1.結 婚 〜 おぞましき生活

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北朝鮮その他もろもろのヤミ
1.結婚 〜 おぞましき生活
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3.ウラ 〜 おぞましき絡操
4.立后 〜 おぞましき冷戦
5.双六 〜 おぞましき賭け
6.失恋 〜 おぞましき決意
7.廃后 〜 おぞましき呪い
  

 彼女は結婚をあきらめていた。
 結婚しないことは、皇族の女性として珍しいことではなかった。
 彼女とは、井上内親王。

井上内親王 PROFILE
【生没年】 717-775
【別 名】 井上皇后・吉野皇太后
【出 身】 平城宮(奈良県奈良市)
【本 拠】 平城宮→宮外→平城宮
【職 業】 皇族
【役 職】 斎王(727-744)
・皇后(770-772)
【 父 】 聖武天皇
【 母 】 県犬養広刀自
【継 母】 藤原光明子(不比等女)ら
【 弟 】 安積親王・基王
【 妹 】 阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)
・不破内親王(塩焼王妃)
【 夫 】 光仁天皇(白壁王)
【 子 】 酒人内親王(斎王・山部親王妃)
・他戸親王(皇太子)
【継 子】 開成・山部親王(桓武天皇)
・早良親王・能登内親王ら
【小 姑】 難波内親王・衣縫内親王
・坂合部内親王・海上女王
【後 援】 藤原永手・藤原魚名ら
【仇 敵】 藤原百川・和(高野)新笠ら
【墓 地】 宇智陵(奈良県五條市)
【霊 地】 御霊神社(奈良県五條市)
上御霊神社(京都市上京区)ほか

 父は、東大寺大仏造立に命を懸けた奈良時代の聖帝・聖武天皇
 母は、光明皇后の母の実家の娘・県犬養広刀自
(あがたのいぬかいのひろとじ)
 天皇家のお姫様には、それなりのムコが必要であった。

 井上内親王には、有名な異母妹がいた。
 阿倍内親王
 二度皇位に就いた女帝・称徳天皇である。
 後に彼女は怪僧・道鏡とムフフな関係になるが、いちおう生涯独身で通した
(「女帝味」参照)

 井上内親王には同母妹もいた。
 不破内親王
(ふわないしんのう。「奈良味」参照)
 お調子者で意地悪な妹であった。
 でも、彼女は結婚していた。
 ダンナは塩焼王
(しおやきおう。氷上塩焼)
 新田部親王
(にいたべしんのう)の子、つまり天武天皇の孫に当たるプリンスであり、当時有力な皇位継承者の一人であった。
 その割に品が無く、粗暴でいいかげんな男であった。
 下半身もいいかげんで、天平十四年(742)に女嬬
(にょじゅ。後宮の女官)四人と不適切な関係になり、伊豆へ島流しにされている。そのため、彼の皇位継承権は消滅していた。

「あんなオトコならいらないわ」
 で、井上内親王は同母妹をうらやましいとは思っていなかった。
「そう。オトコなんていらない……。ずっと今まで、オトコなしで生きてきたんだもの……」

 井上内親王には、男を寄せ付けない事情があった。
 天皇の娘、という理由だけではなかった。
 ブサイク、というわけでもなかった。むしろ、きれいな方だった。性格は暗かったが、容姿には目を引くものがあった。

 井上内親王は、幼い頃から神に仕えていた。
 斎王
(さいおう・いつきのみこ。斎宮。天皇代理として神に仕える巫女)として、伊勢神宮の神・天照大神に奉仕していたのである。
 五歳のときに斎王に選ばれ、十一歳で伊勢に下り、弟・安積親王
(あさかしんのう)の喪によって平城京に帰ってきたのは、天平十六年(744)のこと、すでに二十八歳になっていた。当時としては、十分な「オバア」である。
「ふん」
 井上内親王は、鏡で自分の顔を見つめて思った。前から上から下から横から鏡をのぞいてつぶやいた。
「それにしても、これほどの女がこのまま何もせずに朽ち果てていくのも、口惜しいわねー」
 父・聖武天皇は、イライラしている娘を、心配そうに見ていた。
 彼女は、その視線に気付いた。
「なぁにぃ〜?」
 娘がこっちを見てニヤ〜ッとしたのを見て、父はゾッとして引っ込んだ。

 しばらくして、聖武天皇は縁談を持ってきた。
「いい男だよ。白壁王っていうんじゃ。ほら、遊び人――、じゃなかった。風流で知られた施基親王
(しきしんのう。志貴皇子)の皇子だよ。祖父はれっきとした天皇だし、いい話と思うがね」
 天皇といっても天武天皇ではなく、天智天皇のほうであった。
 天智系の皇子は、かの壬申の乱大友皇子が滅ぼされて以降疎外され、皇位とは無縁になっていた。
 聖武天皇はしきりに勧めた。
「天智系の皇子と結婚すれば、醜い政争に巻き込まれることはない。幸せになれるんだよ」
 親心であった。
 聖武天皇は彼女に、妹・不破内親王の轍
(てつ)を踏ませたくないのであった。
 不破内親王の夫・塩焼王の失脚は、当時の首班・橘諸兄と、次世代のホープ・藤原仲麻呂との政争の産物でもあった。

 井上内親王は父に従った。
 白壁王に嫁したのである。
 白壁王は、思いもよらぬ高嶺の花を得て喜んだ。目一杯歓迎した。
「いらっしゃ〜い!」

 白壁王はいい男であった。
 明るく、顔もよく、背も高かった。
 ただし、カネはなかった。
 かろうじて従四位下の官位は持っていたが、何の役職もなかった。
 白壁王はいつも酔っ払っていた。
 酒が大好きで、一日中何をするでもなく、家でゴロゴロしていた。
 友人が来ると起き上がり、酒を勧め、東の空が白むまでバカ騒ぎをしていた。

 白壁王にはオンナもいた。それも何人もいた。
 尾張女王
(おわりじょおう)・和新笠(やまとのにいかさ。後の高野新笠)・県主嶋姫(あがたぬしのしまひめ)・県犬養勇耳(ゆうじ)など、あちこちにエロの触手を絶え間なく伸ばしていた。

 結果、子供もいた。大勢いた。
「みんな、新しいお継母
(かあ)さんだよ! 仲良くしようねっ!」
「またあ〜」
「いやだ〜」
「お継母さんなんか、もういらない」
「あっち行け!」
「来るな!」
「死んじまえ!」
 開成王
(かいじょうおう)・能登女王(のとじょおう)山部王・早良王(さわらおう)・稗田王(ひえだおう)、弥努摩女王(みぬまじょおう)など、どいつもこいつも憎たらしいガキばかりであった。

「どうも〜」
 仏頂面した小姑
(こじゅうと)たちも嫁を出迎えた。
 白壁王の姉の、難波女王
(なにわじょおう)・衣縫女王(きぬいじょおう)・坂合部女王(さかいべじょおう)である。
 小姑三羽ガラスは連合して肩を怒らせて言った。
「あ、初めに言っておきますけどね、天皇の娘とかいう肩書きは、ここでは通用しませんからね」
「アタイらの縄張りに来たからには、アタイらのオキテに従ってもらうわよ」
天皇も私たちには遠慮していらっしゃいますわ。私たちの死んだ姉さんは、天皇の想い人だったんですのよ。ホーッホッホ!」  
 白壁王らの長姉・海上女王
(うなかみじょおう)は、聖武天皇のオンナの一人であった。『万葉集』にも、その証拠は残されている。

 井上内親王は縮こまった。
 日々、小姑たちにいじめられ、こき使われ、ダンナには浮気され、子供たちには意地悪され、経済的にも苦しい生活をしているうちに、後悔が増してきた。
(結婚なんか、しなけりゃよかった)
『幸せになれるんだよ』
 結婚を勧めた父にも、無性に腹が立ってきた。
(キーッ! こんなのの、どこが幸せよっ!)
 井上内親王は叫びたかった。
 でも、いつもどこかで誰かが見ているため、何も言えなかった。何しろ自分は高貴な女性のはずである。錯乱したところを人に見せるのは、彼女のプライドが許さなかった。そのため、彼女の欲求不満はたまる一方であった。
 楽しみは、占いぐらいであった。
「アイツの運命はこうなるのね。ヒッヒッヒ! ザマァ見ろ!」
 いじめられた後、一人で占いに興じている嫁を見て、難波女王ら小姑群は、
「気味の悪い女……」
 と、嫌悪感を募らせた。

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