えたい
3.逢いたい

 新羅に漢城(かんじょう。韓国・ソウル市)を奪われた聖明王は窮地に陥っていた。
「連中の次のねらいは加耶だ」
加耶諸国は相当動揺しているようです」
に贈った仏像や経典はどうした?」
「排仏派によって廃棄されたと聞きました」
での仏法の普及はかなわなかったのか?」
百済ゆかりの蘇我氏の者たちががんばっておりますが、なかなかうまくいかないようで」
「理想には時間がかかる」
「ですね」
仏法が広まる前に百済が滅んでしまっては元も子もない」
「確かに」
「とりあえず現実的なお願いをするしかない。に援軍を乞うべし」
「御意」

 聖明王は使者をに遣わして援軍を乞うた。
 欽明天皇は援軍千人と弓五十張、矢二千五百本、軍馬二頭、軍船二隻を送った。
 百済王子・余昌
(よしょう。聖明王の子。後の威徳王)は喜んだ。
「敵の侵攻を防ぐには、敵基地を攻撃するのが一番です。守ってばかりでは敵のお宝を略奪することもできません。まずは新羅をたたくことです。の援軍はありがたいですが、攻め込むには足りません。もっと増援を頼んで一気に新羅をつぶしてしまいましょう!」
 聖明王は反対した。
「朕は無用な戦いはしたくない。苦しいが今は守りに徹するべきだ。の援軍を加えれば、加耶を守るだけなら十分だ」
「父上は甘いですよ! 今ここでつぶしておかなければ、新羅は何度でも攻めてきますよ! わかりました。私だけで攻め込んでおきますので、その間ににさらなる増援を頼んでください!」
 余昌はの援軍を加えた一万人を率いて新羅に攻め込んだ。
 久陀牟羅塞
(くだむらのそこ)という城を築くことに成功したが、新羅の大軍に取り囲まれてしまった。

「息子を助けに行かねば」
 余昌の危機を知った聖明王は出陣することにした。
 が、老臣たちが止めた。
「おやめください! 救援するにも兵がありません!」
「大丈夫だ。に増援を頼んだ。息子と合流して持ちこたえれば勝てる!」
「合流なんてできませんて! 新羅は大軍です! 包囲網は突破できません!」
「突破できないようであれば、話し合いで解決する! 最悪でも息子の命だけは助けてもらえるように交渉する!」
「無茶ですって!」

 案の定、新羅軍の包囲網は突破できなかった。
 聖明王は話し合いに持ち込もうとしたが、失敗して捕らえられた。
 新羅の将軍は、佐知村
(さちすき)の馬飼奴・苦都(こつ)に命じた。
「おまえが王の首を斬れ。貴い王の首を卑しい奴が斬れば歴史に残るであろう」
「ですよね〜。喜んで斬らせていただきますぅ〜」
 苦都は刀を抜いて振りかぶった。
 聖明王は言い放った。
「朕は戦いに来たのではない! 話し合いに来たのだ! 殺生は仏法にある五悪の筆頭である! 朕を斬れば、そなたは必ずや仏罰を受けるであろう!」
「仏罰うぅ〜〜」
 刀を振り下ろすのをためらっている苦都に将軍が発破をかけた。
「ウソを言うな! この王は戦いに来たのだ! 勝てそうにないから話し合いに持ち込もうとしただけだ! ウソもまた五悪の一つである! この王はかつて新羅高句麗を蹂躙
(じゅんりん)した大悪党だ! この王のせいで大勢の者たちが死んでいったのだ! 五悪を犯しているのはこの王のほうだ! 王とはいえ法に反したヤツは罰せられて当然である! 斬れ! 斬るのだっ!」
 苦都は困った。刀を持ったまま、わなわな震えた。
 聖明王は天を仰ぎ、嘆息して涙を流した。
「そなたが苦しむことはない。もはや言い訳しても無駄だ。万事休すというやつだ。朕は仏法を信じているため、あの世に逝くのが怖いことはない。遠慮なく斬るがいい」
 聖明王は首を伸ばして前に差し出した。
「御免!」
 ずびゃ!

 こうして聖明王は斬首された。時に欽明天皇十六年(555)二月。享年不明。
 一方、余昌は筑紫国造
(つくしのくにのみやつこ。磐井の孫)の活躍によって包囲網を脱出し、何とか百済へ逃げ帰ることができた。
 任那新羅に滅ぼされたのは、これより七年後である。

[2022年10月末日執筆]
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