4.最後の一屁

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菅原道真と藤原時平
1.その男、天才につき
2.天才の甍
3.渡る世間は敵ばかり
4.最後の一屁
5.そのとき歴史は蠢いた
6.東風とともに去りぬ

 寛平末期、私と菅原道真先生は並行して出世していきました。
 私が中納言に昇進した二年後に、先生も中納言になりました。
 私が大納言になった時、先生は権大納言になりました。
 この宇多天皇の計らいを、醍醐天皇も継承しました。
 昌泰元年(898)には私と先生に共に準関白ともいえる内覧の権限を与え、翌昌泰二年(899)二月には、私を左大臣に、先生を右大臣に任じたのです。
 表が昌泰二年二月当時の参議以上の公卿です。

藤原時平政権閣僚(899.2/)

官 職 官 位 氏 名  備考
左大臣 正三位 藤原時平
右大臣 正三位 菅原道真
大納言 正三位 藤原高藤 醍醐天皇外祖父。
大納言 従三位 源 光
中納言 従三位 藤原国経
中納言 従三位 源 希 嵯峨天皇の孫。
中納言 従三位 藤原定国 高藤の子。
参 議 従三位 藤原有実
参 議 従三位 源 直
参 議 正四位下 源 貞恒
参 議 正四位下 十世王 班子女王の弟。
参 議 正四位下 藤原有穂 藤原北家傍流。
参 議 従四位上 源 湛
参 議 従四位上 源 昇 融の子。

 依然として、私と先生の関係は良好でした。いまだ政治や年中行事に疎い若輩者の私には、先生は参考書や辞書のような人でした。手元に置いてこんな都合のいい人はいませんでした。
 先生はなんでも優しく丁寧に教えてくれました。
 先生もまた、私と良好な関係を保つことが失脚を逃れる最善の策だとよく知っていたのです。
 そうです。先生は私とさえ仲良くしていれば、源光ら公卿は決して手を出せないことを見透かしていたのです。

 あるときこんなことがありました。
 醍醐天皇がこんなことで悩んでいたのです。
「この頃、公卿たちの服装が華美すぎると思わぬか?」
「ええ、そういえば……」
「何とか公卿たちに贅沢
(ぜいたく)をやめさせる方法はないか?」
「考えておきます」
 私は考えましたが、思いつきませんでした。そこでこっそり先生に聞いてみたんです。
 先生は笑いました。
「ここは政界首班である時平公が率先して見本を示すことですよ」
 で、その方法を私に耳打ちしたのです。
「なーるほど」
 私は醍醐天皇と打ち合わせて、それをやってみることにしました。

藤原時平 PROFILE
【生没年】 871-909
【別 名】 本院大臣
【出 身】 平安京堀川院(京都市上京区)
【本 拠】 堀川院
【職 業】 公卿(政治家)
【役 職】 右近衛権中将→蔵人頭・讃岐権守
→参議・右衛門督・左衛門督
→中納言・右近衛大将・春宮大夫
→大納言・左近衛大将・蔵人所別当
→左大臣・左近衛大将
【位 階】 正五位下→従四位下→従四位上→従三位
→正三位→従二位→正二位
【 父 】 藤原基経(藤原良房養子)
【 母 】 操子女王(人康親王の女)
【 妻 】 廉子女王(本康親王の女)ら
【 子 】 藤原保忠・顕忠・敦忠・褒子(宇多天皇室)
・仁善子(保明親王室)・女(藤原実頼室)
・女(敦実親王室)・女(源博雅母)ら
【叔父母】 藤原国経・藤原淑子ら
【兄 弟】 兼平・仲平・忠平・良平・頼子(清和天皇女御)
・妹子(清和天皇女御)・温子(宇多天皇女御)
・穏子(醍醐天皇皇后)・女(源兼忠母)ら
【主 君】 宇多天皇・醍醐天皇
【 師 】 大蔵善行
【仇 敵】 菅原道真
【業 績】 延喜の治を主導・荘園整理
・『日本三代実録』『延喜格式』編修など
【墓 地】 又宇治墓(京都府宇治市)

 翌日、私はわざと公卿の誰よりも華美な服装で参内しました。
 公卿たちは驚きました。
「なにあれ!」
「派手!」
時平公はパーになられたか?」
 醍醐天皇はもっと驚きました。いえ、驚いたふりをしました。
 で、烈火のごとく私をしかりつけたのです。
「この財政窮乏の折、そのような華美な服装で参内するとは何事だ! 汝
(なんじ)なんぞ、即刻帰って謹慎じゃっ!」
「は、ははぁー! も、申し訳ございません〜!」
 そのまま私は自邸にすっ飛び帰って謹慎してしまいました。
 これを見ていた公卿たちは震え上がりました。
(左大臣ですらあのような処分を受けるのだ。これはまずい。私ももっと質素倹約を心がけなければ……)
 それからというもの、公卿たちの服装は質素になったのです。

 また、こんなこともありました。
 これは私がまんまと先生にいっぱい食わされた話です。
 あるとき、先生がある史
(さかん。秘書官)を相手にぼやいていました。
時平公は悪い人ではないんだが、少々処分が厳しいところがある。かといって内覧の権限は私も時平公も同等。私が見る書類は、時平公も見るわけだ。何とか一度ぐらい私だけが見る方法はないものであろうか?」
 すると史は言いました。
「私にいい考えがあります」
「どんな?」
「まあ、説明しにくいので、今度のときにいたしてみせます」
「険悪になるのは嫌だぞ」
「アハハ! そうなることはありませんので」

 しばらくして、史が上がってきた書類を持ってきました。
「どうぞ御覧ください」
 で、史はマジな顔をしてそれを神妙に私に差し出してきたのです。
「うん」
 私もまじめに書類を手にとって広げようとしたときのことでした。
 ぷぅぅ〜〜。
 どこからともなくアノ音が一発聞こえてきたのです。
 私は固まりました。
 史のマジな顔は微動だにくずれません。
 でも私は、史が不自然に微妙に尻
(しり)を上げる瞬間を見てしまったのです。
「プッ!」
 私は吹き出しました。史の顔が崩れないことが、私の笑いを増幅させ、大笑いさせました。
「ヒャハハハハ! ひっひひひーっ!」
 私は書類を広げました。読もうとしましたが、次から次へととめどなく新たな笑いや思い出し笑いがこみ上げてきて、どうにもなりません。
「ギャハハ! あっひひー! ウフプ! ばははははっ!」
 私はしまったと思いました。私は笑いのツボにはまってしまうと、どうにも止まらなくなってしまうという性癖があったのです。
 私はたまらず書類を先生に渡しました。
「ぶひっ! ぶひっ! この書類は、菅家にぃ――。プププッ! どっはーっ!!」
 私はゲラゲラ笑い続けながら、とっとと退席しました。
 こうして先生はまんまと書類を独り占めすることができたのです。

 その後、私はその史が来ると警戒するようになりました。
 それからの史は二度と私の前で放屁
(ほうひ)することはありませんでした。
 史も知っていたはずです。
 屁というものは一発ぐらいは笑いを誘いますが、何度もすると逆に怒りを買うということを――。 

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