4.立 后 〜 おぞましき冷戦

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北朝鮮その他もろもろのヤミ
1.結婚 〜 おぞましき生活
2.奇跡 〜 おぞましき気配
3.ウラ 〜 おぞましき絡操
4.立后 〜 おぞましき冷戦
5.双六 〜 おぞましき賭け
6.失恋 〜 おぞましき決意
7.廃后 〜 おぞましき呪い
 

 こうして光仁天皇は即位したが、すぐに皇后は定められなかった。
 その訳は、藤原良継
(よしつぐ)・百川(ももかわ)ら式家と、藤原永手(ながて)ら北家の思惑が異なっていたからにほかならない。

 良継・百川ら式家が光仁天皇を推したのには、理由があった。
 実は百川は、光仁天皇の次男・山部親王と仲が良かったのである。
 百川は確信していた。
山部親王こそ、天皇にふさわしい器だ」
 それにはまず、その父・光仁天皇天皇にしておく必要があった。
 そしてもう一つ、その生母・和新笠
(やまとのにいかさ)皇后にしておく必要もあった。

 一方、永手ら北家が光仁天皇擁立に賛成したのにも理由があった。
 実は最近、永手は娘・曹司
(そうし)光仁天皇に嫁がせていたのである。
 つまり、曹司に子が生まれれば、自分は天皇の外戚
(がいせき)として実権を握ることができる。
 それにはまず、その夫・光仁天皇天皇にしておく必要があった。
 そしてもう一つ、曹司を皇后にしておく必要もあった。

 両者の共通の目標は、達成することができた。
 しかし次なる目標は、共通のものではなかった。
 百川も永手もバカではない。
 互いの思惑は分かりすぎるほど分かっていた。だから二人とも言い出せなかった。
皇后は新笠殿ということで」
「いや、曹司に決まっている」
「何を!」
「やるか!」
 どちらかが言い出せば、決裂することは分かりきっていた。
 それに双方に弱みがあった。
「曹司殿にはお子様がいらっしゃらないではありませんか! お世継ぎのない方を皇后にすれば、また次の天皇を決めるときにもめますよ!」
「そっちこそ、和氏の祖先は百済からの渡来人ではないか! 外人系の皇后なんぞ、絶対におかしい!」
 双方とも、弱みを突かれたときの対処を考えていなかった。

 百川は考えた。いいことを思いついた(悪いことだが……)
「そうだ! 新笠殿が外人系だということを隠してしまえばいいんだ!」
 百川は新笠に、日本人らしい名字への改姓を勧めた。
「『和姓』をやめて『高野
(たかの)姓』に改姓させてください」
 新笠は光仁天皇に願い出たのである。

 ところが、永手は感付いた。
 彼の妻で尚侍
(ないしのかみ。後宮のドン。天皇側近の女官)を務めていた大野仲智(おおののなかち)を通じて知ったのであろう。
「どうしてか、新笠が改姓を願い出てますよ」
 永手は直感した。
(百川は隠蔽
(いんぺい)工作に出た! 新笠の弱みを消し去ろうとしている!)
 新笠に弱みがなくなれば、曹司の不利は明らかである。策士百川のことだ。間髪入れずに何か次の手を打ってくるに違いなかった。
「どうすればいい?」
 永手は、弟・藤原魚名
(うおな)に相談した。
 コイツもまた、切れ者であった。
 魚名は言い切った。 
「曹司皇后をあきらめることですね」
「新笠皇后を黙認しろというのか!」
「いいえ。そうではありません。今はとりあえず、式家の野望をくじくことです。そのためには、南家と京家を味方に取り込むことです。彼らを味方にするには、彼らも納得する皇后を新たに立てたほうがいいでしょう」
「南家と京家も納得する皇后候補者とは?」
「井上内親王です」
 永手の顔が明るくなった。ニンマリした。
「そうか。その手があったか!」

 同年十一月、井上内親王は皇后になった。
 当然、良継・百川ら式家の連中は反発したが、南家の縄麻呂、京家の浜成らが永手になびいたため、彼女の立后が実現したのである。
 同月、新笠の子・山部親王は四品に昇級したが、井上内親王の娘・酒人内親王は一ランク上の三品に昇級している。正妻と愛人の子の差が歴然としたわけだ。

 翌宝亀二年(771)一月、井上内親王の子・他戸親王が皇太子に立てられた。
 山部親王は、
「万事休すか」
 と、残念がったが、百川はまだあきらめていなかった。
「親王様、御存知ですか? 人間というものは、死ぬもんなんですよ」

 同年二月、永手は病没した。享年五十八。
 彼の死について日本最古の仏教説話集『日本霊異記
(にほんりょういき・れいいき。景戒著)』に奇妙な話が残されている。

 ある朝、永手の子・家依(いえより)が悪い夢を見たため、父に勧めた。
「父上が三十人余りの兵士に連行される夢を見ました。悪い予感がするので、仏にお祈りしてみては?」
 ところが永手はこれを聞き流して何もしなかったため、まもなく彼は死んだという。

 私は、家依が見たのは夢ではなく現実なのではないかと疑っている。
 つまり永手は百川の手のものによって拉致され、殺されたのではあるまいか?
 百川には、称徳天皇暗殺説が取りざたされているが、これは私は支持しない。むしろ、この永手の暗殺のほうがよほど可能性か高いと思う。

 いずれにしても永手の死は、百川ら式家の人々を狂喜させたことであろう。
「これで井上内親王の後ろ盾はいなくなった! あとは本人を葬るだけだ!」
 百川の魔の手は、いよいよ彼女に迫りつつあった。

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