1.出陣! 春日山!

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日本は何をすべきか?
1.出陣! 春日山!
2.対陣! 川中島!
3.合流! 海津城!
4.必殺! キツツキ戦法!
5.看破! 妻女山脱出!
6.恐怖! 車懸の戦法!
7.突撃! 最後の手段!
  

 上杉政虎は怒っていた。
 政虎とは、後の謙信
 永禄四年(1561)閏三月、それまで長尾景虎
(ながおかげとら)と名乗っていた彼は、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう。神奈川県鎌倉市)で上杉憲政(のりまさ)から関東管領を譲られ、上杉政虎と改名していた。

上杉謙信 PROFILE
【生没年】 1530-1578
【別 名】 虎千代・長尾平三景虎・上杉政虎・上杉輝虎
【出 身】 越後国春日山(新潟県上越市)
【本 拠】 越後春日山城(新潟県上越市)
【職 業】 戦国大名(越後等国主)
【役 職】 関東管領(1561-1578)
・越後守護代(1548-1578)
・弾正少弼・越後守
【位 階】 従五位下
【 父 】 長尾為景(越後守護代)
【 母 】 虎御前
【義 父】 長尾晴景・上杉憲政(関東管領)
【 兄 】 長尾晴景
【 姉 】 仙徳院(長尾政景室・上杉景勝生母)
【妻 子】 ナシ
【養 子】 上杉景勝・上杉景虎
【主 君】 上杉定実・足利義輝・足利義昭ら
【 師 】 天質光育ら
【部 下】 宇佐美定行(定満)・本庄実乃・直江景綱(実綱)
・大熊朝秀・柿崎景家・新発田長敦・安田長秀
・竹俣慶綱・甘粕長重・北条高広・金津義舊ら
⇒上杉二十五将
【仇 敵】 武田信玄・北条氏康・織田信長ら
【墓 地】 林泉寺(新潟県上越市)
・金剛峰寺(和歌山県高野町)
【霊 地】 上杉神社(山形県米沢市)
・春日山神社(新潟県上越市)
・善光寺(長野県長野市)

 政虎は目を閉じていたが、眉間(みけん)のしわは波打っていた。
 額の汗を揺らし、仏像の前で手を合わせ、必死になって祈っていた。
「勝利を!」
 仏像は、毘沙門天
(びしゃもんてん)
 北方の守護神であり、戦いの神である。
 現在では自衛隊の装甲車にも「毘」とあるので、御存知の方も多いであろう。

 政虎は、居城・春日山(かすがやま。新潟県上越市)城内に設けた毘沙門堂で、戦勝を祈願していた。
「今度こそ、極悪人・信玄を討たせたまえ! 信玄信濃の平和を乱しました! 実父・武田信虎
(のぶとら)を追放して家督を奪ったヤツは、その義弟・諏訪頼重(すわよりしげ)を殺し、その娘を手込めにし、信濃守護・小笠原長時(おがさわらながとき)や、北信濃領主・村上義清(むらかみよしきよ)らを追い、信濃の大半を我がモノにしました! 罪なき多くの人々がヤツの忌まわしき欲望のために不幸になり、死んでいきました! 小笠原や村上らは、我を頼りました。我は正義のために信玄と戦い始めました。しかし、いまだにヤツを滅ぼすことができません。正しき者は、救われなければなりません! 壊れた秩序は取り戻さなければなりません! どうか、我に力をお貸しください! 我が軍に大勝利をお与えください! 大悪人信玄に、何とぞ天誅(てんちゅう)を!」
 政虎はそう叫ぶと、大きな杯を持ってきた。
「タダでとは申しませーん」
「春日盃
(かすがはい)」と呼ばれる大杯である。そしてそれになみなみと酒を注いで提案した。
「これをイッキに飲み干すことができたら、どうか我の望みをかなえてください」

 政虎は酒豪であった(「朦朧味」参照)
 超がつくほどの大酒飲みであった。
 政虎は春日盃を抱え上げると、ゴクンゴクンのどを鳴らし、それを一気に傾けて飲み干して見せた。
「ぷはぁー!」
 政虎は毘沙門天に空の春日盃を差し出して見せて、ニヤリとした。そうかと思ったら「カッカ」と高笑いした。
 政虎は毘沙門堂を出ると、群がる全軍に告げた。
「勝てるぞ! 毘沙門天は今日も我に味方した! 運は我にあり! 勝利は我が軍にあり! 今度こそ極悪人信玄を討ち、信濃に平和と秩序を取り戻すのだっ!」
「おおー!」
 兵たちは大歓声を上げた。

 永禄四年(1561)八月十四日、政虎は春日山城を出発、川中島へ向かった。総勢一万三千。

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