★ 三十六計逃げるに如かず! 勝負に負けても人生負けるな! 〜 徳川家康史上最悪の惨敗・三方原(みかたがはら)の戦!! |
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平成十八年(2006)二月、第二十回冬季五輪トリノ大会が開催された。
日本は二百三十八名(役員含む。選手は百十二名)という空前の大軍団を送り込んだが、結果はフィギュアスケート女子・荒川静香(あらかわしずか)の金一つだけという大惨敗であった。
競技種目 | 氏 名 | 備考 |
フィギュアスケート女子 | 荒川静香 | トリノ五輪唯一のメダリスト。 |
戦いには勝ち負けがあるものである。
勝者がいれば、必然的に敗者も生まれるものである。
力の差で負けた者もいるであろう。失敗で自滅したものもいるであろう。
仕方がないことではあるが、負けて悔しくない者は一人もいないはずである。
「チックショー!
絶対アイツより強くなってやる!」
「もう失敗しない。今度こそ十二分の力を発揮して勝つんだっ!」
戦いの直後は誰でも悔しいものである。誰でも失敗を悔やむものである。
が、悔しさも失敗も、時とともに薄れて忘れてしまうものである。次の戦いまでに風化してしまっては、また同じ悔しさや失敗を繰り返すだけであろう!
いかに悔しさを持続し、失敗を忘れないようにするか?
施設や器具の充実とかそういうことではない。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の精神を身に着けることこそ、今の日本勢には必要なのではなかろうか?
お手本にすべき人物が戦国時代にいる。
問答無用の戦国時代の幕を下ろし、二百数十年に渡る超平和大国を築き上げた日本史上最も偉大なる軍人政治家・徳川家康である。
が、家康は偉大ではあるが、最強の武将ではなかった。
今川義元にも織田信長にも豊臣秀吉にも頭が上がらず、武田信玄にも武田勝頼にも(単独では)勝てなかった凡将を、最強だと呼べるはずがない!
桶狭間の戦 | ⇒ | 負け |
朝倉攻め | ⇒ | 負け |
姉川の戦 | ⇒ | 勝ち |
三方原の戦 | ⇒ | 負け |
長篠の戦 | ⇒ | 勝ち |
小牧・長久手の戦 | ⇒ | 引き分け |
これらの大戦のうち、家康自身が総指揮を取っているのは三方原(みかたがはら。三方ヶ原)の戦と小牧・長久手の戦だけであるが、どちらも勝っていないのである。
なのに家康は、この間に無領地状態から関東の主となり、秀吉に次ぐ準天下人にまで昇り詰めている。
これはどういうことなのか?
その秘密は、家康の前半生の国の盗り方にある。
三 河 | ⇒ | 桶狭間の戦後の混乱に乗じて手に入れた。 |
遠 江 | ⇒ | 武田信玄と結ぶことにより、今川氏真(うじざね)から奪い取った。 |
駿 河 | ⇒ | 織田信長の手助けにより、武田勝頼を滅ぼして手に入れた。 |
甲 斐 | ⇒ | 本能寺の変後の混乱に乗じて手に入れた。 |
信 濃 | ⇒ | 本能寺の変後の混乱に乗じて手に入れた。 |
関 東 | ⇒ | 豊臣秀吉指揮による小田原攻めに従って手に入れた。 |
このように家康は、強者の手助けや、どさくさ紛れによって領地を増やしていったのである。まるで「ある武将」のように、他力本願でのし上がっていったのである。
「ある武将」とは誰か?
これまでの私の作品を御覧の方は、すでにお分かりであろう。
「戦わずして勝つ!」
そうである。
家康は「最強味」のあの武将、今川義元に化けていたのである。
思い出してほしい。義元と家康の師は共に太原崇孚(たいげんすうふ。雪斎)である。師が同じであれば、戦術・戦略が似るのも不思議ではない。
が、家康がマネたのは義元だけではなかった。
後半生の家康は、状況に応じて信玄・信長・秀吉にも化けているのである。彼が「狸親父(たぬきおやじ)」たるゆえんは、まさしくこれなのかもしれない。
たとえば関ヶ原の戦では、信玄に化けている。
家康は三方原の戦で信玄におびき出されて惨敗しているが、彼はこの失敗を石田三成に再現させているのである(「変節味」参照)。
また、大坂の役では秀吉に化けている。
家康は小牧・長久手の戦で、秀吉に戦闘では勝ったものの戦略では負けているが、彼はこの失敗を淀殿(よどどの。淀君)・豊臣秀頼に再現させているのである(「籠城味」参照)。
そう。家康は昔の悔しさや失敗を決して忘れなかった。
「なぜわしが義元の人質にならなければならないのだ!」
「なぜわしは信玄に勝つことができないのだ!」
「なぜわしが信長の命で妻子を殺さなければならないのだ!」
「なぜわしが秀吉なんぞに頭を下げなければならないのだ!」
家康はずっとずっと覚えていた。十年も二十年も三十年以上も執念深く覚え続けていた。
「今にみておれ! わしはやるぞ! やってやるぞ! いつかきっと、天下のすべての人々をひれ伏させてみせるっ!」
家康は負の感情を背負うたびに、コツコツと心の底に貯金し続けていたのである。
そして、勝負時にそれらを引き出し、それを政敵に押し付けることによって勝利し、ついには天下を獲ってしまったのである。
まったく、なんという恐るべき武将であろうか。
少年の頃、私は信長や秀吉は好きであったが、家康だけは嫌いであった。
織田がつき羽柴がこねし天下餅(てんかもち)座りしままに食うは徳川
の、イメージがあったからである。
また、
泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス
ってのも気に食わなかった。
が、今ではまったく逆の思いを家康には抱いている。
人生は、彼のようにありたいものである。
負けても負けてもいいではないか!
最後の最期に勝利できるとすれば、それは生涯全勝と同じことであろう!
* * *
というわけで今回は、徳川家康史上最大の惨敗「三方原の戦」を御紹介したい。
[2006年2月末日執筆]
参考文献はコチラ
【徳川家康】とくがわいえやす。遠江浜松城主。織田信長の盟友。
【酒井忠次】さかいただつぐ。家康の側近・叔父。三河吉田城主。
【本多忠勝】ほんだただかつ。家康の家臣。忠真の甥。
【本多忠真】ほんだただざね。家康の家臣。忠勝の叔父。
【鳥居忠広】とりいただひろ。家康の家臣。元忠の弟。
【成瀬正義】なるせまさよし。家康の家臣。
【夏目吉信】なつめよしのぶ。家康の家臣。浜松城守将。
【佐久間信盛】さくまのぶもり。信長の家臣。近江永原城主。
【平手汎秀】ひらてひろひで。信長の家臣。
【徳川・織田連合軍の兵たち】
【浜松城下の人々】
【茶店の老婆】
【追っ手】
【武田軍の兵たち】
【馬場信房(信春)】ばばのぶふさ(のぶはる)。信玄の家臣。騎馬軍団隊長。
【山県昌景】やまがたまさかげ。信玄の家臣。赤備え軍団隊長。
【高坂昌信(虎綱)】こうさかまさのぶ(とらつな)。信玄の家臣。
【武田信実】たけだのぶざね。信玄の弟。信濃河窪城主。
【武田勝頼】たけだかつより。信玄の子。二俣城攻撃総大将。
【武田信玄】たけだしんげん。甲斐躑躅ヶ崎館主。最強騎馬軍団総帥。