1.流れ芸人の子

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裏金
1.流れ芸人の子
2.宝の山を発見する方法
3.再就職と出世
4.本多正信の壁
5.そして飽くなき欲望

 大久保長安は天文十四年(1545)に甲斐で生まれた。
 幼名は藤十郎
(とうじゅうろう)といい、信之丞(しんのじょう)という兄がいた。
 父は大蔵太夫
(おおくらだゆう)武士ではなく、芸人であった。
 大和四座の一つ・金春座猿楽師で、諸国をめぐっていうちに甲斐に居着いたのであろう
(実は芸人は仮の姿で、忍者だったという説もある)

大久保長安 PROFILE
【生没年】 1545-1613
【別 名】 大蔵藤十郎・土屋藤十郎
・大久保十兵衛・大久保石見守
【出 身】 甲斐国(山梨県)
【本 拠】 甲斐府中(山梨県甲府市)
→武蔵八王子(東京都八王子市)
→武蔵江戸(東京都)
→駿河府中(静岡市)
【職 業】 山師・幕臣
【役 職】 代官頭(1590-1613)
・甲斐国奉行(1600-1613)
・奈良町奉行(1600-1613)
・美濃国奉行(1600-1613)
・大津町奉行(1601-1613)
・石見銀山奉行(1601-1613)
・佐渡金山奉行(1603-1613)
・伊豆金山奉行(1606-1613)
【 父 】 大蔵大夫(猿楽師)
【 兄 】 大蔵(土屋)信之丞
【 子 】 大久保藤十郎・藤二郎・権之助
・運十郎・藤五郎・権六郎・藤七郎ら
【主 君】 武田信玄・徳川家康・松平忠輝
【後 援】 土屋直村・大久保忠隣
【部 下】 大久保山城・宗岡佐渡・吉岡出雲
・山村甚兵衛・米津親勝ら
【仇 敵】 本多正信・彦坂元正ら
【墓 地】 大安寺(新潟県佐渡市)
大安寺(島根県大田市)

 家はビンボーであった。日々の食べ物にも困っていた。
「ご飯まだ?」
「今日はないよ」
「明日は何?」
「明日もないよ」
「こんな生活、いやだっ!」
 キレたのは、兄の信之丞。
「オレはサムライになるんだっ! サムライになって、大金持ちになって、毎日うまいメシを腹いっぱい食いまくるんだ!」
 信之丞は家を飛び出した。
 藤十郎も兄についていった。
「ボクも大金持ちになるんだっ」

 当時、甲斐には有名な戦国大名がいた。
 御存知、武田信玄である。
 信之丞は言った。
「オレは腕っ節の強いところを見せ付けて、武田のお館サマに取り立ててもらうんだ」
 藤十郎も言った。
「じゃあ、ボクも」
 信之丞は笑った。
「おまえはダメだ」
「なんで?」
「弱いから。力がないから、不採用だ」
「そんなことないよ」
「まあいい。オレが採用されれば、お前だっていい暮らしができるさ。何しろオレは大金持ちになるんだからなっ」

 信玄は、湯村温泉(ゆむらおんせん。山梨県甲府市)・下部温泉(しもべおんせん。同県下部町)・増富温泉(ますとみおんせん。同県北杜市)など、いくつか隠し湯を持っていた。
 家来に内緒で、一人でこっそり入っていたこともあったわけだ。
 信之丞はその一つを突き止めていた。湯に浸かって、信玄が来るのを待った。

 何日かして、信玄はやって来た。
 信之丞は待ってましたといわんばかりに駆け寄って頼み込んだ。
「お願いします! オレたちをサムライにしてください!」
 信玄は無言で湯に浸かった。
「ふう」
 息をつくと、気持ちよさそうに手ぬぐいで顔をふいた。
「お願いします、お館サマ、何でもしますから、オレたちにゼニをください! メシを食わせてください!」
 湯の中がやけに騒がしいため、家臣の土屋直村
(つちやなおむら)が岩ごしに尋ねた。
「お館様、サルでもいるんですか?」
 信玄が笑って直村に命じた。
「このサルどもを、お前の養子にせよ」

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