1.日本の妻 | ||||||||||||||
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昔、中国は先進国であった。
高度な文明を誇った古代王朝・唐は、周辺国家群からの羨望(せんぼう)の的であった。
当時の日本は、
「かよえ!チューゴク」
とばかりに多数の留学生や留学僧などを派遣、その最先端の文物を吸収しようとした。
これすなわち遣唐使である。
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現在の難波(大阪府大阪市)周辺 |
「わしは帰ってきた……」
摂津難波(なにわ。大阪府大阪市)へ帰航する遣唐使船の中に、感慨深げな壮年男がいた。
「十七年ぶりの日本だ」
時は天平六年(734)。この男、養老元年(717)に入唐していた。
その間、政治学・宗教学・文学・天文学・数学・兵学・音楽などを極め、碁の達人にもなっていたのである。
「これら諸学諸芸は今後のわしの糧になる。わしには出世が待っている。ヒッヒッヒ」
男の名は下道真備。後の吉備真備である。
真備が平城京の自宅に帰ると、妻と子が出迎えた。
「お父さん!」
「あなた!」
娘の名は下道由利(ゆり。「奈良味」参照)。
入唐時は生まれたばかりであったが、もう年頃の娘になっていた(娘ではなく妹とも伝えられている)。
一方、妻の名は伝わっていない。
妻がベタベタ泣きべそになった。
「さびしゅうございました」
「ああ。わしもだ」
「十七年ですよ、十七年〜」
「ああ。これからはもうずっと一緒だ」
由利が聞いた。
「唐の食べ物って、おいしかった?」
「珍しい物ばかりで、何でもおいしかったな」
「ふーん。唐の都って、平城京より大きいの?」
「大きいよー。それに、建物も、内装も、服装も、調度品も何から何まできれいだった」
「女の人もですか?」
口を挟んだのは妻である。
「うん。きれいだった。――でも、唐の女が美しいのは服装や髪形や化粧に凝っているからだ。中身は日本の女と全然変わらないよ」
「中身も見たんですか?」
「!」
「ですよね〜。周りにきれいな女がたくさんいるのに、十七年間も禁欲し続けていられる男なんているわけないですよね〜」
「……」
図星であった。
真備は必死で弁解した。
「ところが、ここにいるんだなっ。誤解するな。わしは唐に女遊びに行ってきたわけじゃない。将来の出世のため、諸学諸芸に切磋琢磨(せっさたくま)してきたんだ。ウソじゃない!わしはお前に会う前の二十何年、完全無欠の童貞であった!そのカタブツのわしがたった十七年ぽっち禁欲するくらいたわいのないことだ!唐のオンナ?なんじゃそりゃ!毎日毎晩勉強に忙しすぎて、そんなもん、脳ミソの片隅にも思いつきもしなかったぜ!ヒャッハッハ!」
「……」
何とかごまかせた、と、真備は思った。