3.再就職と出世 | ||||||||||||||
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ある日、無職の藤十郎のもとに来客があった。いかつい中年男であった。
「土屋藤十郎さん。あんた、カネ持ってますね?」
「なんだよ、いきなり」
残党狩りかと勘違いした藤十郎が警戒して刀の柄に手をかけると、中年男は、
「まあまあ。拙者、徳川の家臣・大久保忠隣(おおくぼただちか)と申す者だ。実はウチの殿(徳川家康)が武田家の埋蔵金について知りたいと――」
甲斐は天正十年(1582)七月に家康の領地になっていた。
藤十郎は、すっとぼけた。
「まいぞーきん? 何それ?」
「とぼけたって分かっているんだ。あんたは武田家の金銀山の経営を取り仕切っていたそうじゃないか。莫大な埋蔵金を隠したのは、あんただ」
「……」
「まあいい。言いたくなければ無理強いはしない。ただ、いくらカネを持っていても、職がなければ減る一方。――どうだ?
徳川で働く気はないか? ウチの殿はあんたの山師としての才能を買っておられる。実のところ、あんたが隠している金銀なんてどうだっていいんだ。それよりも殿は、これから掘れる何百倍何千倍という金銀のほうが欲しいんだ。これからの殿はカネがいる。そのためには、あんたの力が必要なんだ」
「……」
「こういっちゃなんだが、ウチの殿は天下を取られるお方だ。殿が天下を取れば、北条氏政(ほうじょううじまさ)領の伊豆金山(静岡県伊豆市)も、上杉景勝領の佐渡金山も、毛利輝元領の石見銀山も、全部あなたが掘り放題。持ってけドロボー、独り占め」
藤十郎はニヤニヤした。
「全国の金銀山が、みんなボクの思うがままに……」
忠隣はニヤリとした。さらにあおった。
「そうだとも!どうだ? 腐るほど飽きるほど捨てるほど金銀まみれ生活をしたくはないか?
土屋さん、金持ちどころの話じゃないぞ。純銀で造った城に住み、砂金の海で泳いだりすることだってできるんだぞ」
「へへへ! きゃっきゃっ!」
藤十郎は奇声を上げて笑った。まんまと乗せられてしまった。
「よし! ボクは金持ちになるんだ!」
「土屋さん、その意気だ!」
忠隣が付け足した。
「ところで土屋さん。拙者を貴殿の養子にしていただけんか?」
藤十郎は怒り出した。
「まるっきり財産ねらいじゃねーか!」
「ばれたぁ〜? じゃあ、土屋さんが拙者の養子になるというのはどうだ?」
「それならいい」
こうして藤十郎は忠隣から大久保姓をもらった。ついでに名も改め、大久保十兵衛長安(おおくぼじゅうべえながやす)と名乗るようになった。
天正十八年(1590)七月、天下を統一した豊臣秀吉は、家康に国替えを命じた。
三河・遠江・駿河・甲斐・信濃五か国の領主だった家康を、武蔵・相模・伊豆・上総・下総・上野六か国の領主にしたのである。
「どうじゃ。一国、増やしてやったぞ」
秀吉はカラカラ笑ったが、家康には彼の魂胆が分かっていた。
(『おまえなんか、遠くに行ってしまえ』と、言いたいんじゃろう)
でも、口では、
「うれしいでござる〜」
と、喜んでいるふりをした。
本拠に定めたのは、御存知、武蔵江戸城(現皇居。東京都千代田区)である。
引越後、家康は、四人の代官頭(だいかんがしら。地方官の親玉)を任命した。
伊奈忠次(いなただつぐ)、彦坂元正(ひこさかもとまさ。元成)、長谷川長綱(はせがわながつな)、そして大久保長安である。
「稼ぐぞ〜」
長安は武蔵八王子(はちおうじ。東京都八王子市)に陣屋を設けると、関東十八代官(十八人の地方官)・八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん。国境警備隊)を統轄、検地や家臣団の配置替えなどを精力的に行った。
また、これは後の話だが、家康にくどいほど道路の重要性を訴え、東海道・中山道・青梅(おうめ)街道など主要道路を整備、一里塚や伝馬(てんま。レンタル馬)の設置を実現させた。
「長安様、お仕事ありがとうございます」
「これからもお願いしますよ。えへえへ」
見返りとして多くのゼニが長安のもとに集まったことは言うまでもない。
長安は、元祖「道路族」でもあったのだ。
この仕事の折、長安が家康に聞いた。
「上様、一里塚の上には、どのような木を植えたらよろしいでしょうか?」
そこまで考えてなかった家康は「良い木」という意味で、
「良(え)え木を植えよ」
と、なまって答えておいた。
これを長安が聞き違えて「榎(えのき)」を植えさせたという。
※ ただしこの逸話は、三代将軍・徳川家光と、大老・土井利勝(どいとしかつ)のものとも伝えられている。