145.大島味 基礎用語集

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院宣(いんぜん)
 上皇の命令。上皇の意を受けて院司が発給したもので、天皇の宣旨(せんじ)に相当。928宇多天皇のものが初見。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

国府(こくふ)≧国衙(こくが)≒国庁(こくちょう)
 古代諸国の官庁街または役所所在地のこと。現在でいう都道府県庁に相当。国司官庁を国衙(または国庁)といい、国司館・倉庫群などをひっくるめて国府といったという(区別の仕方には諸説あり)。国府の近くには国分寺・国分尼寺・総社・国府津などが置かれた。

後白河法皇(ごしらかわほうおう)←後白河上皇(じょうこう)←後白河天皇(てんのう)←雅仁親王(まさひとしんのう)
 (1127-1192) 伝七十七代天皇(在位1155-1158。院政1158-1179,1181-1192)。鳥羽(とば)天皇の皇子。母は待賢門院(たいけんもんいん)。1155弟・近衛(このえ)天皇没後に父に推されて即位するが、兄・崇徳(すとく)上皇と対立、1156父の死後の保元(ほうげん)の乱で兄を破って配流し、1158皇子・二条(にじょう)天皇に譲位して院政を開始、1159平治(へいじ)の乱を経て平清盛(たいらのきよもり)と対立、1179幽閉されて院政を止めさせられるが、1181清盛没後に院政を再開、源義仲(みなもとのよしなか)、次いで源頼朝(よりとも)と結んで平氏を倒させ、歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集、「年中行事絵巻」を作らせた。

高倉上皇(たかくらじょうこう)←高倉天皇(たかくらてんのう)←憲仁親王(のりひとしんのう)
 (1161-1181) 伝八十代天皇(在位1168-1180。院政1180)。後白河(ごしらかわ)天皇の皇子。母は平滋子(たいらのしげこ)。1166皇太子になり、1168六条天皇から皇位を継承、1178中宮・平徳子との子・言仁親王(安徳天皇)を皇太子に立て、1179義父・平清盛が父・後白河法皇を幽閉したことにより、1180譲位して院政を行った。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

年貢(ねんぐ)
 平安〜江戸時代に領主が農民に課した税。江戸時代には原則として田は米、畑は作物で支払った。地租改正で廃止。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

藤原頼長(ふじわらのよりなが)
 (1120-1156) 公卿。左大臣。藤原忠実(ただざね)の次男。母は藤原盛実の娘。兄・忠通(ただみち)の養子になるが不和で父の後援で累進、1149左大臣になり、1150兄から氏長者を奪取、1151内覧の宣旨を受けるが、政務に厳しすぎて「悪左府(あくざふ)」とみなに恐れられたため鳥羽法皇に冷遇され、1156保元の乱で崇徳上皇とともに挙兵するが敗死した。

保元の乱(ほうげんのらん・ほげんのらん)
 1156上皇派(崇徳上皇・藤原頼長・源為義・平忠正ら)と天皇派(後白河天皇・藤原忠通・源義朝・平清盛ら)が京都で戦った内乱。戦いは天皇派の夜襲が成功し、一日で決着。頼長は敗死し、為義・忠正らは処刑され、崇徳上皇は讃岐へ流された。

源為朝(みなもとのためとも)
 (1139-1170?) 武将。為義(ためよし)の子。義朝(よしもと)の弟。頼朝・義経らの叔父。追放先の九州で武勇をはせて1154上洛、1156保元の乱で活躍するが敗れて伊豆大島に流され、伊豆諸島を自力で平定したため1170?伊豆介・工藤茂光に討伐されるが、琉球に逃れて舜天の父になったという伝説もある。
大島味

源頼朝(みなもとのよりとも)
 (1147-1199) 武将。鎌倉幕府初代将軍(在職1192-1199)。父は源義朝(よしとも)。1159平治(へいじ)の乱で父とともに平清盛(たいらのきよもり)らと戦って敗れ、1160捕われて伊豆へ流刑、1180以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受けて伊豆で挙兵、石橋山(いしばしやま)の戦で大庭景親(おおばかげちか)に敗れるが立て直し、富士川(ふじかわ)の戦で平維盛(これもり)を撃退、鎌倉(かまくら)を本拠に軍事政権を築き(後の鎌倉幕府)、侍所(さむらいどころ)・1184公文所(くもんじょ。後の政所)・問注所(もんちゅうじょ)を設置、1185平氏を滅ぼし、諸国の守護(しゅご)・地頭(じとう)任命権と兵粮米(ひょうろうまい)の徴収を許され、1189奥州(おうしゅう)藤原氏を倒し、1190右近衛大将(うこのえたいしょう)・1192征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任した。

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