★ 茨田堤 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年六月号(通算212号)天皇味 茨田堤
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仁徳天皇十一年(323?)四月、仁徳天皇は群臣に次のように命じた。
「河内国は土地は広いが田んぼが少ない。多くの川が入り乱れて流れているためしばしば氾濫(はんらん)し、大雨が降ると逆流して道がなくなってしまう。そこで宮殿の北部の野を掘って人口の大河を造り、いくつかの川の流れをこれ一つに集めて西の海(大阪湾)へ通すことにする」
いわゆる現在の淀川の原型である。
側近の平群木莵(「平群氏系図」参照)が進言した。
「そのように大河をなせば、南側が決壊しやすくなりましょう。大河の左岸、茨田(まむた・まんだ。大阪市旭区〜大阪府枚方市)に堤を築くべきかと」
「もっともだ。そのようにせよ」
「御意」
この年の十月、運河開削と茨田築堤の工事が始まった。
ところが、工事がうまくいかない場所があった。
工事し直しても何度も決壊してしまう地点が二か所あったのである。
「いったいどうすればいいのか?」
仁徳天皇は困り果てた。
そんなある晩、仁徳天皇は夢を見た。
「武蔵に住む強頸(こわくび)と河内に住む衫子(ころものこ)を人柱として川の神にささげよ。さすれば工事はうまくいくであろう」
「そうなのか!」
仁徳天皇は目覚めた。
夢を信じることにした。
で、二人を探して連れてこさせた。
強頸と衫子は喜んでやって来た。
何しろ聖帝がお呼びなのである。
「何の用かな?」
「えへへー」
どんなイイモノがもらえるかワクワクしていた。
仁徳天皇はのたまった。
「人というものは、人のために生きるものである」
強頸はうれしそうに応じた。
「俺もその通りだと思う」
衫子もニコニコと同じた。
「私も」
仁徳天皇は続けた。
「必要とあれば、人のために死ぬものである」
「そういう心がけで」
「ですよね〜」
これにも同じたものの、二人の笑顔に不安が差した。
「河内の民が困っている」
「はあ」
「何を困っているんでしょうか?」
「堤を築き直しても、何度も決壊してしまう場所が二か所あるのだ」
「なるほど」
「それは困りましたね〜」
「昨晩、川の神が朕(ちん)の夢の中に出てきた」
「マジっすか!?」
「で、何て言われたんですか?」
「決壊してしまう場所に、強頸と衫子を人柱に立てよと」
「!」
「!」
「決壊箇所は二か所。なんじらは二人。それぞれ一人ずつ入水すればよい」
「!!」
「!!」
「これは川の神の命令である。朕からもお願いしたい。どうか河内の民を救ってほしい。よいな?」
「……」
「……」
「なんじたちは人のためになりたいのであろう? どうか民のために死んで欲しい」
「……」
「……」
「返答はどうした?」
「へい」
「はい〜」
「よし、承諾したな。二人を連れて行け」
「え?」
「どこに?」
「川の中に決まっているではないか」
「!!!」
「!!!」
二人は白い衣を着せられて輿(こし)に乗せられた。
平群木莵が決壊常習箇所まで送り届けた。
一つ目の決壊常習箇所に着いた時、木莵は問うた。
「二人のうち、より勇気のある忠誠心の熱い猛者はどちらか?」
衫子は言った。
「私でしょう」
強頸も負けずに言った。
「俺に決まっているじゃないか」
木莵は断言した。
「口だけでは何とでも言える。先に入水したほうが猛者だ」
衫子は強頸の様子をうかがった。
強頸は、じゃぶじゃぶと川の中に入っていった。
「猛者は俺のほうだ!」
しかし、胸までつかると怖くなってきた。
「やっぱり無理だ! 俺にはできねえ!」
強頸は引き返そうとした。
でも、足を滑らせて転んでしまった。
つるりん、ごぽっ!
深みにはまって足が届かなくなってしまった。
「助けてくれ!」
強頸はばたついた。おぼれた。泣き叫びながら流されていった。
「鬼ぃ! 悪魔ぁ! 何が聖帝だ! こんなの、聖帝のすることじゃねぇー!」
彼の声と姿はすぐに渦の中へ消えていった。
(次は私の番だ)
衫子は恐怖した。
民のためになるといわれても、死にたくなかった。
ついに二つ目の決壊常習箇所に着いてしまった。
木莵が指し示した。
「ここだ。ここがいつも決壊するのだ」
(終わりだ)
衫子は水を飲み干した。
彼は水入りのヒョウタンと酒入りのヒョウタンを渡されていたが、二つとも全部飲んでしまった。
(残しておいたって仕方ないもんな)
木莵が促した。
「さあ、民のためだ。とっとと入水するがいい」
衫子は立ち上がった。
(でも、私は死にたくない)
強頸が流されていくザマがよみがえった。
『鬼ぃ! 悪魔ぁ! 何が聖帝だ! こんなの、聖帝のすることじゃねぇー!』
衫子は置いていこうとしたヒョウタンを握りしめた。
(強頸は後悔していた……。私はアイツのように後悔したくはない!)
衫子は二つのヒョウタンを持ったまま川の中に入っていった。
そして、川に向かって叫んだ。
「私は疑っている! 川の神が本当にこんな私を欲しているのかどうかを! だからもう一度、川の神に問うてみたい!
もし、私を欲しているのなら、見事にこのヒョウタンを沈めてみせよ! このヒョウタンが沈めば、私は喜んで入水しよう!
しかし沈めることができなければ、それは神ではない! 偽りの神意であれば、私は従う道理はない!」
衫子はヒョウタンを投げ入れた。
突然つむじ風が起こって波立ったものの、ヒョウタンは沈むことなく下流へ流れていった。
衫子は必死で訴えた。
「見てください! ヒョウタンは沈みませんでした! 川の神が私を欲しているなんて真っ赤なウソだったんです!
私は死ななくてもいいんですよっ!」
木莵は仁徳天皇に報告した。
仁徳天皇は認めた。
「必要なのは人柱ではない。決壊しない堤を築くことだ。それがかなうのであれば、人柱は不要だ」
衫子は堤を築く責任者になった。
新羅から築堤の最新技術を導入して無事に工事を成功させたという。
[2019年5月末日執筆]
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