5.津軽為信vs南部信直

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愛とは何か?
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 一方、南部信直のところには天正十八年(1590)四月に前田利家の使者が来た。
「小田原参陣は早いほうがいいですよ」
「よっしゃー!出陣だー!右京もこれで終わりだー!」
 待ち構えていた信直は、すぐに軍勢一千騎を率いて小田原に向かった。
 信直はまだ津軽為信が津軽地方を本領安堵されたことは知らなかった。
 しかし彼は、小田原に着く前に、そのことを知ることになった。
 なぜなら現在でいう宮城県山中あたりで、津軽へ帰る途中の為信以下十八騎にバッタリ出くわしてしまったからである。
「げ!南部!!」
「なんと!こんなところに大浦!!」
 積年の宿敵である。両軍は直ちに戦闘態勢を整えたが、兵数に差がありすぎた。
 信直が余裕で出てきて聞いた。
「どこへ行ってきた?」
 為信も負けずに前に出て答えた。
「小田原に決まっているではないか」
 信直は大いに笑った。
「南部に対する今までの悪行を、どのツラ下げて関白殿下に言訳してきた?」
関白殿下は私の行為をお認め下された」
「何?」
「これがその証拠だー!」
 為信は津軽の本領安堵状を広げて見せた。
 信直はワナワナ震えたものの、フッと笑い飛ばした。
「そんなものがいまさら何になる?」
 信直は軍配を振り、家来たちに為信一行を取り囲ませた。家来たちはいっせいに弓に矢をつがえ、縄に火をつけ、鉄砲を構えた。
「父のカタキだ!積年の恨みだ!右京!貴様はここで死ねっ!」
 沼田祐光が進み出て、「杏葉牡丹」の家紋を掲げて叫んだ。
「ひかえおろー!この紋所が目に入らぬかあー!摂関家近衛家の家紋なるぞー!」
 正確には近衛家もどきの紋だが、そんな区別は南部の家来たちにはつかなかった。
「コノエって誰?」
摂関家だよ!公家で一番偉いオウチだよ〜」
「ゲゲッ!なんでそんな偉いオウチの紋を、大浦右京ごときが持ってんだよー?」
「知らねーよおー!」
 南部の家来たちはたじろいだ。後ずさりして、遠巻きになった。
 為信は大声で言い放った。
「近衛前久公は我が父であることをお認めになられた!おれを殺したければ殺すがいい!元関白近衛前久公の猷子であり、現関白豊臣秀吉公の義兄弟である、この藤原朝臣為信を殺せば、貴様はたちまち朝廷及び全大名を敵に回した大逆賊になるんだぞーっ!」
「ぬおお!」
 信直は歯ぎしりして悔しがった。軍配をたたきつけて怒り叫んだ。
「おのれ!このサギ師がー!イカサマ野郎があー!よしっ!小田原へ行って貴様の大ウソを関白殿下に訴えてやるっ!その後で、貴様に改めて逆賊の汚名をこびりつけた上でっ、正々堂々と成敗してくれるわあーーーっ!!」

 信直は怒りを押さえつけながら小田原へ参陣した。
「えへへ。どーぞこれを」
 南部の名産である馬や鷹を秀吉に献上し、諸大名にも配りまくったが、なぜかみんなつれなかった。
「おかしい。もっとみんな喜ぶかと思ったのに、なぜであろうか?」
 不思議がる信直に、石田三成が教えてあげた。
「南部の馬や鷹は、津軽為信殿もお土産に持ってこられたので、目新しく思われなかったのでは?」
 信直は悔しがった。
「ぬおお!右京めっ!うちの土産まで読んでいたかーっ!!」
 まもなく、信直にも秀吉から本領安堵状が与えられた。
「南部信直に南部七郡を安堵する、か。ハッハッハ!糠部、閉伊
(へい。岩手県宮古市遠野市釜石市など)、岩手(いわて。岩手県盛岡市八幡平市岩手町など)、志和、稗貫(ひえぬき。岩手県花巻市)、和賀(わが。岩手県北上市西和賀町など)、鹿角……。あれ?津軽はどこっ?どこっ?どこにあるのっ?」
 三成が教えてくれた。
「津軽は津軽為信殿の領地になりましたが」
「違うー!津軽は右京が南部からかすめ取ったものだー!我が父を殺してまで不当に盗み取ったのだー!もともとは南部の領地に違いないのだー!三成殿!関白殿下に取り次いでくだされ!右京為信は大泥棒なのだっ!あのような悪逆無道な大泥棒の悪行を、断じて許してはなりませぬぞぉー!!」
 三成がたしなめた。
「南部殿。口を慎まれよ。関白殿下は今まさに日本全国を盗み取ろうとされているのですよ。津軽殿が大泥棒なら、殿下はどうなりますかね?」
「……」
 信直は絶句した。
「うわああぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!」
 もう悔しすぎて騒ぐしかなかった。

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