1.密会!今川氏真!! | ||||||||||||||
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天正三年(1575)三月、事実上の天下人・織田信長は京都の相国寺にて、蹴鞠(けまり・しゅうきく)の会を見物した。
主催者は今川氏真(いまがわうじざね)――。
永禄三年(1560)の桶狭間の戦で信長に敗死した今川義元の子である(「最強味」参照)。
織田信長 PROFILE | |
【生没年】 | 1534-1582 |
【別 名】 | 吉法師・三郎 |
【出 身】 | 尾張国那古屋城(名古屋市中区) |
【本 拠】 | 尾張那古屋城→尾張清洲城(愛知県清須市) →尾張小牧山城(愛知県小牧市) →美濃岐阜城(岐阜県岐阜市)→近江安土城(滋賀県安土町) |
【職 業】 | 武将・政治家 |
【役 職】 | 上総介→弾正忠→参議→権大納言・右近衛大将 →内大臣・右大将→右大臣・右大将 |
【位 階】 | 正四位下→従三位→正三位→従二位→正二位 |
【 父 】 | 織田信秀(尾張古渡城主・勝幡城主・末盛城主) |
【 母 】 | 土田氏 |
【兄 弟】 | 織田信広・信行・信包・信治・秀俊(信時)・信興・秀孝・秀成 ・信照・長益(有楽)・長利・女(神保氏張・稲葉一鉄室) ・女(織田信清室)・女(斎藤道三室)・女(苗木勘太郎室) ・お市(浅井長政・柴田勝家室)・女(織田信直室)・女(織田信成室) ・お犬(佐治為興・細川昭元室)・女(飯尾信宗室)・女(牧長清室) ・女(津田元秀室) |
【 妻 】 | 帰蝶(濃姫。斎藤道三の娘)・吉乃(生駒氏)・坂氏ら |
【 子 】 | 織田信忠・北畠信雄・神戸信孝・羽柴秀勝・武田勝長・信秀 ・信高・信吉・信貞・信好・長次・信正・徳姫(松平信康室) ・冬姫(蒲生氏郷室)・女(前田利長室)・女(丹羽長重室) ・女(二条昭実室)・女(筒井定次室)・女(水野忠胤・佐治一成質) ・女(万里小路充房室)・三の丸殿(豊臣秀吉室)・女(中川秀政室) ・女(徳大寺実冬室)・養女(武田勝頼室) |
【主 君】 | 足利義昭 |
【 師 】 | 平手政秀・沢彦・斎藤道三・林秀貞(通勝)ら |
【盟 友】 | 徳川家康ら |
【部 下】 | 柴田勝家・佐久間信盛・丹羽長秀・羽柴(豊臣)秀吉・明智光秀 ・滝川一益・佐々成政・前田利家・池田恒興(信輝)・蜂屋頼隆 ・河尻秀隆・村井貞勝・森長可・細川藤孝(幽斎)・佐久間盛政ら |
【仇 敵】 | 今川義元・斎藤竜興・顕如・足利義昭・武田信玄・武田勝頼 ・上杉謙信・浅井長政・朝倉義景・松永久秀・毛利輝元ら |
【墓 地】 | 大徳寺総見院(京都市北区)・本能寺(京都市中京区) ・妙心寺玉鳳院(京都市右京区)など |
【霊 地】 | 建勲神社(京都市北区)など |
その晩、氏真の居所に来客があった。
「こんな夜中に誰だ?」
不思議がる氏真に、従者が伝えた。
「左文字殿と名乗りました。長身で品のある中年男です」
「左文字?」
そんな人物に知り合いはなかった。
ただ、その言葉には聞き覚えがあった。
『左文字よ。今日の戦も頼むぞ』
それは、父・義元の愛刀の名前であった。
が、その左文字の現在の所持者は、ほかならぬ信長である。
氏真は察した。
「通せ」
そして、従者に付け足した。
「旧知の者だ。心配はいらぬ。お前はもう下がってよい」
「ははあ」
従者と入れ替わりに客人が颯爽(さっそう)と入ってきた。
案の定、信長であった。
信長は氏真の前にどっかり座ると、唐突に話しかけてきた。
「驚くべきは、なんじの蹴鞠の見事さよ。話には聞いていたが、想像以上であった」
氏真が蹴鞠の名手であることはすでに述べた(「日韓味」参照)。
「いえ、それほどでも」
「いや。あの動きを武芸に応用すれば、たいした武将になれたと思うが――」
一方で、武将としての氏真は無能であった。
かつての駿河・遠江・三河三国の太守の息子も、今はただの貧乏公家もどきである。
氏真は静かな笑みを浮かべた。
「私は人殺しを好みませぬ。人を殺せば、その家には悲しみの遺族がおりまする」
信長はクックと笑った。
「なんじが言うと説得感があるのう。――が、たとえ誰かが殺さなくとも、人はいつか必ず死ぬ」
信長は思い出したように腰の刀を氏真に渡した。
「――そうそう。今夜はこれを返しにきた」
例の左文字の刀であった。
信長はそそのかした。
「なんじの父を殺したのは余じゃ。余はなんじに刀を返したことで丸腰になった。よってなんじはその刀で余を刺すこともできる」
氏真は思わずうれしそうに笑った。
左文字の束を握り直すと、信長に突き返してきた。
「この刀の主にふさわしい者はあなた様しかおりませぬ。この刀は、天下を目指すお方が持つべきものでございまする。父亡き今、この世でこれを持つべきお方はただ一人、あなた様しかおりませぬ。私のような天下とは無縁の者が持つべきシロモノではございませぬ。それにもし私があなた様を殺せば、再び天下は騒乱になりましょう。はたして父は、乱世を望んでいるでしょうか?いいえ、父は私をしかりつけることでしょう。『なんてことをしてくれたんだ!これ以上戦乱の世を続かせるな!』と。私は生前、いつもいつも父にしかられておりました。もうこれ以上、父にはしかられたくはありません」
信長は左文字をむんずとつかんで受け取った。再び腰に差して高笑いした。
「ハッハッハ!この刀は天下そのものということか!ならば遠慮なくもらっておこう!――そのために今夜は聞きたいことがあって来た」
「なんでしょうか?」
「武田勝頼とはどんな男だ?」
今川と武田はかつての同盟国であり、二重三重の親類である。当然、彼は勝頼を見知っていた。
氏真は答えた。
「バカではありませぬ」
「当然であろう。たとえ『うつけもの』とうわさされていても、信用できぬものだ」
「あなた様が言われると、説得感がありますね」
「ハッハッハ!」
「勝頼は誇り高き男でございまする。自分自身に、そして武田軍に絶大な自信を持っておりまする」
「ほう」
「彼は執念深い男でございまする。あきらめが悪い男でございまする。負け戦に陥っても、常に手段を考えている男でございまする。絶えず考え、絶えず動き続けている男でございまする。――そうですね。父信玄が『風林火山』であれば、勝頼は『風林火』といったところでしょうか」
「ほう。『山』がない。つまり、不動を好まざるか?」
「そのとおりかと」
信長はひらめいた。
「参考になった。なんじへの褒美は三河殿(徳川家康)に頼んでおこう」
用がすむと、とっとと帰ろうとしたが、思い出したように振り返ると、こう言った。
「今度は北条(ほうじょう)攻めの前にまた来る」
北条も今川のかつての同盟国であり、氏真の妻は北条氏康(うじやす)の娘・早川殿である。
氏真は声をかけた。
「親の仇(かたき)であるあなた様に進言したこの私を、信じてくださいますか?」
信長はまた振り返ってニヤリとした。
「余には敵も味方も恩も仇(あだ)もない。利か害か、それだけじゃ」
* * *
長篠の戦後、氏真は家康から三河牧野(まきの。愛知県豊川市)城を与えられるが(遠江牧野城とも)、二年後には没収されている。
「どーせ私に城は似合わないさ」
そんな氏真は信長や豊臣秀吉よりも長く生き、慶長十九年(1614)まで、七十七歳まで生きるのであった。