4.豊臣秀吉にも負けなかった | ||||||||||||||
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天正十年(1582)六月、天下へ驀進(ばくしん)していた織田信長は、家臣・明智光秀に本能寺(ほんのうじ。京都市中京区)で討たれた(本能寺の変)。
北飛騨領主・江馬輝盛は喜んだ。
「今こそ姉小路自綱を倒し、飛騨を統一する好機だ!」
同年十月、江馬は出陣したが、姉小路の返り討ちにあい、逆に滅ぼされてしまった(八日町合戦)。
姉小路は、
「これで飛騨は統一した!」
と、宣言したが、ウソであった。
まだ、白川郷が残っていたが、見ていないふりをしていた。
「いい心地だ」
氏理は、帰雲城下のお花畑で大の字になり、目を閉じて寝そべっていた。
うとうとしていた氏理は、何やらムニョッとほおが変形したのを感じて目を開けた。
見ると、E子がしゃがんで棒で突付いてきたのであった。
「あら、まだまだ生きてた?」
E子が言った。顔が残念そうだった。
「当たり前だ!」
氏理が起き上がって怒ると、E子は、
「オホホホッ!」
と、笑ってダンナ・常尭のもとに逃亡した。
「義父さん、また、お昼寝ですか?」
常尭、妻の肩を抱いて氏理のところに帰ってきた。
氏理が不機嫌に言った。
「今、起きたところだ。お前も昼間っからイチャイチャしてないで、多少は馬の稽古なり、武芸の稽古なり、してはどうだ?」
「いーじゃないですか。どーせ誰も攻めてこないんだから」
が、氏理は疑った。
「それはどうかな。世の中には変わり者がおるからのう」
氏理は、ちょうどこっちに向かってやって来る人々を発見して指差した。
「見よ。うわさをすれば影だ」
やって来たのは、川尻氏信と、見知らぬ武将であった。
「おお、殿。ちょうどよいところにいてござった」
川尻は息を切らせながら、見知らぬ武将を紹介した。
「あ、こちらは羽柴(はしば)家家臣の金森(かなもり)殿じゃ」
金森も息を切らせていた。ぺこりと頭を下げて自己紹介した。
「初めまして。藤原秀吉、つまり羽柴秀吉の家臣、越前大野(おおの。福井県大野市)城将・金森法印長近(ほういんながちか)です」
天正十年(1582)、山崎の戦で明智光秀を破り、主君信長の敵を討った羽柴秀吉は、天正十三年(1585)三月に内大臣(ないだいじん)に昇進、七月、元関白・近衛(本姓藤原)前久(このえさきひさ)の養子として関白に任ぜられた。彼が豊臣姓を与えられるのは、翌天正十四年(1586)のことである。
氏理の目が光った。
「ほう。その秀吉の家臣が、白川郷に何の用だ?」
氏理の問いに、金森が答えた。
「内ヶ島殿には、羽柴家に対して臣下の礼をとっていただきたいのです」
「ほう。この内ヶ島に、羽柴の家来になれと?」
「その通りです。このことは内ヶ島殿のためにもなるんですよ。関白殿下はまもなく、越中の佐々成政と飛騨の姉小路自綱を討伐なさいます。内ヶ島殿は、ヤツらに組してはなりません」
氏理は常尭を見た。常尭は笑っていた。
氏理は金森に聞いてみた。
「断ったら、どうなる?」
「仕方ありません。容赦なく攻め滅ぼすまでのこと」
「うぷぷっ!」
氏理は吹き出した。声高らかに笑うと、常尭に言った。
「聞いたか、常尭! 羽柴は今まで誰も攻めてこなかったこの白川郷に、攻めてくるそうだ!」
常尭も笑って言った。
「金森殿。貴殿はここまで来るだけでもヒーヒー息を切らせていたじゃないですか。その状態で城攻めは到底無理でしょう。戦になれば、我々は帰雲城の詰めの城にこもって戦うでしょう。ほら、あの雲で山頂も見えない高い山の上にある城です。いくら羽柴軍が強いといっても、攻められるはずないでしょう」
金森は言い切った。
「我が羽柴軍の前に、難攻不落という城はありません!」
氏理は言い返した。
「おもしろい!
攻められるものなら、攻めてみろ!」
氏理は川尻に命令した。
「川尻。金森殿に帰雲城の『仕掛け』の一部を見せてやれ」
「いいんですか?」
「いいのだ。どうだ、金森殿。難攻不落の『仕掛け』見たくはないか? それを見れば、とても攻める気は失せてしまうと思うが」
金森は、額の青筋をピクピク踊らせながら言った。
「下見しておきましょう。城攻めの参考として。でも、内ヶ島殿。城を落とされてからピーピー命乞いしても知りませんからねっ」
こうして金森は、川尻に帰雲城内を案内された。
日が西に傾く頃、金森と川尻は帰ってきた。
金森はすっかりゲッソリしていた。
氏理が聞いた。
「どうです?
多少は城攻めの参考になりましたかな?」
「へ!」
金森はビクッとした。激しく首を横に振って否定した。
「とっ、とっ、とんでもない! 羽柴は金輪際、白川郷に攻め入ることはないでしょう。あるはずないじゃないですかっ!
はははっ! 白川郷、万歳ー!」
金森は、川尻にずっしり重たいお土産の箱をもらうと、いそいそ足早に帰っていった。
「何だ、あの豹変ぶりは?」
「帰雲城の『仕掛け』に、すっかり恐れ入ったようだ」
事実、それ以後秀吉が帰雲城を攻めることはなかった。
ただ、金森軍は支城・牧戸城だけを攻め落とした後、急に進路を変え、姉小路討伐に向かっている。