1.遺産相続 | ||||||||||||||
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国生みの神・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は高天原(たかまがはら)にて没しようとしていた。
高天原というのは、先述したように九州を中心とする西日本と推定しているが、この当時の勢力範囲は北部九州であったと思われる。おそらく伊弉諾尊は倭国内で有力な国王だったのであろう。
で、彼が倒れたことによって、有名な倭国大乱が起こったのではあるまいか?
「俺はもう長くはない……」
伊弉諾尊は三人の後継者を呼んだ。
記紀で伊弉諾尊の子とされる太陽の女神・天照大神、月の神・月読尊(つくよみのみこと)、荒ぶる神・素戔嗚尊(すさのおのみこと。須佐之男命)の三神である。
しかし、私はこの三人は実の姉弟ではないと考えている。
後に述べる「誓約」からも考えにくいし、第一、その出生の状況からして異様だからである。
伊弉諾尊の妻は伊弉冉尊(いざなみのみこと)であるが、この三神は母からではなく、なんと父から産まれているのである!
子供に、
「お父さん。私たちのお母さんってどこにいるの?」
と、聞かれて、
「え……、うーんうーん。お前たちのお母さんは、実はこのお父さんなんだよ」
なーんてありえないことを答える父親には、何かやましいことがあるに決まっているのである。この場合のやましいことというのは、妻がいっぱいいたということではあるまいか?少なくとも三神は伊弉冉尊からは産まれてはいまい。異母姉弟か義姉弟だったはすである。
病の床で伊弉諾尊は三人に遺言した。
「天照には天を、月読には夜を、素戔嗚には海を譲る」
これも現実的ではない。
では、現実的な分配は、どのように行われたのであろうか?
私は当時の高天原、つまり、北部九州を分割したのではないかと考えている。
具体的には以下のとおり。
天照大神 | → | 日の国 |
月読尊 | → | 月の国 |
素戔嗚尊 | → | 海の国 |
日の国は肥(ひ)の国、つまり、後世の肥前・肥後に相当するであろう。
月の国は筑紫(つくし)の国、つまり、後世の筑前・筑後に相当するであろう。
海の国はその北に広がる玄界灘(げんかいなだ。福岡県・佐賀県。長崎県)。海だらけであるが、壱岐・対馬などの島々は与えられたと思われる。
天照大神と月読尊はそれぞれの国を治めたが、素戔嗚尊は不満であった。
「オレだけ陸地が少ねーじゃねーかあー!こんなの不公平だー!」
素戔嗚尊は泣いて怒って国政を放棄した。
そのため海の国は荒れ、悪人天国になってしまった。
伊弉諾尊は嘆ぎ、素戔嗚尊に尋ねた。
「どうしてお前は国を治めないのだ?」
すると素戔嗚尊は、
「オレは死んだ母さん伊弉冉尊のいる根の国に行きたいんだー!」
と、答えたため、伊弉諾尊の怒りを買って高天原を追放されたという。
これもまた変である。
なぜ素戔嗚尊は実の母でもない伊弉冉尊を慕っているのであろうか?
記紀の記述からしても、彼の出生は伊弉冉尊の死後であり、まったく会ったことのない赤の他人のはずである。それなのになぜその赤の他人のもとに行きたがるのであろうか?
これも伊弉冉尊が死んでおらず、いまだ生存しており、「敵国」に亡命したと考えれば納得できる。
つまり、素戔嗚尊が主張したのは、
「オレも義母のように『敵国』に亡命してやるー!」
だったのであろう。そのため、伊弉諾尊の逆鱗(げきりん)に触れて追放されたのではあるまいか?
ところで、敵国・根の国とはどこであろうか?
高天原を治める天神族の敵国とは、地祗族に違いない。
具体的に言えば、南部九州にあった「クマソの国」か、山陰・北陸にあった「イズモの国」と思われる。詳細はいずれ別の味のときに検証したい。
追記であるが、九州には昔、「豊(とよ)の国」もあった。
後世の豊前・豊後であるが、この当時はまだ月の国に属していたと思われる。
ちなみ豊の国の名前の由来は、卑弥呼の後継者・台与である。