5.奇襲!酒井忠次!! | ||||||||||||||
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「武田軍、長篠城を猛攻ー!」
「武田軍本隊、寒狭川(豊川)を渡河し、設楽原に接近中ー!」
二十日、織田信長は軍議を開いた。
「とうとう武田が動き出したようじゃ。誰か、よい案はあるか?」
徳川家康が挙手した。
「忠次に案があると――」
「申せ」
「ははー」
家康の腹心・酒井忠次(さかいただつぐ。三河吉田城主)が地図を差して提案した。
ちなみに忠次の次男・康俊(やすとし。後の本多康俊)は人質として岐阜城で暮らしている。
「武田軍は進軍と城攻めによって後方が手薄になっておりまする。軍の一部を割いて鳶ヶ巣山の鳶ヶ巣砦を奇襲してはいかがかと――」
これには信長の臣・羽柴秀吉がワクワク喜んだ。
「さすがは酒井殿。おもしろいですなー」
秀吉は何か言おうとしたが、信長が一蹴(いっしゅう)した。
「みみっちい」
結局、忠次の提案は、鶴の一声で終わりになった。
忠次は自陣に戻ってからも残念がった。
じょーじょー。ぶるるっ。
木陰で用を足しながら独り言を言った。
「いい作戦だと思ったのだが……。信長様も最後まで聞いてくれないからダメだのう」
「であるか」
聞き覚えのある声が背後でした。それもさっきの軍議で聞いたばかりの甲高い声であった。
「ま、まさか……」
振り返ってみると、信長であった。
「うわっ! のののぉぉぉぶぅぅぅー!!」
びっくりしすぎて、用が止まってしまった。
「黙れ。お忍びだ。続けよ」
「ははー、あの、その、でも……、ははぁー」
続けられるわけがない。忠次は袴(はかま)で手をふきふき平伏した。
信長がかがんで扇子で彼の頭をツンツンつついた。
「なんじの案は妙案だ。武田勝頼はバカではない。我々の目的が長篠城救援であることを知っている。武田が前へ押し出してきたのは設楽原で決戦を挑むためではない。我々を城に近づかせないためだ。ヤツの目的はあくまで城を陥落させること。さすれば目的を失った我々は撤退するしかない。そう。勝頼は我が軍が守勢に回ってから総攻撃を加えるつもりなのだ。考えたものよのう」
「はあ」
「その点、なんじの案には利がある。勝頼の作戦は鳶ヶ巣山に蓄えている食糧があって初めてできることだ。食糧がなくなれば、勝頼は即時決戦か撤退か二者択一を迫られることになる。この状況での撤退は敗走に等しい。つまり、勝頼の採る道はただ一つ、設楽原に押し出して決戦するのみ」
忠次は感服した。
「まさにそのとおりでございまする。――それなら何ゆえ先程は?」
信長は答えた。
「間者の前ではばらせぬ」
忠次は青くなった。
「では、徳川家中に裏切り者がいると!?」
信長は笑った。
「案ずるな。裏切り者は勝者にしかつかぬ。我々が勝てば問題はない。勝敗はなんじの奇襲にかかっている。ただちに行け!」
「ははあー、御意」
酒井忠次は、徳川軍の松平伊忠(これただ。三河長沢城主)・奥平貞能(さだよし。三河作手亀山城主。貞昌の父)・設楽貞道(しだらさだみち。三河川路城主)ら、織田軍の金森長近(かなもりながちか)・佐藤秀方(さとうひでかた)らとともに、ひそかに鳶ヶ巣山の裏手(南側)へ回った。その数約四千。鉄砲は五百丁装備していたという。
鳶ヶ巣山には武田方の砦(とりで)が点在していた。
武田信実(のぶざね。河窪信実。勝頼の叔父)が守る鳶ヶ巣砦のほか、中山砦・君ヶ伏床(きみがふしど)砦・姥ヶ懐(うばがふところ)砦・久間(ひさま)砦があり、総勢は千人ほどであった。
忠次はまず設楽隊五百を樋田に置いて敵の退路を断つと、残りを三隊に分け、うち一隊で中山砦を攻撃し、残りの二隊で鳶ヶ巣砦を前後から挟撃することにした。
作戦が決行されたのは、二十一日明け方である。
「かかれー!」
だだだーん!
ぴゅん! ぴゅん! ぴゅん!
酒井勢は砦に鉄砲を放ち、食糧庫に火矢を放った。
鳶ヶ巣砦の兵たちは慌てふためいた。
「すわ! 敵!」
「なんで山側から攻めてくるの〜?」
「どっからわいてきたんだー!」
「とにかく戦えー!」
信実は何度も酒井勢を押し返したが、
チャーン! チャリーン!
「死ねー!」
ぶすぅっ!
「おう! 強烈ぅ〜!」
ついに力尽き、松平伊忠に討ち取られた。
続いて四つの砦も次々と陥落、奇襲は大成功であった。
なお『三河物語』の著者・大久保忠教(おおくぼただたか。彦左衛門)の初陣をこの鳶ヶ巣砦攻めとする説があるが、この翌年の遠江乾の戦が正しいと思われる。