3. 寛 蓮 vs下々のみなさん | ||||||||||||||
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翌日、醍醐天皇は内裏に寛蓮を呼びつけた。
「今日も碁の対局をしたい」
「望むところですが……」
前日、黄金の枕を「強盗」に盗られていた寛蓮は元気なかった。
知っているのに醍醐天皇が聞いた。
「どうした?何かあったか?」
「いえ、べつに」
「黄金の枕の寝心地はどうだ?」
「ううう……」
天皇からいただいたものを盗られたなんて言えなかった。
蔵人らが碁盤と碁石を用意した。
二人は碁盤を挟んで座った。
「師の本気を出させるために本日も賭け対局とする。朕が負けたらこれをやろう」
蔵人が賞品を持ってきた。
「ジャーン!」
かぶせてあった布を取ると、そこには黄金の枕があった。
「え?」
寛蓮は目をこすった。
そこには見たことのある枕があった。前日に盗られたのとそっくりの、寸分たがわない黄金の枕であった。
「ええー!?」
寛蓮は目を皿にして首をかしげた。思わず聞かずにはいられなかった。
「これって、ま、まさか、昨日、私が頂いた黄金の枕では?」
「違うぞ」
醍醐天皇は即座に否定した。
「だって、昨日、陛下はおっしゃってましたよねー?これは、『この世に二つのない純金製の枕だ』って。二つとないものが、なぜここに?」
「ところが、二つとあったのだ」
「?、?、?」
「どうした?真剣勝負、やるのか?やらないのか?」
寛蓮に考えている暇はなかった。
「やります〜、やります」
どちらにせよ、勝てば黄金の枕は自分のものとなるのである。
そしてその日の対局も寛蓮は勝った。
「では、いただきまーす」
寛蓮は黄金の枕を大事に抱えて帰っていった。
「またやられましたね〜」
三善清行が笑うと、醍醐天皇は
「負けたとはいえ、真剣勝負は最高だ。またやりたい!」
「でももう賞品がありません」
「フッフッフ。朕には策がある」
「!」
清行は嫌な予感がした。
「下々のみなさん。ちょっとちょっと」
案の定、醍醐天皇は蔵人たちを集めて命令した。
「おまえたち、強盗になれ」
その翌日も、醍醐天皇は内裏に寛蓮を呼びつけた。
「今日も碁の対局をしたい」
「望むところですが……」
「今日も賭け対局の真剣勝負だ。師の本気を出させるための賞品を用意した。これだ!」
ジャーン、と出てきたのは、またまた黄金の枕であった。
「……」
これには寛蓮の青筋が立った。
が、すぐにそれを引っ込めて闘志に変えた。
「では、とっとと対局しましょうか」
寛蓮は、うっぷん晴らしとばかりにコテンパンに醍醐天皇をたたきのめした。
そして、
「ではでは枕はいただきます」
と、黄金の枕を風呂敷に包んで猛ダッシュで家に帰ろうとしたが、石につまずいて転んだところを「下々のみなさん強盗」に取り囲まれ、結局、奪われてしまった。
この繰り返しが何度も行われた。
寛蓮が勝って黄金の枕をいただいて帰るたびに「下々のみなさん強盗」が登場、翌日、平然と賞品として黄金の枕が展示されているのである。
さすがの寛蓮もピリピリ来ていた。
(帝もお人が悪い!毎日毎日こんな繰り返しを、いったいいつまでやらせる気だ!)
考えなくても分かっていた。醍醐天皇が勝つまでであろう。
醍醐天皇が公然と黄金の枕を取り戻すまで、半永久的に続けられるのである。
(そうはさせるものか!)
そこで寛蓮は一計を案じた。
(よし、明日で終止符を打ってやる!)
寛蓮の決めた最終決戦の日がやって来た。
いつものように醍醐天皇に内裏へ呼ばれ、黄金の枕を賞品として賭け対局した。
そしてその日も寛蓮が勝ち、黄金の枕をいただいた。
(これからが本当の勝負だ!)
そうである。
寛蓮にとって、もはや醍醐天皇は敵ではなかった。
帰途で待ち伏せている「下々のみなさん強盗」こそが真の敵であった。
(今日はどこで襲ってくるかな?)
「下々のみなさん強盗」が襲撃してくる時と場所は決まっていない。
その日はまだ内裏を出る前に登場した。
「ちわ〜っす」
常寧殿(じょうねいでん)と承香殿(しょうきょうでん)の間の土間「后町の廊(きさきまちのろう)」で待ち伏せていたのである。
「よう、ニーチャン。いいもん持ってるじゃねえか。よこせよ!」
聞きなれた声である。
「イヤだねっ」
「イヤと言うなら、強引に盗る!」
「下々のみなさん強盗」は一斉に襲いかかってきた。
寛蓮はニヤリとすると、近くにあった井戸「后町の井」に黄金の枕を投げ込んだ。
ひゅーん!
ボッチャーン!
「下々のみなさん強盗」は驚いた。
「ああっ、なんてことを!」
「早く拾えよ!」
「井戸が深すぎて見えませーん」
「あれはこの世に二つとない金の枕だ!何としても拾い上げるのだ!」
「わははは!」
寛蓮は大騒ぎを尻目に、悠然と家に帰ってやった。
「残念でした。実は捨てたのは偽物で、本物は懐に隠していたんですよ〜だっ」
後日、井戸の中から木に金箔(きんぱく)を貼っただけの枕が引き上げられた。
寛蓮は黄金の枕の一部を削ったものを元手として仁和寺(にんなじ。京都市右京区)のそばに寺を建立したという。
そして残りの枕は、彼の棺桶(かんおけ)の中で今でも眠っているという。
[2013年11月末日執筆]
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