6.帰ってきた清麻呂 | ||||||||||||||
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二か月後、和気清麻呂が都に帰ってきた。
「清麻呂、帰ってきました」
弓削浄人が道鏡に伝え、付け足した。
「大神田麻呂によれば、神託も打ち合わせどおり下ったそうです。それを聞いた清麻呂は『確かに承った』と」
「そうか」
道鏡は身を震わせた。
「清麻呂は正直な男だ。間違いなく神のお告げどおりに報告するはずだ。成った! 成ったぞ! オレの皇位への夢、女帝への愛は本日開花、満開を迎えるのだっ!」
公卿たちが集められた。
「清麻呂が帰ってきたそうだ」
「神託の真偽を我々の前で女帝と法王にお伝えするそうだ」
「答えはどうなんだ?」
「分からない。当然だが、清麻呂は事前には教えてくれない。表情にも出ていない」
清麻呂が入ってきた。
公卿たちの間をすーっすーっと進み出た。
公卿たちは静まり返った。
称徳天皇はそわそわしていた。
道鏡はじっと座っていた。余裕の笑みがその顔に見て取れた。
「宇佐使和気清麻呂、ただ今参上しました」
清麻呂が二人の前で平伏した。
道鏡がねぎらった。
「長旅、御苦労であった」
称徳天皇は檜扇(ひおうぎ)をパタパタさせると、身を乗り出して聞いた。
「で、真偽のほどはどうでした?」
清麻呂は顔を上げた。口を開いた。
「初め、八幡大神はムニャムニャとおっしゃいました」
「むにゃむにゃ?」
「はい。その後でこうおっしゃったのです」
称徳天皇は前傾姿勢のまま、息を詰めて固まった。
道鏡は大きく息を吸い込んだ。
公卿たちも息を凝らして見守った。
清麻呂は声を張った。
「恐れ多くも八幡大神は次のようにおっしゃいました!『わが国は天地開闢(かいびゃく)以来、君臣の道定まり、いまだかつて臣をもって君と成したことがない! 天津日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇孫を立てよっ! 道鏡、無道をもって皇位を望もうとしているが、はなはだ恐れ多いことである! 早くこれを払い除けよ!
なんじ、その恨みを恐れるな! われ、必ずなんじを助けるであろう!』と」
「なんと……」
道鏡は言葉を失った。
公卿たちは騒然とした。
永手は満面の笑みで宿奈麻呂を見やった。
称徳天皇は清麻呂に聞き直した。
「今、何と申した?」
以前、彼女は驚いたフリで阿曽麻呂にもこう聞いたが、今回はマジでオロオロしていた。
清麻呂は再び、今度は雷鳴のように言い放った。
「天津日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇孫を立てよっ! 無道の道鏡は払い除けよっ!」
称徳天皇は激高した。
桧扇を投げつけてしかりつけた。
「黙れ! 清麻呂! 八幡大神がそのようなことを言うはずがないっ! 違うって! 違うのよ! こんなのはデタラメよっ! 偽りよっ! 全部真っ赤なウソなのよーっ!」
道鏡も、血眼で食いしばる歯茎にも血をにじませて清麻呂をにらみつけてうめいた。
「そうだ。清麻呂は神託を偽っているのだ! 恐れ多くも尊い神のお告げを偽造しているのだっ!」
「偽造しているのは、法王! あなたのほうではないか! 神はあなたの無道にお怒りなのだっ! 激怒されているのだっ!」
「えーい! 黙れ、黙れ、黙れーい! 誰かコヤツを引っ立てーいっ!」
すぐさま法王宮職大夫・高麗福信(こまのふくしん)が清麻呂に飛び掛かった。
福信は大力である。清麻呂はたちまち羽交いじめにされ、ぐいぐい引きずられた。
清麻呂は絶叫した。
「各々方、道理をわきまえよっ! 秩序をわきまえよっ! 臣を君と成すべからずっ!
臣を君と成せば、たちまち国家は崩壊するであろーうっ!」
称徳天皇は歯ぎしりして悔しさをあらわにした。
「キィーッ! 何が和気よ! 何が清麻呂よ! 全然わきまえてないし、清くないじゃないのよぉーっ! そうよ。今日からアイツの名前は『別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)』よっ! 姉の法均共々、どっか遠くへやっておしまいっっっ!」
道鏡も鼻息を荒げて同じた。
「当然のことですともっ」
こうして和気清麻呂は別部穢麻呂と改名させられ、因幡次いで大隅に流された。
また、法均尼も無理やり還俗させられ、備前に流された。
こうして、道鏡の即位もシラけてお流れになってしまったのである。
神護景雲三年(769)九月二十五日のことであった。
称徳天皇は泣きべそになった。
「うえーん、ごめんね。朕があんなのを宇佐使に選んだから〜」
道鏡は慰めた。
「二人で決めたことではないですか。まあいい。何度でも好機はありますって。ほとぼりが冷めてから、また次なるお告げを考えればいい」
が、好機はもうなかった。
宝亀元年(770)八月四日、称徳天皇ボロボロ五十三歳は西宮にて崩御、藤原永手・雄田麻呂(百川)らの奇術的どんでん返しによって道鏡は失脚させられてしまうのであった(「ヤミ味」参照)。
[2005年11月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 道鏡皇位事件の首謀者について、道鏡野望説・称徳天皇貢ぎ説・藤原氏陰謀説・宇佐八幡神官ゴマスリ説・弓削浄人後押し説などがあるが、『続日本紀』を見る限り、失敗して怒っているのは称徳天皇と道鏡だけであるため、この物語では二人の共謀説を採用した。
※ また、道鏡の出生について「施基親王の隠し子説」があるが、私は信用していない。ただし「怨霊味」の序文でちらつかせた「歴史教科書をひっくり返すような衝撃の最重大事」というのは、まさにこの説に関連することなので、今はもったいぶって明かすわけにはいかない。いずれまた、忘れた頃に発表する予定。