2.恐怖政治 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2012>2.恐怖政治
|
斯波高経 PROFILE | |
【生没年】 | 1305-1367 |
【別 名】 | 孫三郎・足利高経・尾張高経 修理大夫・玉堂・道朝 |
【本 拠】 | 京都三条高倉・越前国(福井県) |
【職 業】 | 武将 |
【役 職】 | 管領後見・越前・若狭守護 |
【位 階】 | 従四位下or正四位下 |
【 父 】 | 斯波(足利)宗氏or家貞 |
【 母 】 | 長井(大江)時秀女 |
【 妻 】 | 二階堂時綱女 |
【 子 】 | 斯波家長・氏経・氏頼・義将・義種 |
【兄 弟】 | 斯波家兼 |
【主 君】 | 足利尊氏→足利義詮→足利義満ら |
【仇 敵】 | 細川清氏・斯波高経ら |
【作 品】 | 立花口伝大事 |
【没 地】 | 杣山城(福井県南越前町) |
細川清氏を追い落とし、管領の実父として事実上の幕府のボスとなった斯波高経の権勢は絶大であった。
康安二年(1362)七月、讃岐白峰(しらみね。香川県坂出市)で清氏が細川頼之(よりゆき。「戦争味」参照)に敗死し、貞治二年(1363)には、南朝方の大内弘世(おおうちひろよ)と山名時氏(やまなときうじ。「山名氏系図」参照)が幕府に投降した。
同年、高経は五男・斯波義種(よしたね)を小侍所に、孫・斯波義高(よしたか)を引付頭人に登用、貞治四年(1355)には義種を侍所頭人に昇格させて一門の権力基盤を固めた。
また、
「幕府の力を強化させるために増税する!」
として、それまで五十分の一だった段銭・棟別銭の税率を二十分の一に引き上げた。
これには諸大名が怒った。
「増税だと!」
「戦乱続きでみんなが困っているこの御時世に幕府は何を考えているんだ!」
「中央集権国家反対!」
これら不満分子を高経は徹底して弾圧した。
微罪ですら厳罰で対処したのである。
もちろん、急先鋒である高氏にも魔の手は伸びた。
高氏は幕府から五条橋を架けることを命じられていたが、のんびり工事をしていたため、
「遅い!もういい!拙者がやる!」
と、仕事を取り上げられた。
そして、数日のうちに橋を完成させた高経は、高氏をしかりつけたのである。
「こんなに早くできるものを、貴殿は今まで何をタラタラ怠けていたのか!罰として荘園一か所没収!」
「そんな〜」
罰を受ける度に領地を減らされていく高氏はおもしろくなかった。
「斯波さまは仕事ができるけど、佐々木さまはグータラ」
京の人々に指差されて笑われるのも、腹が立ってならなかった。
「悪政だ!恐怖政治だ!」
高氏のもう一人の娘婿・赤松則祐(あかまつそくゆう。「赤松氏系図」参照)も被害者であった。
「私も領地を減らされました。私は将軍御所の造営を任されていたんですが、工費の納入が少し遅れただけで……。ウッウッ……」
「もう我慢できない!オレが高経にギャフンと言わせてやる!」
「ギャフン?」
「来たる三月四日、高経は将軍御所にて花見の宴を開く」
「知ってますよ。私も招待状をいただきました」
「その時に事を起こすのさっ」
則祐は不安がった。
「事って何ですか?ま、まさか、寝首をかくとか!? 物騒な事はやめてくださいよ〜」
「安心しな。そんなんじゃないさ。フハハ!やってやるぜー!あんたも楽しみにしてなっ」