3.言葉にできない | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2022>令和四年12月号(通算254号)油断味 赤穴瀬戸山城の戦3.言葉にできない
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熊谷直続戦死の報を受けて大内軍は慎重になった。
「やるな」
「闇雲に攻めていてはいけない」
毛利元就と陶隆房は作戦を練り直した。
「敵は小勢だ。バラバラに攻めるより、全軍で総攻撃した方がいい」
「期日を決めて四方から一斉に攻め立てるのはどうか?」
「よしきた。で、いつ攻める?」
「七月二十七日の早朝でしょ」
「了解した」
七月二十七日の早朝、大内軍は赤穴城の四方から一斉に総攻撃を開始した。
光清はこれを待っていた。
「力攻めとは知恵のない連中だ」
次々と石を転がり落として応戦した。
ゴロゴロ!
ゴロンゴロン!
ゴロリンゴロリン!
ぐちゃん!ぐちゃん!
たちまち何人かが石に押しつぶされて血まみれになった。
「いってー!」
「あっし、圧死〜」
「やっぱり、ここ攻めるのムリ〜」
毛利勢は早々とあきらめて退散したが、
「まだまだだー!」
「ほーら、石なんか避けたった!」
「負けねーぞ、コラーッ! どんどん来いやー!!」
隆房や平賀隆宗、吉川興経らが踏みとどまって応戦した。
結局、彼らは日没まで粘って戦ったが、暗くなったため退散することにした。
寄手退却の報を受けて、光清は喜んだ。
「よし、我々は勝った! 勝どきを上げろ!」
「おー!」
「もっと大きな声でだ」
「おおーっ!!」
「もっともっと! 逃げていく敵に聞こえるように大音声で勝どきを上げるんだ!」
「おおおおおーっ!!!」
「もっともっともっとだ! 悔しがる敵からよく見える所に立って、これみよがしに喜んでやるのだ!」
光清が見本を見せた。
敵からよく見えるように櫓に上ってわめきちらしてやった。
「我々は勝った! 弱っちい大内軍をコテンパンにたたきのめしてやった! うちの十倍も兵力がありながら、まったくなさけねー、どうしようもねー連中だぜ!
ハッハッハ! 愉快愉快! ざまあ見やがれ!」
キーン!
その時、闇の中から何かが飛んできた。
びしっ!
何かが光清に当たった。
櫓の下から田中三郎左衛門が、
「どうしました?」
と、聞いた。
「……」
光清に返答はなかった。
しきりに何かを訴えているようであったが、言葉になっていなかった。
「どうしました?」
田中も櫓に上った。
血まみれになっていた光清を見て、彼が訴えていたことを理解した。
「ああっ、大丈夫ですか!?」
「ら〜ら〜ら、らら〜ら〜らら」
光清はまともにしゃべれなくなっていた。
のどに敵の矢が命中していたからである。
ばた!
光清は倒れると、もう二度と動かなくなった。享年五十。
「なんなんだ! こんな最期はぁー!!」
田中はその夜のうちに大内軍に降伏して開城すると、残った城兵を引き連れて月山富田城へ逃げ去っていった。
[2022年11月末日執筆]
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※ 弊作品の参考史料は『陰徳太平記(いんとくたいへいき。香川正矩作)』です。