★ 源平藤橘!何ゆえ橘氏が四姓に入っているのか?
 〜 奈良時代の政権交代!正一位左大臣橘諸兄の辞任!!

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幕末史に対する疑念
1.恭仁遷都
2.紫香楽造宮
3.難波遷都
4.玄ム・吉備真備左遷
5.橘諸兄失脚

 平成二十年(2008)九月は要人の辞任が相次いだ。福田康夫(ふくだやすお)首相以下福田内閣の面々、北の湖敏満(きたのうみとしみつ)日本相撲協会理事長、同月成立したばかりの麻生太郎(あそうたろう)内閣の中山成彬(なかやまなりあき)国交相らである。
 また、王貞治
(おうさだはる)ソフトバンク監督が退任を、小泉純一郎元首相が衆院議員の引退を表明したが、前者面々とは異質なものである。
 それにしても、福田首相の最期は鮮烈かつ衝撃的であった。
あなたとは違うんです!」
 何という終焉
(しゅうえん)であろうか?
 彼は年金未納問題で官房長官を辞めた時にも「見事な最後っ屁
(ぺ)」をかましてくれたものだが(「ヤミ味」参照)、それすら上回る至高の極地であろう!すべては衆院選のためであろうが、それを口にするのは野暮というものである。
 というわけで今回は「辞任味」と決めた次第である。

*          *          *

 日本史上最も有名な辞任劇は、江戸幕府十五代将軍徳川慶喜の辞任、つまり大政奉還であろう。
もう怒った将軍なんて辞めてやるぜー!」
 本来であれば、ぜひともこれを採り上げたいのであるが、私は幕末史に「疑念」を抱いているがために、まだこれを紹介するわけにはいかない。幣サイトも今月で八十四か月目になるが、今まで一度も幕末政治史の「物件」を紹介してこなかったのは、ひとえにこれが理由なのである。いずれ調べを付けて一挙に公開するつもりであるが、「答え合わせ」を欧米でしなければならないため、現状では困難である。

 戦国と幕末は日本史の華であろう。
 あまたある日本史関連の書籍でも、NHKの大河ドラマでも
(本年の「篤姫」もそうだ)、民放各局の年末・新春時代劇でも、この両時代を採り上げたものは圧倒的に多い。わずか十数年に過ぎない幕末が、約四百年続いた平安時代よりも、はるかにウエートがあるのである。

 なぜ、これほどまでに幕末は注目されるのであろうか?
 時代の境目であり、魅力的な人物が多く、妙に活気があり、希望に満ち満ちているところがファンが多い理由であろう。
 それにしても、いつの時代にも光と影があるはずである。
 にもかかわらず、幕末に黎明
(れいめい)を感じるのは、どうしてであろうか?

 理由は明白である。
 現在の日本政府が、当時の薩長政府に直結していることにほかならない。
 幕末維新という時代は、現政府の「創世記」であるため、どうしても明るくなければならないのである。そのため必要以上に影の部分が隠されたため、さも明るい時代であったかのように錯覚しているだけなのである。具体的には「海難味」で示したように「降伏」という「影」を「開国」という「光」に置き換えるなどしたことである。こういった工作のために本来の重大事が忘れられ「人形劇」のようになってしまっているのである。時代劇ならそれでいいかもしれないが、歴史の場合は「人形」を操っている「黒子」の方も見なければならない。それが今の幕末史には抜け落ちてしまっているのである。
 坂本竜馬暗殺事件もそうである。彼が誰に殺されたかは諸説あるが、幕府であろうが薩摩であろうが土佐であろうが朝廷であろうがその他であろうが「実行犯」は問題ではない。「黒幕」を見るべきではなかろうか?
 戊辰戦争もそうである。あれはベトナム戦争朝鮮戦争などと同じであろう。実際に戦っている兵士だけが戦争を動かしているわけではないのである。
 ほかにも疑惑を挙げれば切りがないが、このことは近代日本史上極めて重要なことである。

 考えてみてほしい。
 あの江戸幕府は、本当に薩長ごときに敗れたのであろうか?
 大日本帝国だけに敗れたのであろうか?
 帝政ロシアはどうであろうか?
 その薩長政府が、何ゆえ軍部に取って代わられたのであろうか?

 悪は憎むべきである。
 罪は償うべきである。
 が、悪は必ずしも悪人が犯すとは限らないし、悪人が善を行わないとも限らない。
 時には善人でも過ちを犯し、偽善者はその罪を悪人になすりつけようとまでするのである。
 悪人は、すべての悪を認めるべきではない。
 自分が犯した悪だけを認めるべきである。

四姓
源氏(げんじ)
平氏(へいし)
藤原氏(ふじわらし)
橘氏(たちばなし)

 時の流れとともに「標的」も替わるものである。
 最近中国で諸問題が連続しているが、そのうちいくつかにも私は疑念を抱いている。
 すでに「人形」にされているかどうかは定かではないが、近い将来、彼らもまた「黒幕」の真の恐ろしさを知ることになるであろう!

 と、いうわけで幕末史についてはいつかお届けするとして、今回は奈良時代の脱藤原政権橘諸兄政権の崩壊をお届けしたい。
 つまり、四姓の一角「橘氏」の祖・正一位左大臣橘諸兄の辞任である。

[2008年9月末日執筆]
参考文献はコチラ

「橘諸兄の辞任」登場人物

【橘 諸兄】たちばなのもろえ。大納言→右大臣→左大臣。政界首班。

【橘奈良麻呂】たちばなのならまろ。→参議。諸兄の子。

【玄 ム】げんぼう。僧正。諸兄の政治顧問。

【下道(吉備)真備】しもつみち(きび)のまきび。東宮学士。諸兄の政治顧問。

【佐味宮守】さみのみやもり。諸兄の側近。

【聖武天皇(上皇)】しょうむてんのう。伝45代天皇→上皇。

【元正上皇】げんしょうじょうこう。伝44代天皇→上皇。聖武天皇伯母。

【役人たち】

【藤原光明子】ふじわらのこうみょうし。聖武天皇皇后→皇太后。諸兄の異父兄。

【背奈(高麗)福信】せな(こま)のふくしん。仲麻呂の護衛。
【坂上苅田麻呂】さかのうえのかりたまろ。仲麻呂の護衛。

【藤原袁比良】
ふじわらのえひら。後宮女官。仲麻呂の妻。

【藤原仲麻呂】ふじわらのなかまろ。→参議→大納言兼紫微令。


●麻生太郎内閣閣僚(2008.9/発足当時)
大臣名 氏 名  備 考
総 理 麻生太郎 自民党総裁(麻生派)・衆院議員。吉田茂の孫。
総 務 鳩山邦夫 自民党(津島派)・衆院議員。鳩山一郎の孫。
法 務 森 英介 自民党(麻生派)・衆院議員。三木武夫の甥。
外 務 中曽根弘文 自民党(伊吹派)・参院議員。中曽根康弘の子。
財 務 中川昭一 自民党(伊吹派)・衆院議員。中川一郎の子。
文 科 塩谷 立 自民党(町村派)・衆院議員。
厚 労 舛添要一 自民党(無派閥)・参院議員。
農 水 石破 茂 自民党(津島派)・衆院議員。
経 産 二階俊博 自民党(二階派)・衆院議員。
国 交 中山成彬 自民党(町村派)・衆院議員。中山恭子の夫。
環 境 斉藤鉄夫 公明党・衆院議員。
防 衛 浜田靖一 自民党(無派閥)・衆院議員。浜田幸一の子。
官 長 河村建夫 自民党(伊吹派)・衆院議員。
国公委
佐藤 勉 自民党(古賀派)・衆院議員。
国 務 与謝野馨 経済財政。自民党(無派閥)・衆院議員。与謝野晶子の孫。
国 務 甘利 明 行政改革。自民党(山崎派)・衆院議員。
国 務 野田聖子 消費者。自民党(無派閥)・衆院議員。
国 務 小渕優子 少子化。自民党(津島派)・衆院議員。小渕恵三の娘。


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