6.粉砕!武田勝頼!! | ||||||||||||||
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「鳶ヶ巣砦、姥ヶ懐砦、陥落ー!」
「河窪兵庫助(かわくぼひょうごのすけ。武田信実)様、山県善右衛門(やまがたぜんえもん。昌景猶子。三枝守友)様、名和無理之助(なわむりのすけ。重行)様、お討ち死にー!」
「他の三砦も壊滅ー!」
「食糧庫全焼〜! 夕飯以降ありませーん!」
「酒井忠次のヤローが攻囲軍を蹴散らして長篠城へ入城ー!」
続けざまの悲報に、武田勝頼は軍配を握りしめて悔しがった。
「これで我々の採る道は定まったな」
「そのようですな」
馬場信房以下諸将も観念した。
「がっかりするな。これでこそ武田の本懐だ。野戦こそ我が軍の真骨頂だ」
勝頼は全軍を鼓舞した。
「ついに先代以来の積年の仇敵(きゅうてき)、仏敵魔王織田信長を討ち取るときがやって来た! みなの者、存分に暴れ、目にもの見せてやるがよい! 御旗(みはた。源義家の旗)・楯無(たてなし。源義光の鎧)、御照覧あれ! 我が軍は必ず勝つっ!!」
「おおー!」
● 長篠の戦武田軍陣容 | ||
隊名 | 主な武将 | 兵力 |
右翼隊 | 馬場信房(信春)・真田信綱・真田昌輝 ・土屋昌次・穴山信君(梅雪)・一条信竜ら |
約3,000騎 |
中央隊 | 内藤昌豊・原昌胤・武田信廉 ・安中景繁・和田業繁ら |
約3,000騎 |
左翼隊 | 山県昌景・武田信豊・小山田信茂 ・跡部勝資・甘利信康・小幡信貞ら |
約3,000騎 |
本隊等 | 武田勝頼・武田信友・武田信光 ・望月信雅ら |
約3,000騎 |
長篠城方面隊 ⇒城方監視 |
小山田昌行・高坂昌澄ら | 約2,000騎 |
鳶ヶ巣山方面隊 ⇒壊滅 |
武田信実・三枝守友ら | 約1,000騎 |
※ 黄色が設楽原決戦の兵力。 |
勝頼は前進して才ノ神へ布陣、全軍に攻撃命令を発した。設楽原の武田軍の総勢は一万二千。
陣容は右のとおり。
朝日が昇ると、信長も本陣を前に出した。
「晴れたな」
前日までの雨はあがっていた。鉄砲が使えるということである。
信長は徳川家康の本陣・高松山に赴き、敵状を視察、佐々成政・前田利家ら鉄砲奉行に作戦を伝え、馬防柵内に軍勢を配置、迎撃体制を整えた。
また、左翼端の佐久間信盛隊を柵外の丸山に布陣させ、わざと敵を誘うようにした。
家康もこれに習い、右翼端の大久保忠世(おおくぼただよ)隊を柵外に出させた。
徳川十六将 |
酒井忠次・榊原康政 ・本多忠勝・井伊直政 ・大久保忠世・大久保忠佐 ・内藤正成・鳥居元忠 ・鳥居直忠・平岩親吉 ・高木清秀・蜂屋貞次 ・服部正成(半蔵)・米津常春 渡辺守綱・松平康忠 |
※ 太字は徳川四天王も兼ねる |
「かかれー!」
どん! どん! どん! どん! どん!
まず、武田軍の左翼の赤備え軍団・山県昌景隊が攻め太鼓を打ち鳴らしながら猛然と驀進(ばくしん)してきた。まるで紅蓮(ぐれん)の炎がうなりを上げて瞬時に燃え迫ってくるような恐ろしさである。
初め山県隊は馬防柵を避け、徳川軍の背後に回りこんで攻撃しようと試みたが、急流と川岸の絶壁に阻まれてかなわず、やむなく大久保隊に突撃した。
対する大久保隊の主将は、そろって徳川十六将に名を連ねている大久保忠世・忠佐(ただすけ)兄弟。
「兄貴。来ましたぜい」
「へっ、腕が鳴るぜ!三方原の仕返しだ!」
ダダーン!
ダンダンダーン!
大久保隊は一斉に鉄砲を撃ちかけて敵をひるませた後、槍(やり)隊を繰り出し、やりたい放題に応戦した。
そうかと思えば山県隊が押し返してくると退き、攻撃が緩んでくると、すぐに押し出してくる。
本陣からこの様子を見ていた信長が家康に聞いた。
「金の揚羽蝶(あげはちょう)と浅黄に黒餅(くろもち)の指物(さしもの。背旗)の武者は誰か?」
「大久保兄弟でございまする。蝶は忠世、餅は忠佐の指物でございまする」
「良い家来じゃ。敵に引っ付いて離れぬ膏薬(こうやく)侍じゃ」
昌景は崩れそうで崩れそうにない大久保勢に感心した。
「さすがに三河勢は強い。織田勢を攻めよう」
隊を退き、矛先を転じたのである。
このため、武田信豊(のぶとよ。勝頼の従兄弟)・小山田信茂・跡部勝資・甘利信康(あまりのぶやす)隊も撤退した。
一方、連合軍の馬防柵の正面を突いた内藤昌豊・原昌胤・武田信廉(のぶかど。「ニセ味」参照)ら中央隊には地獄が待っていた。
昌豊は叫んだ。
「柵を蹴散らせー! 鉄砲を恐れるなー! 柵さえ突破すれば、そこには武芸の武の字も知らない弱すぎる兵たちがいるぞー!」
「わー! 一番乗りはオレだー!」
「いいや、わしだー!」
「早く乗り込んでメッタ斬(ぎ)りだぜぇー!」
ワー!
ドドドド!
恐怖の武田軍が歓声を上げ、地響きを上げ立て、津波のように押し寄せてくる中、馬防柵の内で鉄砲を構えていた織田軍の兵たちはひっそりと静まり返っていた。
「待て」
「まだ撃つなよ」
佐々成政・前田利家ら鉄砲奉行が制止していたのである。
ワー!ワー!
ドドドドドド!
ぺたぺたぺた!
ぬっちゃ! ぬっちゃ!
「なんだ? 鉄砲が一つも鳴らねーずらー?」
「前日までの雨で火薬が湿って使えないのかー?」
「それにしても、ぬかるみだらけで走りにくい〜。ドロドロだらー」
ワー! ワー! ワー!
ドドドドドドドドド!
ぺたぺたぺたぺたぺた!
ぬっちゃ! ぬっちゃ! ぬっちゃ!
敵が迫ってくるにつれ、歓声も地響きも大きくなり、土煙まで立ち込めてきた。
織田軍の鉄砲隊は動揺した。ざわめいた。
「敵が迫っているんですけど……」
「早く撃ちたいんですけど……」
「えらい怖いんですけど……」
それでも成政も利家も許可しなかった。
「まだ撃つなー」
「もっと引きつけてからだー」
「でも〜」
ワー! ワー! ワー! ワー! ワー!
ドドドドドドドドドドドドドドド!
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた!
ぬっちゃ! ぬっちゃ! ぬっちゃ! ぬっちゃ! ぬっちゃ!
パッパカ! パッパカ! パッパカ!
ヒヒーン!
「怖気づいたかー!」
「えーい、乗り越えちゃえーっ!」
「それーい!」
まさに第一陣が柵を乗り越えようとしたとき、ついに発砲の許可が下りた。
「今だ、撃てー!」
「放てぇー!」
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
「ぎゃー!」
「うわー!」
「ブヒーン!」
寄せ手は大混乱に陥った。
撃たれた人馬は倒れ弾かれ血まみれ泥まみれ、撃たれていない人馬も爆音に仰天し、棒立ち総立ち右往左往の大騒ぎになった。人も馬も当然鉄砲には慣れているはずであるが、これだけの一斉射撃による爆音は経験していなかったのである。
「それー! 今のうちに攻めてやれー!」
そこへ柴田勝家・丹羽長秀(にわながひで。近江佐和山城主)・羽柴秀吉隊が柵から出てきて攻撃を加えた。
「いったん退けーっ!」
昌豊ら中央隊はたまらず撤退したが、昌景ら左翼隊が柴田勢らを押し返した。
一方、馬場信房・真田信綱(さなだのぶつな。幸隆の子)・昌輝(まさてる)兄弟ら右翼隊は、柵外にいた佐久間信盛隊を攻撃、これを敗退させて丸山を占領したが、信房はそれ以上は進もうとしなかった。
この様子を本陣から見ていた信長が苦笑した。
「さすが馬場は引っかからぬわ」
そのかわり、信綱・昌輝兄弟や土屋昌次(つちやまさつぐ)、穴山信君(あなやまのぶきみ。梅雪。信玄の従兄弟)、一条信竜(いちじょうのぶたつ。勝頼の叔父)隊は引っかかった。
「何で進まないのー?」
「よし、おれたちは行くぞー!」
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
「ひゃー!」
「ちょっくり待ちっ! すごすぎ〜!」
「退くなーっ! 鉄砲を撃つには間がある、一発目がすんでから間髪いれずに突撃せよー!」
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
「それ! 今のうちに行けーっ! 柵さえ越えればこっちのものだー!」
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
「うわっ! もう撃ってきやがった!」
「なんで休みなく撃てるのー?」
バババババババババハバババババハバババババーン!
ドドドドトドドドドドドドトドドドドドドドドーン!
「早すぎ〜! らちゃああかん〜!」
「やられた〜! あの世への瞬間移動〜!」
世にいう三千丁の鉄砲による「三段撃ち」である。
が、よくいわれているように、千人ずつ三交代で撃ったのではないらしい。
撃つ者は撃つだけ、弾を込める者は弾を込めるだけなど、それぞれ役割を分担し、人ではなく鉄砲のほうをグルグル入れ替えひっきりなしに撃ったと思われる。
どっちにせよ、武田軍はわけがわからなかった。
昌次は三重の柵のうち二重まで突破したものの、名もなき雑兵の凶弾に憤死し、信綱・昌輝・信君・信竜らは敗退した。
「真田兄弟、内藤・原殿退却ー!」
「逍遥軒(信廉)様、典厩(信豊)様も撤退ー!」
「土屋右衛門尉(昌次)様、二段目の柵を突破するも、お討ち死にー!」
勝頼本陣には悲報が相次いだ。
勝頼は総攻撃を命じた。
「本隊・予備隊も押し出せーっ! 敵の三重の柵のうち二重までは崩壊した! 柵さえ突破できれば織田など武田の敵ではないーっ!
押して押して押しまくれーっ!」
「最後の柵はおれが破ってみせる!」
昌景はすっかり少なくなった真紅の軍団を率いて突撃した。
「でやー!」
「ぐわー!」
バババババババババババババーン!
ドドドドトドドドドドドドドーン!
バババババババババババババーン!
ドドドドトドドドドドドドドーン!
敵も討ち取られた分だけ飛んでくる弾数も減ったようである。
「うはは! おれにはタマは当たらんぞー!」
昌景は小柄だったため、当たりにくいはずであった。彼はすでに倒されていた一重・二重目の柵の上を疾風(しっぷう)のように踏み進んだ。
「柵を突破したあとは雑魚にかまうなー! 一気に信長本陣を突けぇー!」
そして、三重目の柵を乗り越えようとしたときであった。
ばきゅーん!
昌景の快進撃は、一発の銃声によって止められてしまったのである。
「おのれ!」
昌景は横から鉄砲を撃ってきた雑兵をにらみつけた。
雑兵はおびえながらも聞いてみた。
「痛い?」
昌景は強がった。
「痛くはない」
「でも、ホントは痛いんだろ〜? 血ぃ出てるよ〜」
「……」
昌景は軍配を口にくわえてこらえたが、雑兵はしつこかった。
「痛いんだろ〜ぅ?」
「……。ちょっと痛い」
どさっ。
昌景は落馬落命した。享年四十七。
「ああ、大将ぉ〜! わあ! 死んでる〜ん!」
その遺体は部下の志村光家(しむらみついえ)が馬に乗せて持ち逃げ去ったという。
「山県三郎兵衛(昌景)様、お討ち死にー!」
「織田・徳川連合軍、柵から出て総攻撃に出ましたー!」
「長篠城の酒井勢と奥平勢、城外へ討って出ましたー!」
「このまでは挟まれます! 即時退却をー!」
信君が撤退を迫ったが、勝頼は聞かなかった。
「敵が外に出てきたのは好機だ。これよりおれは信長本陣へ突撃する!」
「無茶ですって!」
「無茶ではない! この戦での退却は、武田家滅亡への序曲となるであろう! 勝利を得るためには、我々は前に進むよりほかはないのだっ!」
信房・昌豊らも止めた。
「死んではなりませぬ! 生きてさえいれば、まだまだ望みは出てきます!」
「我らが食い止めている間に、なにとぞ退却をっ!」
勝頼は涙を飲んで退却した。
昌豊は嘆いた。
「それにしても口惜しい。歴戦の勇者たちが臆病(おくびょう)者の飛び道具に次々に討ち取られていくことが……。おれたちは今までいったい何のために武芸に励んできたのか……。鉄砲など、卑怯(ひきょう)極まりないではないか!」
信房はあきらめていた。
「これが時代の流れというものじゃ」
「そのような悪しき流れはおれが食い止めてくれるわー!」
昌豊は敵陣へ突撃した。
ダーン!
そして、撃たれた。
ダダダーン!
ダン! ダン! ダーン!
ハチの巣になっちまった自分の腹部を見て、しみじみと言った。
「ううーん、風通し良すぎる〜」
どちゃっ!
昌豊は落馬落命した。享年五十四。
「コノヤロー!」
「こんなやつらに図に乗らせてたまるかーっ!」
ダダダーン!
信綱・昌輝兄弟も玉砕した。享年は三十九と三十三。
この二人の弟が真田昌幸(まさゆき)であり、甥(おい)が幸村(ゆきむら。信繁)らである(「籠城味」参照)。
信房は残兵わずか八十騎で殿軍(しんがり)を勤めた。
で、勝頼が寒狭川を渡ったのを見届けると、安心して力尽き、敵に取り囲まれた。
「馬場殿ですな?」
「いかにも。もう疲れた。早く首を取られい」
「拙者、塙九郎左衛門重友の従者・川井三十郎(かわいさんじゅうろう)と申す者。御免!」
バッサリ!
信房の享年は六十一か六十二。この戦いまで七十回を超える戦に出たが、手傷を負ったことは一度もなかったという。
さて、退却した勝頼は家来とバラバラになった。
わずかに初鹿野昌久(はじかのまさひさ。甲斐初鹿野領主)・土屋昌恒(つちやまさつね)二騎だけが付き従っていたという。
途中で勝頼の馬がくたばり、速く走れなくなってしまった。
「どうなさいました?」
追いついてきた可西満秀(かさいみつひで。甲斐中条領主。笠井肥後守)が聞いた。
「馬がくたばって動かない」
「それはいけません。拙者の馬にお乗りくださいませ。さあ、拙者がその馬に乗ります」
「いやだ」
「なぜです?」
「お前が考えていることはわかっている。おれの馬に乗り、おれの身代わりになって死ぬつもりであろう。そのようなことはできない」
満秀は泣いた。強引に勝頼を馬から引きずり下ろしてしまった。
「何をする!」
「そのようなお優しい主君であればこそ、なおさら死なせるわけにはいきませぬ!
さらばです!」
満秀は勝頼の馬に飛び乗ると、雄たけびを上げながら雲霞(うんか)の追っ手の中へと突っ込んでいった。
「我こそは武田四郎勝頼なりー! 討ち取って手柄にしてみやがれー!」
「ホントか!?」
ダーン!
どさっ!
「やったぞ! 勝頼を一発で討ち取ったぞー! おらは大出世だー!」
「ウソでーす。ニセモノでーす。残念でした〜」
「うわっ! ひでぇ! 偽装ぉー!」
その後、勝頼は信濃の留守を守っていた高坂昌信(こうさかまさのぶ。虎綱)に出迎えられ、甲斐へ帰還している。
戦闘は午後三時頃に終わった。
武田軍の戦死者は前記の武将たちのほか、高坂昌澄(こうさかまさずみ)・横田康景(よこたやすかげ)・小幡憲重(おばたのりしげ)・安中景繁(あんなかかげしげ)・和田業繁(わだなりしげ)・望月信雅(もちづきのぶまさ)・米倉重継(よねくらしげつぐ)・土屋直規(つちやなおのり)ら一万人余り、織田・徳川連合軍の戦死者は、追撃戦で小山田昌行(おやまだまさゆき)に返り討ちにされた松平伊忠ら約六千人だと伝えられている。
この戦い以後、武田勝頼は凋落(ちょうらく)し、織田信長の全国統一が加速していくのであった。
[2007年12月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 両軍の数や死者数、軍勢の配置などには異説が多くあります。
※ 跡部勝資とともに長坂光堅(ながさかみつかた)も武田勝頼に決戦を進言した説もありますが、彼はこの戦には参戦していないようです。
※ 近年「武田騎馬隊非存在説」も主流になってきましたが、武田軍が織田・徳川連合軍と比べて騎馬の割合が多かったことは確かでしょう。