3.豪快に退場

ホーム>バックナンバー2022>令和四年2月号(通算244号)ユメ味 生月鯨太左衛門3.豪快に退場

雷電以来の御嶽海
1.豪快に誕生
2.豪快に登場
3.豪快に退場

 男とは相撲を取らせてもらえなくなった生月であるが、女との「取り組み」は自由であった。
 本業でヒマな分、女遊びに時間を費やせたのであろう。
 遊びだけではなく、結婚もしている。
 相手は一寸玉之助
(いっすんたまのすけ)――。
 身長わずか百センチしかなく、見世物小屋に出されていた超小柄な女芸人であった。
 おそらく二人の初対面はこんな具合だったのであろう。
「ちっさ!」
「でっか!」
「ちっさ!」
「でっか!」
「ちっさ!」
「でっか!」
 なかよし〜、なかよし〜。

 生月の助平癖は、結婚したぐらいでは治らなかった。
 そのため梅毒を患い、晩年は苦しんでいたという。

 嘉永三年(1850)五月二十四日、生月は住んでいた松浦家の菩提寺・天祥寺(てんしょうじ。東京都墨田区)の長屋で急死した。
 越後巡業への出立前だったという。享年二十四。戒名は晴光院巨海生月居士。
 死因は脚気衝心
(かっけしょういん)とも、梅毒の悪化とも伝えられている。
 遺体が大きすぎて運び出せなかったため、長屋を破壊するしかなかった。
 死後もネタにされたようで、「地獄で鬼があきれる」と題する浮世絵が発行されたという。

[2022年1月末日執筆]
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※ 生月の墓は死去した天祥寺にあります。
関東大震災で生月の墓所が壊れた際、生月島の法善寺山門脇に遺骨の一部が分骨されたそうです。
※ 富岡八幡宮
(東京都江東区。「慶事味」参照)にある巨人力士の石碑に生月の足形が刻まれています。

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