★ 大兵肥満!陶犬瓦鶏?うわあぁぁぁ、身長227cm!!
  〜 江戸時代後期の超巨漢看板力士・生月鯨太左衛門!!

ホーム>バックナンバー2022>令和四年2月号(通算244号)ユメ味 雷電以来227年ぶりの長野県出身大関・御嶽海

雷電以来の御嶽海
1.豪快に誕生
2.豪快に登場
3.豪快に退場

 令和四年(2022)一月、大相撲で御嶽海(みたけうみ)が三度目の優勝を果たし、大関に昇進した。
 長野県出身としては伝説の史上最強力士・雷電
(らいでん。雷電為右衛門)以来二百二十七年ぶりである。
 これより二十年前、大道久司
(おおみちひさし。今の御嶽海)少年は将来の夢を語っていた。
夢は相撲の大関」
横綱じゃないの?」
「うん、大関」
 雷電の通算成績は二百五十四勝十敗二分。勝率九割六分二厘は、歴代のどんな横綱でもかなわない怪物的記録である
(「相撲味」参照)
 久司少年が大関が最強だと思い込んでいたとしても、おかしくはあるまい。

 というわけで、今月は「夢」つながりで江戸時代後期の伝説的力士・生月(いきつき・いくづき・いけづき。生月鯨太左衛門・要作・鯨吉)を紹介します。
「伝説的って、さぞや強かったんだろうね?」
 いえいえ。生月の通算成績は三勝二敗百十五休で、最高位は西の張出前頭なんです。
「何それ! そんな成績で幕内にいるのもおかしいじゃないか! どこが伝説的力士だよ!?」
 生月の伝説は、強さではなく、大きさでした。
 身長七尺五寸
(二百二十七センチメートル。一説に七尺六寸で二百三十センチメートル)
 長い大相撲の歴史の中でも最長身の力士だったのです。
 体重も多く、百六十九キログラムは雷電と同じでした
(雷電の身長は百九十七センチメートル)
 そんな巨漢力士の人生とはどんなものだったのでしょうか?
 それでは、どぞっ!

[2022年1月末日執筆]
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参考文献はコチラ

「生月鯨太左衛門」登場人物

【生月鯨太左衛門(要作)】いきつき(いくづき・いけづき)げいたざえもん(ようさく)。看板巨人力士。張出前頭。

【多七(要蔵)】たしち(ようぞう)。鯨太左衛門の父。肥前平戸藩内の生月島のクジラ漁師。
【ハ ル】鯨太左衛門の母。多七の妻。

【一寸玉之助】
いっすんたまのすけ。鯨太左衛門の妻。芸人。超小柄。

【玉垣額之助】
たまがきがくのすけ。鯨太左衛門の親方。元大関。
【広ノ海】ひろのうみ。鯨太左衛門の対戦相手の一人。幕下力士。

【歌川豊国(歌川国貞)】うたがわとよくに(うたがわくにさだ)。初代豊国の門弟。自称二代豊国だが実は三代目。

【松浦 煕】まつらひろむ。鯨太左衛門の後援者。肥前平戸藩主。清(静山)の子。

【ジーパン刑事(松田優作)みたいな産婆】
【うわさをする人】
【他の漁師】
【大坂相撲のスカウト】
【江戸の人々】

【母クジラ】

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