7.廃 后 〜 おぞましき呪い

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7.廃后 〜 おぞましき呪い

 井上内親王は「巫蠱(ふこ)」を行った。
 やり方を説明するが、決してマネはしないように。呪いは犯罪にはならないが、人を呪わば穴二つである
(この物語では、二つだけにとどまらないが……)

 まず、五種類のムシを用意しよう。
 この場合のムシは、ムカデやカイコなど虫のほかに、トカゲやヘビなどの爬虫類
(はちゅうるい)、カエルやイモリなどの両生類も含まれる。いわゆる、ゲテモノと呼ばれるものの総称である。
 次に、これらのムシを一つの容器の中に入れ、互いに共食いさせよう。
 すると、最後に一匹、生き残るものがある。これを「蠱毒
(こどく)」といい、これを使用する呪いを「巫蠱」と呼ぶのである。
 蠱毒の使用方法はいろいろある。
 直接呪いたい人に飲ませるのが一番であるが、それがかなわない場合、その人の家の敷地に埋めたり、井戸に投げ込んだりすればいい。
 とにかく、何らかの方法でその人の体内に入れることである。蠱毒は人の体内に入ってしまえば、その内臓を食いつくし、確実に死に至らしめるのだ。

「できた」
 井上内親王は完成した蠱毒を、山部親王と百川が使っている井戸へ投げ込んだ。
 その結果、その水を飲んだ二人は呪われた。
「うぉっ!」
「ぐえっ!」
 山部親王と百川は苦しみもがいた。血の気が失せ、寝込んでしまった。

 陰陽頭(おんみょうのかみ。天文や占いを担当。気象庁長官)・大津大浦(おおつのおおうら)が呼ばれた。
 大浦は二人の症状を見て見破った。
「これは巫蠱じゃ」
 大浦はその封じ方を知っていた。蠱毒の正体を明らかにし、そのムシの名を叫べば呪いは解かれるのである。
「二人が使っている井戸の中の調べよ! 早く!」
 井戸の中からは、それぞれヘビとガマガエルが見つかった。
 大浦は二人に向かってそれぞれ叫んだ。
「ヘビ!」
「ガマガエル!」
 すると、二人はウソのように治癒した。
 大浦が二人に聞いた。
「もう少しで死ぬところでしたぞ。誰ですかな? あなた方を呪ったのは?」
 二人とも、心当たりがあった。
「井上内親王だ」
 大浦が忠告した。
「彼女を遠ざけなさい。そうしなければ、何度でもやられますぞ」
「分かってますよ」

 百川は光仁天皇に告げ口した。
「皇后がおぞましき呪いを行っておりますよ」
 そして、自分や山部親王だけではなく、光仁天皇や難波内親王など小姑たち、良継ほか式家兄弟も呪いの対象であると讒言
(ざんげん)したのである。
「あれが自分を呪うことなど、ありえぬ」
 光仁天皇が信じないと、今度は呪いの人形など、わざわざ証拠を作らせて光仁天皇に提出した。
「あっ、井上内親王の房からこんなのものが見つかりました! ゲッ、この人形には『死ね死ね白壁王』って書いてある! 怖っ!」
 また、井上内親王の側近の一人・裳咋足嶋
(もくいのたるしま)を買収、
「実は昨晩も皇后が天皇を呪っているのを見たんです。ああ! 思い出しただけでも恐ろしい!」
 と、目撃者に仕立て上げて怖がらせた。
 そうした上で難波内親王・衣縫内親王・坂井部内親王、つまり小姑三羽ガラスに加勢を依頼した。
白壁王、いつまであの女をいつまで放っておくつもり?」
「ああ、私も気分が悪くなってきた。これはきっと呪いだわ」
「あんな気持ち悪い女、一刻も早く追い払ってっ!」
 頭の上がらない姉たちの一斉口撃に、とうとう光仁天皇は陥落した。
「あー、わかったわかった!なんとかしよう」

 宝亀三年(772)三月、井上内親王は廃后され、宮中から追放された。
 五月、他戸親王も母の罪で廃太子となり、これも追放された。
「なんで私らが追放されるのよ!」
 井上内親王は蠱毒を持ってなんとか宮中へ突入しようと試みたが、そのたびに門番に捕まり、外におっぽり出された。中に入れなければ、巫蠱をすることはできない。
 が、井上内親王は不敵に笑った。
「甘いわね。呪いは巫蠱だけじゃないのよ。まだまだいっぱい、あんのよっ!」
 爆怒した井上内親王は、ありとあらゆる思いつく限りの呪法を行った。

 六月、都に隕石(いんせき)が降った。
「不吉な」
 七月、衣縫内親王が死んだ。
 翌宝亀四年(773)、難波内親王も病気になった。
「井上の呪いじゃ〜」
 難波内親王は苦しそうにわめいた。
 光仁天皇が百川に命じた。
「あの女の呪いをやめさせよ!」
「承知」
 九月、百川は井上内親王と他戸親王の隠れ家を突き止めると、二人の宇智
(うち。奈良県五條市)のあばら家に閉じ込めて見張らせた。
「これでもう安心だ」
 ところが手遅れだったらしく、十月に難波内親王は死んだ。
 百川はこう思ったかもしれない。
(閉じ込めておくだけではダメだ。ヤツが生きている限り安心はできない)

 宝亀六年(776)四月二十七日、井上内親王と他戸親王が共に死んだ。
 百川が殺させたのか、心中したかどちらかであろう。

 井上内親王の享年五十九。
 他戸親王の享年十五
(異説あり)
 百川は安堵した。
「よかった。これでもう、呪われずにすむ」

 ところが、呪われはしなくなったものの、たたりが起こるようになってしまった。
 どういうわけかその後わずか七年の間に、式家兄弟と小姑三羽ガラスは死に絶えてしまうのである。

  宝亀六年(775) 藤原蔵下麻呂(九男)没。
  宝亀八年(777) 藤原良継
(次男)没。藤原清成(三男)没。
  宝亀九年(778) 坂合部内親王没。
  宝亀十年(779) 藤原百川
(八男)没。
  天応二年(782) 藤原田麻呂
(五男)没。

 さて、山部親王はというと、百川が死ぬ少し前に病気になり、あやうく死にかけたものの治癒し、天応元年(781)に即位して桓武天皇となった。平安京遷都で知られる、あの帝王である。
 即位後も彼の周囲にはこれでもかと不幸が続くのだが、これらには別の「史上最強の怨霊」も関わってくるので、またいずれ御紹介したい
(「怨念味」「怨霊味」参照)

 延暦十九年(800)、たたりに参った桓武天皇は、井上内親王の皇后位を復し、次いで皇太后位を追贈、その墓を山陵としている。

[2004年5月末日執筆]
参考文献はコチラ

 ※ この物語では、井上内親王が実際に巫蠱を行ったことにしたが、実際には行っておらず、すべて百川らの策謀だった可能性があります。ただし、彼女が百川や山部親王を憎んでいたことは間違いないでしょう。

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