3.ずっと真夜中でいいのに。 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年3月号(通算233号)女傑味 大伴坂上郎女3.ずっと真夜中でいいのに。
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夫の死後、あたしは大伴旅人兄さんから頼まれた。
「わしの妻が死んでしまった。亡き妻に代わってわしの子、家持と書持(ふみもち)の面倒を見てほしい」
あたしにとっては甥(おい)たちだ。
「いいですよ」
私は坂上(さかのうえ。奈良県奈良市)から大宰府(だざいふ。福岡県太宰府市)に引っ越した。
旅人兄さんが大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任していたからだ。
天平三年(731)七月二十五日に旅人兄さんが死んだ後は、佐保(さほ。奈良県奈良市)の本邸に住み込んで世話を続けた。
甥たちはかわいかった。
特に上の子の家持は、究極の美男子に成長してしまった。
この究極の美男子こそ、『万葉集』の編者といわれている大伴家持だ。
家持の元服姿を見た時、あたしは衝撃を受けたものだった。
(あたし史上最高の男が、こんな身近にいたなんて……)
「おばさん、今まで育ててくれてありがとう。大きくなったから、もうさよならだね」
「そんなこといわずに、これからもよろしくね」
「もういいよ。俺は大人になった」
あたしは坂上へ帰るしかなかった。
あたしは寂しかったが、同時に、
『俺は大人になった』
にはワクワクした。
「そうか。オトナになったのか……」
ニヤニヤが止まらなくなってきた。
「へっへっへー」
「お母さん、何、笑ってるの?」
娘の坂上大嬢が変に思った。
「別に」
「よだれ、たれてるけど」
「たれたらあかんのかい!」
「怒らないでよ〜」
「ごめん。それよりあんた、家持のことどう思ってるの?」
「いとこのカッケーお兄ちゃんよ」
「そう思っているんなら結婚しなさい」
「え! 何いってんの〜、うち、まだコドモだよ〜」
「あんたが子供でも、向こうが大人なんだからいいんだよ」
「だって、うち、まだ字もろくに書けないよ〜」
「歌はお母さんが代作してあげるから」
あたしの働きかけもあって、家持は坂上大嬢に歌を送ってくるようになった。
しかし、坂上大嬢はそれらを見ようともしなくなった。
あたしは家持から歌が届くたびに注意した。
「歌が来てるわ」
「ほら、今日も来た」
「読んであげなさいよ」
「字も練習しなさいよ」
「自分で返歌できるようにならなきゃダメじゃない」
「早く返歌しないと、笠郎女(かさのいらつめ)とかいうゲス女に家持を盗られちゃうよっ」
坂上大嬢はキレた。
「うっせぇわ!」
「!」
そして、図星なことを突いてきた。
「家持さんを好きなのは、お母さんだろ!? うちを介さずに自分で返歌しろよっ!」
「……」
結局、成長した坂上大嬢は家持と結婚した(「大伴氏系図」参照)。
妹の坂上二嬢は大伴駿河麻呂(するがまろ)と結婚した。
二人の異母姉の田村大嬢(たむらのおおいらつめ)は大伴稲君(いなぎみ)と結ばれた。
同族だらけの縁談は、大刀自(おおとじ。一族の女ボス)のあたしが取り仕切ったものだ。
あたしの戦略は裏目に出て、以後、大伴氏は没落していく(「告発味」参照)。
こうして娘たちを片付けたあたしの家を訪れる人は、めっきり減ってしまった。
天平十八年(746)六月、家持は越中守として現地に赴任することになった。
その数日前、家持は独り身になっていたあたしの宅を訪れた。
「おばさん」
「あら、家持」
「俺は越中に行かなければならない。しばらく逢えなくなるから逢いに来たよ」
「うれしいわ。坂上大嬢は?」
「妻が寝たからこっそり逢いに来たんだよ」
「内緒で来なくてもいいのに」
「内緒じゃないと、まずいじゃないか」
「はい?」
「俺はずっと、おばさんのことが大好きだった」
「そりゃそうでしょうよ、おばさんだから」
「そうじゃなくて、ずっとずっと女性として君に思い焦がれていた」
「え?」
「知ってたよ。妻の歌は君の代作だったんだよね?」
「ええ」
「ということは、俺が恋愛していたのは、妻じゃなくて君だったんだ」
「!」
「俺は君とのやり取りが楽しかった」
「……」
「俺の本当の愛は妻にじゃない。君との間にあったんだ」
「……」
「俺だけじゃない。君もそう思っているはずだ」
「……」
「俺は旅立つ前に、俺の生涯の願いをかなえたいと思う」
「はあ?」
「俺の願いだけじゃない。これは、君の願いでもあるはずだ」
「違うわ」
あたしは首を横に振った。
それでも家持は決めつけた。
「俺は信じない」
「え?」
「俺が信じるのは真実の愛だけだ」
「……」
「真実の愛は、君の歌に表れていた」
「……」
「真実の愛は、君の瞳にも現れている」
「う……」
「君の胸の動悸(どうき)にも現れまくっている」
「むう……」
「君は右手で俺を払い除けながら、左手で俺を抱き寄せている」
「ひいぃ……」
「君は正直になればいいんだ」
「で、でも……」
「君が正直になれないのなら、俺は越中の海に飛び込んで、ホタルイカのエサになってやる!」
「へ!」
「もう二度と、君は俺の姿を見ることはできない」
「そんなの、いやっ!」
「嫌だったら、正直になるんだ」
「ううう」
「俺はウソツキは嫌いだ」
「……」
「真実の君だけが見たい」
「……」
「ほら、正直になりな」
「ひいぃ〜、なっ、なりますぅ〜〜〜!」
あたし史上最高の男が覆いかぶさってきた。
西の空に満月が傾いていた。
赤く照らされたあたしは、月にお願いした。
(ずっと真夜中でいいのに……)
あたしが夜明け前に目覚めると、家持の姿はなかった。
「夢だったのかしら?」
家持は越中へ旅立っていった。
あたしは越中に歌を贈った。
草枕旅行く君を幸くあれと斎瓮据ゑつ我が床の辺に
今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむするすべのなさ
旅に去にし君しも続ぎて夢に見ゆ吾が片恋のしげければかも
道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな
[2021年2月末日執筆]
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※ 弊作品の根幹史料は『万葉集』です。