4.本多正信の壁 | ||||||||||||||
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慶長五年(1600)九月、徳川家康は美濃関ヶ原(せきがはら。岐阜県関ヶ原町)で石田三成ら率いる豊臣方を撃破(関ヶ原の戦。「変節味」参照)、その三年後には征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開いた(二年後に三男秀忠に将軍を譲る)。
上杉景勝も毛利輝元も豊臣方に付いて敗れたため、佐渡金山も伊豆金山も石見銀山も、すべて家康のものになったのである。
大久保長安はワクワクしていた。
「ボクにはいったいどの山が任されるのかな?
できれば、銀より金がいいな」
すでに長安は、甲斐・美濃・大和などの天領の支配も任され、それなりに稼いでいたが、一番気になるのはそれらの宝の山々であった。
翌慶長六年、そのうち一つが長安に任された。
石見銀山であった。
「ちぇっ。銀のほうか……」
長安は不満だった。銀山と石見の天領の支配を任されたのだが、どうもおもしろくない。
それは、ライバルの代官頭・彦坂元正が伊豆金山を任されたからであった。
「なんでボクが銀であいつが金なんだ。才能はボクのほうが上じゃないか」
長安はどうして家康がそんな人事をしたのか理解できなかった。
そのとき、長安の脳裏に、一人の大物の顔が浮かび上がった。
家康の側近中の側近、徳川官界のボス・本多正信(ほんだまさのぶ)である。
長安はひらめいた。
「ははぁ。さては彦坂め、本多にゼニでも積んだな」
長安は勝手にそう解釈すると、悪いことを考えた。
「そうだ。ボクも積みに行けばいいんだ!」
長安は正信にゼニを積みに行った。
「本多様、今日はいいものを持参しました」
ずっしりと重い砂金入りの饅頭(まんじゅう)箱を差し出したのである。
ところが、正信はそういうものが大嫌いな男であった。
「長安殿。何か勘違いしておらぬか?」
「はあ?」
正信は饅頭箱を蹴(け)っ飛ばした。砂金がパァッと黄砂のように舞った。
「貴様。カネですべてのものを動かせると思うなっ」
正信はそう吐き捨てると、肩を怒らせて出て行った。
しばらく呆然としていた長安は、
「もったいない! もったいない!」
と、思い出したようにぶち巻かれた砂金を拾い集めた。
そして、心の底からしぼり出すように言った。
「見ているがいい。今にボクはカネですべてのものを動かしてやるんだっ!」