★ 乾坤一擲(けんこんいってき)! 戦国史上最強の竜虎激突!! 〜 日本史上最大の激戦・第四回川中島の戦!! |
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新年明けましておめでとうございます、であるが、めでたい人は少ないであろう。
一見、めでたいように見える人でも、いつ何時、どんな不幸が降りかかってくるか分からない、お先真っ暗物騒至極な世の中である。
どうしてこんな世の中になってしまったのか?
アメリカがイラクに手を出してしまったことが、一番の要因であろう。
「イラクのフセイン大統領は大量破壊兵器を持っている」
世界の警察を自負するアメリカは、それを口実にイラクを攻撃、これを占領した。
しかし、いつしか「持っている」は「持っているかも」に変わり、最終的には、
「大量破壊兵器はなかった」
に、完全にひっくり返されてしまった。
「大量破壊兵器がなかったんなら、今まで何のために戦ってきたんだ?」
「石油が欲しかっただけだよ」
そう思われても仕方ない。
そしてこのアラブのアブラが、物騒の炎を世界中に燃え広げさせたわけである。
目的のない戦いは、応仁の乱のように長引くものである。
御存知のように、応仁の乱の後には、群雄割拠の戦国時代がやって来た。
室町幕府の権威の失墜が下克上の動乱を招き、日本全国を弱肉強食の無法地帯に変えてしまったのである。
全国のワルどもは、悪いことを考えた。
「今の幕府は反乱で手が離せないから、悪いことをしても攻められないぞっ」
これらのワルどもが、いわゆる戦国大名に成長していった。
それと同じことが今、世界中で起こっている。
「今のアメリカはイラクで手が離せないから、悪いことをしても攻められないぞっ」
いったんは正式に拉致を認めて軟化しかけた北朝鮮が、またイジワルし始めたのも、中国が潜水艦をコンニチハさせてきたのも、そういうことにほかならない。
「北朝鮮はムカツク〜。こうなったらもう経済制裁だ!」
日本がほえれば、北朝鮮はミサイル並べてほざき返す。
「経済制裁するってことは、宣戦布告するってことだよ。いいのかなー?」
いいはずがない!
北朝鮮は分かっているのだ。
日本が経済制裁を発動すれば、アメリカが困るということを(「制裁味」参照)。
「基本的に日本の行動を支持する」
アメリカのアーミテージ国防副長官は経済制裁を支持したが、本音であるはずはない。本当は困るけど、イラクのこともあるので、そう言うしかなかったのだ。アメリカだって日本に見捨てられたくないし、見捨てたくもない。でも、こんな状態で北朝鮮と事を起こすのも嫌なのだ。
アメリカの本音はこうであろう。
「やめてくれよー。そんなこと、イラク終わってからにしてくれー! 今は穏やかに六か国協議をしようではないかー」
それが分かっているから、小泉純一郎首相も経済制裁を渋っている。
でも、拉致被害者の家族のこともあるので、とりあえず安倍晋三(あべしんぞう)幹事長代理らに強硬役を担わしているのかもしれない。
それにしても、拉致被害者の家族も分かっているはずである。イラクを何とかしなければ、アメリカが北朝鮮に手出しできないということを。アメリカが加担してくれなければ、日本だけでは何もできないということを。イラク問題が解決しない限り、拉致問題に本腰を入れるのは困難だということを。
もう一つ言えば、これも分かっているはずである。
拉致問題だけに関しては、アメリカよりも中国に頼ったほうが解決しやすいということも。
ただ、今の中国に協力を要請するには、かえっていろいろ難題を突き返されるので、できないのが現状である。
だったらどこを頼ればいいのか?
EUであろう。日本はもっとEUと接近すべきである。できればEUと一体化すべきである。
EUは何もヨーロッパだけの共同体ではない。
トルコのEU加盟が承認されれば、アジアやアラブ諸国も加盟できることになるのだ。
将来的に、EUは世界連邦になるであろう。そのときのために、日本はEUにいち早く加盟すべきであるまいか? 今の日本であれば、東洋の宗主国になれること請け合いである。中国や韓国に先を越されれば、アジアの経済地図は大きく塗り変えられてしまうであろう。
ああ、アメリカも日本も、共に泥沼に陥ってしまった。
このままでは歳月が流れるだけで、イラクの問題も北朝鮮の問題も永久に解決できないであろう。せっかく持ち直してきたように見える両国の経済も、再び音を立てて崩落するのではあるまいか?
今、日本はどうすればいいのか?
やはり「2003年12月号 暴走味」でも述べたように、だましてでもすかしてでも脅してでも引きずってでも、アメリカをイラクから撤退させるべきであろう。
「これ以上イラクにいたって意味ありません!いればいるほど際限なく死人と墓と敵を増やしていくだけです!これではアメリカのためにも、日本のためにも、イラクのためにも、世界のためにもなりません! ここはいったん、撤退してください!フセインはもういないんです!イラクは変な外人がいないほうが、絶対いい国になりますよっ!」
そう日本が先頭に立ってアメリカを説得すべきであろう。
「どうしても撤退しないというのなら、そのことを日本への宣戦布告とみなす!」
日本が身を張ってアメリカを説得すれば、EUも国連も中国もロシアもその他もろもろの国や地域や組織も、みんなみんな味方してくれるであろう。
もともとどこもアメリカのイラク駐留に喜んでいる国はない。日本が本気で撤退を迫れば、アメリカは折れるしかないのだ。
本当のところは、アメリカだって駐留の無駄を分かっているはずである。ブッシュもラムズフェルドも、もういい加減うんざりしているはずだ。
「暴走味」でも私は言ったが、もう一度繰り返してみたい。
日本はこのままアメリカに追随して世界の嘲笑(ちょうしょう)を受け続けているべきではない!
身を張ってアメリカの暴走を止め、世界の喝采(かっさい)を受けるべきであろう!
それでもアメリカが聞かなければ、見切りをつけるしかあるまい。いずれ「薩長(さっちょう)勢力」は、「江戸幕府」をしのぐことになるであろう。
日本は「会津(あいづ)」になるべきではない。最悪でも「尾張」になるべきである。
「2004年6月号 ヤミ味」において、私は小泉首相が北朝鮮に突入した行動を越後の飛竜・上杉謙信と並べ比べた。
が、首相と謙信には根本的な違いがある。
それは、首相は進むことはするが、退くことはしないことである。
このことは進みもしなかった今までの多くの首相と比べれば、すごいことではあるが、過ぎたるは及ばざるが如し、端からは結果的に何もしていないように見えてしまう。
数年前まで日本の首相は日めくりカレンダーのようにコロコロ替り、外国人はおろか、日本人ですら今の首相が誰なのか分からない時期があった。
が、今の首相は違う。日本人はおろか、テロリストからも「ノー、コイズミ」と罵声(ばせい)を浴びせられるほどの存在になった。ただ、存在感が増しただけで、よく思われているわけではない。
「テロリストに屈してはならない」
首相は言い続けているが、撤退はテロリストに屈したことにはならない。
撤退は、断固として敗退ではない。
撤退は、次なる勝利までの布石の一つである。
織田信長は、越前金ヶ崎(かねがさき。福井県敦賀市)で撤退したため、そこで滅びることはなかった(「大雪味」参照)。
豊臣秀吉は、徳川家康との戦いを止めたため、天下を取ることができた。
徳川家康は、一度撤退したため、大坂城を落とすことができた(「籠城味」参照)。
越前の戦国大名・朝倉義景(あさくらよしかげ)は、撤退してはいけないときに撤退し、撤退しなければならないときに撤退してしまったため、滅んでしまった(「大雪味」参照)。
駿河の戦国大名・今川義元は、頑固に撤退しなかったため、無様に討たれてしまった(「最強味」参照)。
「こんなはずはない! このオレサマが、こんなヤツに負けるはずがない! 絶対、撤退なんてしてたまるかーっ!」
そんなくだらない意地は、取り返しのつかない地獄の底へと突き落としてしまうだけだ。
日本は今こそ、考えるべきであろう。
イラク問題を解決するにはどうしたらよいか?
拉致問題を解決するにはどうしたらよいか?
東アジア諸国とのミゾをなくすにはどうしたらよいか?
国際的に日本の地位を向上させるにはどうしたらよいか?
国連の常任理事国を目指すにはどうしたらよいか?
道路公団や郵政公社の民営化を円滑に進めていくにはどうしたかよいか?
景気をよくするにはどうしたらよいか?
天文学的な国の借金を減らしていくにはどうしたらよいか?
日本が体を張ってアメリカを撤退させることが、これらすべての面において好転することは明らかであろう。
やるなら今のうちである。アメリカがイラクにいるうちだけである。
いずれアメリカは撤退に追い込まれるであろう。それではダメなのだ! それではアメリカは完全に敗退したことになってしまう!
日本は今こそ立ち上がるべきであろう!
「日本が大国アメリカを動かした!」
「国連もEUもできなかったことをやってのけた!」
「日本がイラクや世界に平和をもたらした!」
「お礼にみんなで日本の製品を買おうではないか!」
こうなれば、日本が外国からなめられることはない。
そして、いざなぎ景気やバブル景気をもしのぐ、真のウハウハの好景気がやってくることであろう。
もしやらなければ、日本は沈むだけである。
というわけで今回は上杉謙信による撤退のお手本をお届けしたい。
読者は不思議に思われるかもしれない。
「戦って負けることのなかった謙信が、撤退なんてしたか?」
先にも言ったように撤退は敗退ではない。謙信は無駄だと分かった戦いは早々と切り上げて撤退したため、負けなかったのである。
永禄四年(1561)九月十日の戦いもそうであった。
そうである。甲斐の蹲虎(そんこ)・武田信玄と死力を尽くして戦った「第四回(第四次)川中島(かわなかじま)の戦」である。
川中島の戦は五回あったとされているが、中でもこの戦いは、死傷者の割合において日本史上最大の激戦となった。謙信はこの戦いで、チョウのように舞い、ハチのように刺し、脱兎(だっと)のごとく逃走したのである。
川中島の戦は、甲州流(こうしゅうりゅう。武田流・信玄流。祖は山本晴幸)・越後流(謙信流・宇佐美流。祖は宇佐美定行)それぞれの軍学者によって世間に流布され「戦国時代の事実上の決勝戦」として広く知られるようになった。
「2002年7月号 最強味」において、私は今川義元を戦国史上最強の武将に挙げた。
しかしそれは、軍事・政治・経済・文化、総合的な観点から彼を最強としたのであり、軍事だけとれば、やはり謙信と信玄が突出していたに違いない。
そもそも義元は、大敵とは戦わなかった。
「戦わずして勝つ」
それが義元の主義であった。だからこそ、武田信玄や相模の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)、強大名とは仲良くして勢力を温存し、雑魚どもが割拠していた京都(つまり天下)をねらったのである。
信玄もまた、義元とは戦おうとしなかった。
「義元は強そうだから」
で、信濃へ進出し、謙信と戦うことを選んだ。
「謙信は義元よりも弱いだろう」
が、謙信はめっぽう強かった。
「謙信は義元以上かもしれない」
永禄三年(1560)、義元は桶狭間の戦で、あっけなく織田信長に敗死してしまった(「最強味」参照)。
信玄は衝撃だったであろう。
「ひょっとして、義元ってハッタリだったの?」
でも、いまさら後には引けなかった。彼は謙信との戦いに、血湧(わ)き肉躍らせるようになってしまっていたのである。
「命のやり取りをするのに、謙信ほどの男はほかにいない」
後から思えば、信玄は義元敗死の虚を突き、すぐに駿河に侵攻すべきであった。そうすれば彼は天下を手中にできたであろうに。
なのに謙信の存在が、彼をそうさせなかった。
「京都に向かえば、ヤツとはもう戦えなくなる。天下をねらう前に、ヤツと決着をつけておきたい」
人は時として、何の利益にもならないことに命をかけたがるものである。後世の人から何と言われようと、信玄にしてみれば、謙信との戦いは天下以上のものだったに違いない。
第四回川中島の戦――。
信玄にとってこの戦いは、生涯最大の思い出になったことであろう。
[2004年12月末日執筆]
参考文献はコチラ
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【上杉政虎(謙信)】うえすぎまさとら(けんしん)。越後春日山城主。
【宇佐美定行】うさみさだゆき。良勝・定満。政虎の軍師。越後琵琶島城主。
【柿崎景家】かきざきかげいえ。政虎の家来。上杉軍先鋒。
【 某 】上杉軍の偵察。
【足軽某】上杉軍の足軽。
【高坂昌信(虎綱)】こうさかまさのぶ(とらつな)。信玄の家来。信濃海津城主。弾正忠。
【馬場信房(信春)】ばばのぶふさ(のぶはる)。信玄の家来。民部少輔。
【飯富虎昌】おぶとらまさ。信玄の家来。信濃内山城主。兵部少輔。
【原 胤歳】はらたねとし。信玄の家来。足軽大将。大隅守。
【快川紹喜】かいせんじょうき・しょうき。甲斐恵林寺住職。信玄の師。
【武田義信】たけだよしのぶ。信玄の長男。
【武田信繁】たけだのぶしげ。武田軍先鋒。典厩。信玄の弟。
【山本晴幸(勘助)】やまもとはるゆき(かんすけ)。信玄の軍師。
【武田信玄】たけだしんげん。甲斐躑躅ヶ崎館主。
● 川中島の戦 ● | ||
回数 | 合戦年月 | 備考 |
第1回 | 天文二十二年(1553)八月 | 信玄、村上義清を追って川中島を奪うが、謙信が川中島を奪還。 |
第2回 | 天文二十四年(1555)七月 | 謙信と信玄、四か月対陣するが、今川義元の調停で両軍撤退。 |
第3回 | 弘治三年(1557)二〜八月 | 信玄、川中島を奪い、謙信と上田原で交戦。 |
第4回 | 永禄四年(1561)八〜九月 | 史上最大の激戦。謙信と信玄が一騎討ちを行う? |
第5回 | 永禄七年(1564)八月 | 信玄、野尻城を攻略するが、謙信に奪還され、最後の対陣。 |
※ 合戦数は渡辺世祐説による。 ※ 田中義成説では1555・1561年の2回のみ。 ※ 『甲陽軍鑑』には1547-1561年間に12回あったとある。 |