3.大浦為信vs石川高信

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愛とは何か?
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2.大浦為信vs最上義光
3.大浦為信vs石川高信
4.大浦為信vs近衛前久
5.津軽為信vs南部信直
6.津軽為信vs津軽信建

 大浦城へ帰った大浦為信は、兼平綱則・森岡信元・小笠原信清、三人そろって大浦三老に計画を打ち明けた。
「いよいよ決起の時がやって来た」
 大浦三老はワクワクしたが、
「最初の標的は石川城!」
 の、為信の言葉には大反対した。
「いけません!」
「石川城は難攻不落!敵の中でも最強中の最強!」
「城攻めには時間がかかりましょう!その間に南部の名将・北信愛
(きたのぶちか。南部信愛)の大援軍が襲来したら、ひとたまりもありません!全員玉砕ですよっ!」
 為信は聞かなかった。
「石川城は短期で落とす!奇襲を仕掛けて一気に陥落させる!大樹は枝葉を切るだけでは倒せぬ!根元から切らねば倒せぬのだ!おれについてくるのか否かどっちだ?裏切りたいヤツは今すぐ南部に走るがよい!ただし、途中で我が追っ手によって命落とすであろう!名もなき者に討たれるのが嫌であれば、おれが自ら今ここで斬
(き)ってやってもいいぞっ!」
 為信はバッと抜刀した。
「そんな〜」
 大浦三老は追い詰められた。
(何というとんでもない暴君なんだ!)
 心中ではそう思いながら、関羽ばりの強面の主君にすごまれては反抗できるはずがなかった。
「やります〜、やります〜」
「やりゃいいんでしょ〜」
「えーい、ヤケクソだぁー!」
 大浦三老は涙をのんで為信に従うしかなかった。

 為信はまず、謀反心を微塵(みじん)も見せずに石川高信にお願いした。
「えへえへ。旧居の堀越城が古くなりましたので修理したいのですが、よろしいでしょうか?このままでは突然安東が攻撃してきたら対応できませんゆえ〜」
「そうだな。最近の安東の動きは不気味だ」
 高信は許可した。
 為信はひそかにニヤリとした。
(もっと不気味なヤツが、あんたのすぐ近くにいるんですよーん)
 為信は大浦城から堀越城に大勢の人夫を差し向けた。
 ついでに軍勢も移させた。
 ついでに武器や食糧も移動させた。
 堀越城は大浦城より石川城の近くにある。
 つまりは石川城を攻撃するためであった。

 堀越城の修理が終わると、為信は高信に知らせた。
「おかげさまで城は新しくなりました。落成祝いをしますので、どうか高信さまもお越しください」
 高信は来なかった。
 たまたまなのか、虫が知らせたのか、警戒していたかは定かではない。
「チッ。来たらすかさず殺してやろうと思ったのに〜」

 そのかわり、高信の家来は大勢やって来た。
 盛大な宴は三日も続いた。
 高信の家来たちは最上級の接待を受けた。
 たくさんのお土産までもらって上機嫌で石川城に帰って報告した。
「大浦の人々はいい人ばかりでしてー」
「ほらー、こんなにお土産までもらいましてー」
「殿も来られればよかったのに〜」
 石川城の人々はみな笑顔であった。
「そういえば明日は五月五日、端午の節句だな」
「めでたいめでたい」
「いいことが続くものだ」
 石川城の人々はいい夢を見ながら寝た。

 で、翌朝は銃声で起こされた。
 だんだーん!
 取り囲む敵の歓声に慌てふためいた。
 ワー!ワー!
「なんだ!?どうした!?」
 高信はわけが分からなかった。
 昨晩は上機嫌だった家来が、血相変えて次々ドタドタ報告に来た。
「敵です!大浦右京亮
(うきょうのすけ)為信の謀反です!」
「三の郭
(くるわ)、あっという間に突破されましたー!」
「二の郭、敵がウヨウヨー!」
 高信は怒り狂った。
「おのれ右京!だましたなーっ!」
 高信は妻子と共に自害したとも、落ち延びてあと十年生きたともされている。
 とにかく石川城は瞬く間に落城した。

 同日、為信は小山内満春(おさないみつはる)の和徳(わっとく)城も陥落させ、板垣将兼(いたがきまさかね)を石川城の、森岡信元を和徳城の守将とした。

 以後、為信は二十数年かけて南部氏配下の諸城を次々と攻略し、ほぼ津軽統一を成し遂げた。

  大光寺城 天正三年(1575)十一月
  浪岡城  天正六年(1578)七月
  油川城  天正十三年(1585)三月
  田舎館城 天正十三年五月
  高楯城  天正十六(1588)六月

 その間、南部では南部晴政が没して養子・信直の代になり、中央では織田信長明智光秀に殺され、光秀を討った豊臣秀吉の天下になっていた。
(信長が死んだことによって天下統一が遅れ、おれは津軽を制圧することができた)
 為信は満足したが、どうやら年貢の納め時のようであった。
(まもなく秀吉は天下を取る。そうなったらもうこれ以上領地を広げることができない。できれば南部本体もつぶしておきたかったのだが)

 一方、為信に父を殺され、片っ端から領地を分捕られた信直は怒り狂っていた。
「右京
め!家来筋のくせにやりたい放題のことをしやがって!このまま捨て置くものか!」
 信直は愚将ではなかった。
「英才雄智にして文武賢き人」
 といわれた雄将であった。
 信直は為信だけではなく、九戸
(くのへ。二戸市)城主・九戸政実(まさざね)らにも反乱を起こされるが、西や南の領地はかえって広げていた。

 信直には有能なブレインがいた。
 晴政・晴継
(はるつぐ)父子没後に九戸実親(さねちか。政実の弟)を退け、頑として信直を擁立した重臣・北信愛である。
 信愛は信直に進言した。
「悪は戦時のみに栄えます。平和な時代には生きられないのです。まもなく平和な時代がやってきます。さすれば右京めに居場所はありませぬ」
 天正十五年(1587)、信愛は信直の使者として秀吉の盟友・前田利家に会い、秀吉から天下統一後の本領安堵
の確約をもらっていた。
 利家だけではなかった。南部家は徳川家康など諸大名とも懇意にしていた。
「南部はすでに関白殿下
(秀吉)の臣下ですが、いまだ右京は臣下ではありません。津軽はもともと南部の領地です。右京が不当にかすめ盗った土地なのです!このことを訴え出れば、関白殿下はヤツから津軽を取り上げるしかありません。そうです!ヤツは津軽から追い出されるのです!天涯孤独のヤツに、味方はおりません。関白殿下以下居並ぶ諸大名に至るまで、すべてを敵に回してまで右京のような小悪党に味方しようとするヤツなんて誰一人としているはずがありません!あの親分肌の最上義光ですら、右京をかばいきれないでしょう。なぜなら最上は『長いものには巻かれろ主義の男』ですから!わーっははは!ああ、関白殿下の天下統一が待ち遠しい!関白殿下が天下統一するその時こそ、凶賊右京の命運が尽きる時なのですから!わーっはっはっは!」

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