1.退却!一言坂の戦!! | ||||||||||||||
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始まりは一通の手紙であった。
織田信長からの返信が、武田信玄のもとに届いたのである。
これ以前、信玄は信長の延暦寺の焼打を非難する手紙を送信していた。
「お館。信長からの書状が届きました」
返信を差し出したのは、武田信実(のぶざね。信濃河窪城主)。信玄の弟である(「武田氏系図」参照)。
「うむ」
信玄はバーッと書状を広げた。
文面はともかく、その最後尾を目にしたとき、信玄の分厚いひげが震え始めた。
「お館。どうなされた?」
信玄はうめくように言った。
「フフフ……。すごいヤツから書状が来たものだ」
「すごいヤツ? あれ? 信長からの書状でしたよね?」
信玄は手紙を見せた。
信実に差出人のところを指して見せた。
信実は驚いた。
「だ、だ、だだ、だだだっ、だっだっだっ第六天魔王・信長っっっ!!!」
信玄は歯ぎしりした。手紙をたたきつけて激怒した。
「そうだ。ヤツは悪魔に魂を売ったのだ! これはわしに対する挑戦だけではない! 仏教界・神道界・天皇家・将軍家、いや、この世の中のありとあらゆる権威や秩序や道徳や倫理に対する挑戦だっ! 背徳だっ! 冒涜(ぼうとく)なのだっ! なんてヤツだ! これ以上、天下を信長に任せておけぬっ! この命に変えても、ヤツだけは成敗しておくのじゃーっ!」
元亀三年(1572)十月三日、信玄は信長を討つために居館・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた。武田氏館。山梨県甲府市)を出陣した。実勢二万五千とも二万ともいわれているが、四万とも六万とも吹聴した。
これ以前、信玄は相模の戦国大名・北条氏政(ほうじょううじまさ。相模小田原城主)と同盟を結び直し、伊勢で水軍を編制して伊勢湾(愛知県・三重県)を封鎖、元美濃守護家・土岐頼次(ときよりつぐ。頼芸の子。「土岐氏系図」参照)を美濃へ送り込み、挙兵を画策している。
また、山県昌景(やまがたまさかげ。駿河江尻城主)率いる五千を三河へ、秋山信友(あきやまのぶとも。虎繁・伯耆守)率いる別働隊を美濃へ、それぞれ先発させていた。
「甲斐の蹲虎(そんこ)・武田信玄がとうとう動き始めたそうだ!」
「信玄入道は本気だ。六万の大軍だというぞ」
「上洛して信長を討ち、とうとう天下を盗るつもりだ!」
徳川家康の居城・遠江浜松(はままつ。静岡県浜松市)城下は大騒ぎになった。
「織田に組している徳川は、真っ先につぶされるそうだ」
「戦国最強武田騎馬軍団に蹂躙(じゅうりん)されるそうだ」
「我が殿様はいったいどうなさるおつもりか? 戦うのか? 降伏するのか?」
そうこういっている間に、信玄は信濃に入り、青崩峠(あおくずれとうげ。静岡・長野県境)を越えて遠江に侵攻した。
「信玄本隊、遠江に乱入!」
「山県昌景隊、三河へ侵入! 山家三方衆(奥平貞勝+菅沼貞忠+菅沼満直)降参!」
「井平城(浜松市。城主・井平飛騨守)落城ー!」
「別働隊秋山隊は美濃へ侵攻し、岩村城(岐阜県恵那市。城主・遠山景任)を攻撃中!」
「信玄本隊、犬居城(いぬいじょう。城主・天野景貫)に入城!」
「只来城(ただらいじょう。天竜区。多田羅)陥落ー!」
徳川家康 PROFILE | |
【生没年】 | 1542-1616 |
【別 名】 | 竹千代→松平元信・次郎三郎→松平元康 |
【出 身】 | 三河国岡崎城(愛知県岡崎市) |
【本 拠】 | 三河岡崎城→遠江浜松城(静岡県浜松市) →武蔵江戸城(東京都千代田区) |
【職 業】 | 武将・政治家 |
【役 職】 | 三河守→権中納言→権大納言→内大臣 →征夷大将軍(1603-1605)・右大臣 →太政大臣(1616) |
【位 階】 | 従五位下→正三位→従二位→正二位→従一位 |
【 父 】 | 松平広忠(三河岡崎城主) |
【 母 】 | 水野お大(水野忠政の娘) |
【 師 】 | 太原崇孚(雪斎) |
【主 君】 | 今川義元・豊臣秀吉 |
【 妻 】 | 築山殿(関口親永の娘)・朝日姫(豊臣秀吉異父妹) ・永見お万・戸塚(西郷)お愛・秋山お都摩 ・西郡局(鵜殿氏)・花井お八(お茶阿() ・太田お八(お勝・お梶)・志水お亀・正木お万 ・市川お竹・三井おむす・飯田すわ(阿茶局) ・長谷川お奈津・黒田お六・宮崎お仙 ・青木お梅・ちよぼ・お松・松平重吉の娘 ・三条某の娘 |
【 子 】 | 松平信康・松平(結城)秀康・徳川秀忠・松平忠吉 ・武田信吉・松平忠輝・徳川義直・徳川頼宣 ・徳川頼房・松千代・仙千代 ・松平民部(松平秀康養子) ・小笠原権之丞(小笠原広朝養子) ・亀姫(奥平信昌妻)・督姫(池田輝政妻) ・松姫・市姫・振姫・女児某 |
【盟 友】 | 織田信長・北条氏政ら |
【部 下】 | 本多忠勝・井伊直政・酒井忠次・榊原康政 ・本多正信・本多正純・石川数正・本多重次 ・高力清長・天野康景・鳥居元忠・天海 ・以心崇伝・林羅山・三浦按針・大久保長安ら |
【仇 敵】 | 武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・淀殿ら |
【墓 地】 | 増上寺(東京都港区) |
【霊 地】 | 日光東照宮(栃木県日光市) ・久能山東照宮(静岡県静岡市)ほか各地の東照宮 |
浜松城で家康は考えていた。
「敵は多勢、我が軍は無勢。この際、別働隊は捨て置くしかない。仕掛けるとすれば信玄本隊のみだ」
家康は叔父(父の義弟)・酒井忠次(さかいただつぐ。三河吉田城主)に尋ねた。
忠次は石川数正(いしかわかずまさ)と共に初期徳川軍政の双璧(そうへき)であり、後世、徳川四天王の一人に数えられる名将である。
「信玄は次どこに来る?」
忠次は答えた。
「信玄は天竜川左岸を南下しておりまする。おそらく二俣城(ふたまたじょう。天竜区)かと……」
「そうか。松平康安(まつだいらやすやす。善兵衛)を二俣へ救援に向かわせよ!」
が、新たな報告が予想を覆した。
「武田軍、二俣城を攻撃開始ー! 信玄本隊分裂して進軍ー!」
「飯田城(いいだじょう。静岡県森町)陥落ー!」
「天方城(あまかたじょう。森町)降伏ー! 城主逃走ー!」
「信玄、向笠(むかさ。静岡県磐田市)から各輪(かくわ。静岡県掛川市)へー」
「信玄、久能城(久野城。袋井市。城主・久能宗能)へ向かっていまーす!」
家康は驚いた。
「なんと! 信玄本隊は二俣でフタマタに分かれたではないか!」
忠次は首をかしげた。
「信玄の動きは神出鬼没、常識は通用いたしませぬ」
「南へ向かって天竜川を渡り、いきなりこの浜松城に攻め掛かってくる可能性もあるということか?」
「うーん、なんとも〜」
「えーい! とにかく、敵に天竜川を渡らせるわけにはいかぬ! 水際で阻止するのだーっ!」
家康は三千の兵を率いて出陣した。
天竜川を東へ渡り、内藤信成(ないとうのぶなり)・本多忠勝(ほんだただかつ。平八郎)らを見付(みつけ。磐田市)へ偵察に行かせた。
が、すでに武田軍はそこまで来ていた。
「よう!徳川軍」
あっさり見つかっちゃった内藤・本多隊はあせった。
「げ、敵!」
「もうこんなところまで!」
武田軍は攻撃を開始した。
最強騎馬軍団・馬場信房(ばばのぶふさ。美濃守。信春)隊が地響き土煙大歓声を上げて襲い掛かってきた。しかも御丁寧に背後に回りこみ、逃げ道をふさごうとしている。
忠勝は叫んだ。
「まずい!
殿にお知らせせよ!
撤退しなければ全滅じゃーっ!」
徳川軍は浜松城へ向けて逃走した。
馬場隊はこれを追いかけた。
「逃げても無駄だってー」
そして、一言坂(ひとことざか。磐田市)で殿(しんがり。最後尾)軍の内藤・本多隊に追いついた。
「ダメだ追いつかれた〜」
「もう逃げられない〜」
「破滅に向かってまっしぐらぁー」
「弱音を吐くな!」
忠勝は檄(げき)を飛ばした。
周囲の民家に火を放って煙幕を張ると、長槍(ながやり)「蜻蛉切(とんぼきり)」をブルンブルン振り回し、群がる敵をなぎ倒しながら絶叫した。
「拙者が防いでいる間に逃げるのじゃーっ!」
立ち上る火炎の中で縦横無尽に槍を振るうそのさまは、酒が入って手に負えなくなった極悪プロレスラーのようであった。
馬場は部下たちを制した。
「命を無駄にするな。深追いはするな。我々は勝てばいいのだ」
本多忠勝の獅子奮迅の活躍により、徳川軍は無事に浜松城に逃げ帰ることができた。
これがいわゆる「一言坂の戦」である。
戦いの後、信玄の近習・小杉左近(こすぎさこん)が見付にこんな落書を立てた。
家康に過ぎたるものは二つあり 唐(から)の頭に本多平八
唐の頭とは、ヤクの尾の毛で作った兜(かぶと)の装飾のことである。
家康は信玄と戦う前、上杉謙信に媚(こ)び、唐の頭兜を贈っていた。