★ 事実無根!慮外千万!なぜに私は左遷さる!
  〜 学問の神様・菅原道真左遷事件!昌泰の変!!

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菅原道真と藤原時平
1.その男、天才につき
2.天才の甍(いらか)
3.渡る世間は敵ばかり
4.最後の一屁(ひとへ)
5.そのとき歴史は蠢(うごめ)いた
6.東風(こち)とともに去りぬ

 温暖化とはいえ、この季節の乾いた冷たい空気を懐かしく思われる方も多いと存ずる。
「ああ、この空気――。受験勉強はつらかったけど、栄光の未来へ邁進
(まいしん)するため希望に胸膨らませていたあの頃と同じだなー」

 っていうか、私はあまり勉強をした記憶はないので、そういう方々の気持ちを代弁してみただけである。

 ただ、大学受験前に同級の連中と北野天満宮(きたのてんまんぐう。京都市上京区)に合格祈願には行った。
 そこで私は見事に「大吉」を引いた。
「やった! 合格だぜー!」
 そのときはそう確信していた。
 が、人生というものは時としておもしろき劇場を用意しておいてくれるものである。それは後にわかることであるが、そのときの私はただうれしくて、祭神に振り返ってこう誓ったものであった。
(いつか必ず、あんたのことを書ーくっ!)

 月日は流れ、ついに北野天満宮の祭神・菅原道真を書く日がやって来た。
 っていうか、すでに一度「阿衡の紛議
(「スト味」参照)」に登場しているので、今回はその続きのお話である。

 私は「怨念味」において、道真について、
「政敵・藤原時平に、過去
(功績)と現在(権力)を奪われただけである」
 と、断じたが、左遷後わずか二年で亡くなっていることから、ほとんど未来を奪われたようなものであろう。考えようによっては早良親王
(さわらしんのう)よりも「史上最強の怨霊」にふさわしいのかもしれない。

 が、私はどうしても道真が敗者とは思えないのである。
 確かに道真時平に追い落とされたものの、どちらが負けたかといえば、追い落とした時平のほうではあるまいか?

 現在、道真日本史上屈指の大偉人である。
 彼は昌泰
(しょうたい)の変で罪人として処罰されたにもかかわらず、聖徳太子(「法王味」参照)吉備真備(「中国味」参照)空海(「三密味」参照)・清原頼業(きよはらのよりなり)一条兼良林羅山吉田松陰などなど、日本史上の並み居る天才たちを押しのけて「学問の神様」とされているのである。

 一方、道真を告発した時平のほうは大悪人である。
 さらに時平の告発を受け、道真を左遷した醍醐天皇にいたっては「歴代天皇中唯一地獄に落ちた天皇
(「入試味」参照)」とされているのである。
 これはいったいどういうことなのであろうか?

 敗者に同情が寄せられることは珍しいことではない。
 源義経らに対する、いわゆる「判官びいき」は存在するわけである。
 確かに義経を追い落とした源頼朝は嫌われ者であるが、その反面、昔から現在まで彼を尊敬する人々も大勢いるわけである。
 ところが、時平はどうであろうか?
 残念ながら、私は今まで、
「尊敬する人は藤原時平でーす」
 と、堂々と主張する人も、コッソリ主張する人もただの一人も見たことがないし、聞いたこともない。

 そもそも根本的な問題がある。
 それは、道真を失脚させたのは、本当に時平なのかという疑問である。
 昌泰四年(901)の昌泰の変当時、時平公卿中最高位の左大臣であると同時に、最年少の三十一歳であった。
 はたして若輩者の彼が、少年帝・醍醐天皇
(当時十七歳)をそそのかし、歴史的な大陰謀を主導できたものであろうか?

 そこで今回は地獄で元気に暮らしている時平君当人をお迎えして、事の真相をぶちまけてもらうことにした。
 さあ、さあ、時平君。どうぞ存分にお語りなさい。

※ なお、彼がホンモノかどうかは、各位の御判断にお任せします。

[2008年1月末日執筆]
参考文献はコチラ

「昌泰の変」登場人物

【藤原時平】ふじわらのときひら。私。→左大臣。政界首班。

【藤原忠平】ふじわらのただひら。時平の弟。善行・道真の弟子。

【藤原基経】ふじわらのもとつね。日本最初の関白。時平の父。

【醍醐天皇(敦仁親王)】だいごてんのう(あつぎみしんのう)。伝60代天皇。宇多天皇の子。

【廉子女王】
れんしじょおう。時平の妻。仁明天皇の孫。
【藤原顕忠】ふじわらのあきただ。時平の子。廉子女王の継子。

【源 能有】
みなもとのよしあり。→右大臣。潤滑油。
【 源 光 】みなもとのひかる。権大納言。仁明天皇の子。
【藤原高藤】ふじわらのたかふじ。中納言。醍醐天皇外祖父。
【藤原国経】ふじわらのくにつね。中納言。時平の叔父。

【藤原菅根】ふじわらのすがね。蔵人頭。善行・道真の弟子。
【藤原清貫】ふじわらのきよつら。式部権少輔・勅使。保則の子。
【宮道友兄】みやじのともえ。役人。

【三善清行】みよしのきよゆき(みよしきよゆき)。善行の弟子。道真の仇敵。

【三統理平】
みむねのまさひら。学者。善行の弟子。
【平 惟範】たいらのこれのり。学者。善行の弟子。

【大蔵善行】おおくらのよしゆき。師。大蔵学閥の領袖。道真の仇敵。

【公卿たち】
【滝口の武士たち】
【班子女王の下僕】

【ある史】
【宇多天皇の愛猫】


【班子女王】
はんし(なかこ)じょおう。→皇太后。宇多天皇の母。光孝天皇の女御。
【藤原淑子】ふじわらのしゅくし。尚侍。時平の叔母。宇多天皇の養母。

【宇多天皇(上皇・法皇)】うだてんのう(じょうこう・ほうおう)。伝59代天皇。

【菅原道真】すがわらのみちざね。先生。→右大臣。菅原学閥の領袖。

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