4.立 后 〜 おぞましき冷戦 | ||||||||||||||
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こうして光仁天皇は即位したが、すぐに皇后は定められなかった。
その訳は、藤原良継(よしつぐ)・百川(ももかわ)ら式家と、藤原永手(ながて)ら北家の思惑が異なっていたからにほかならない。
良継・百川ら式家が光仁天皇を推したのには、理由があった。
実は百川は、光仁天皇の次男・山部親王と仲が良かったのである。
百川は確信していた。
「山部親王こそ、天皇にふさわしい器だ」
それにはまず、その父・光仁天皇を天皇にしておく必要があった。
そしてもう一つ、その生母・和新笠(やまとのにいかさ)を皇后にしておく必要もあった。
一方、永手ら北家が光仁天皇擁立に賛成したのにも理由があった。
実は最近、永手は娘・曹司(そうし)を光仁天皇に嫁がせていたのである。
つまり、曹司に子が生まれれば、自分は天皇の外戚(がいせき)として実権を握ることができる。
それにはまず、その夫・光仁天皇を天皇にしておく必要があった。
そしてもう一つ、曹司を皇后にしておく必要もあった。
両者の共通の目標は、達成することができた。
しかし次なる目標は、共通のものではなかった。
百川も永手もバカではない。
互いの思惑は分かりすぎるほど分かっていた。だから二人とも言い出せなかった。
「皇后は新笠殿ということで」
「いや、曹司に決まっている」
「何を!」
「やるか!」
どちらかが言い出せば、決裂することは分かりきっていた。
それに双方に弱みがあった。
「曹司殿にはお子様がいらっしゃらないではありませんか! お世継ぎのない方を皇后にすれば、また次の天皇を決めるときにもめますよ!」
「そっちこそ、和氏の祖先は百済からの渡来人ではないか! 外人系の皇后なんぞ、絶対におかしい!」
双方とも、弱みを突かれたときの対処を考えていなかった。
百川は考えた。いいことを思いついた(悪いことだが……)。
「そうだ! 新笠殿が外人系だということを隠してしまえばいいんだ!」
百川は新笠に、日本人らしい名字への改姓を勧めた。
「『和姓』をやめて『高野(たかの)姓』に改姓させてください」
新笠は光仁天皇に願い出たのである。
ところが、永手は感付いた。
彼の妻で尚侍(ないしのかみ。後宮のドン。天皇側近の女官)を務めていた大野仲智(おおののなかち)を通じて知ったのであろう。
「どうしてか、新笠が改姓を願い出てますよ」
永手は直感した。
(百川は隠蔽(いんぺい)工作に出た! 新笠の弱みを消し去ろうとしている!)
新笠に弱みがなくなれば、曹司の不利は明らかである。策士百川のことだ。間髪入れずに何か次の手を打ってくるに違いなかった。
「どうすればいい?」
永手は、弟・藤原魚名(うおな)に相談した。
コイツもまた、切れ者であった。
魚名は言い切った。
「曹司皇后をあきらめることですね」
「新笠皇后を黙認しろというのか!」
「いいえ。そうではありません。今はとりあえず、式家の野望をくじくことです。そのためには、南家と京家を味方に取り込むことです。彼らを味方にするには、彼らも納得する皇后を新たに立てたほうがいいでしょう」
「南家と京家も納得する皇后候補者とは?」
「井上内親王です」
永手の顔が明るくなった。ニンマリした。
「そうか。その手があったか!」
同年十一月、井上内親王は皇后になった。
当然、良継・百川ら式家の連中は反発したが、南家の縄麻呂、京家の浜成らが永手になびいたため、彼女の立后が実現したのである。
同月、新笠の子・山部親王は四品に昇級したが、井上内親王の娘・酒人内親王は一ランク上の三品に昇級している。正妻と愛人の子の差が歴然としたわけだ。
翌宝亀二年(771)一月、井上内親王の子・他戸親王が皇太子に立てられた。
山部親王は、
「万事休すか」
と、残念がったが、百川はまだあきらめていなかった。
「親王様、御存知ですか? 人間というものは、死ぬもんなんですよ」
同年二月、永手は病没した。享年五十八。
彼の死について日本最古の仏教説話集『日本霊異記(にほんりょういき・れいいき。景戒著)』に奇妙な話が残されている。
ある朝、永手の子・家依(いえより)が悪い夢を見たため、父に勧めた。
「父上が三十人余りの兵士に連行される夢を見ました。悪い予感がするので、仏にお祈りしてみては?」
ところが永手はこれを聞き流して何もしなかったため、まもなく彼は死んだという。
私は、家依が見たのは夢ではなく現実なのではないかと疑っている。
つまり永手は百川の手のものによって拉致され、殺されたのではあるまいか?
百川には、称徳天皇暗殺説が取りざたされているが、これは私は支持しない。むしろ、この永手の暗殺のほうがよほど可能性か高いと思う。
いずれにしても永手の死は、百川ら式家の人々を狂喜させたことであろう。
「これで井上内親王の後ろ盾はいなくなった! あとは本人を葬るだけだ!」
百川の魔の手は、いよいよ彼女に迫りつつあった。