3.お 茶 | ||||||||||||||
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先述したように、北村幽庵は茶人でもあった。
当然、毎日茶を飲んでいたが、水はわざわざ琵琶湖から汲ませていた。それも毎回別の場所から汲んでくるよう使用人に命じていたのである。
「今日は竹生島(ちくぶしま。滋賀県長浜市)の北側の水を汲んできておくれ」
「今日は愛知川(えちがわ)の河口付近の水を」
「今日は勝野(滋賀県高島市)沖の水を」
しかも注文は日増しに細かくなった。
「竹生島から酉(とり。西)へ十間(約十八メートル)ほど行った地点の水を」
「海津(かいづ。高島市)から午(うま。南)へ二十間ほど水を」
「長浜(ながはま。滋賀県長浜市)から未申(ひつじさる。南西)へ三十間、水深一尺(約三十センチ)のところの水を」
その日も幽庵は使用人に細かく注文を出した。
「竹生島と比叡山頂上を結ぶ線上に小島がある。その小島から戌亥(いぬい。北西)へ十二間、水深四尺のところの水を汲んできておくれ」
「はい、だんな様」
使用人はいつものように出かけたが、その日は恋人と逢う約束をしていたため、彼女と落ち合った後、一緒に水を汲みに行くことにした。
ところが、その恋人は悪い恋人だった。
悪い恋人はぶうたれた。
「面倒くさい注文を出す御主人様よねー。そんな遠いところまで水を汲みに行ったら、遊ぶ時間がなくなるじゃーん」
で、使用人に偽装を勧めたのである。
「近くで汲んでごまかしちゃえばー」
「そんなことはできないよ。だんな様は通だから、ズルは一発で見破ってしまうんだ」
「ププ! 琵琶湖って全部つながってるのよ。どこの水を汲んだって一緒だよー」
「……」
「ねー、私と遊ぶのと水汲みとどっちが楽しい?」
「そういう問題じゃないよ」
「あなたって毎日毎日水ばっか汲んでて楽しいわけ?」
「……」
「いーじゃんいーじゃん。一回ぐらいごまかしたって〜。わからないって〜。そんなくだらないことより、一回しかない人生はもっとパァーッと楽しみましょ〜よ〜。ね〜ね〜」
悪い恋人は腕を取って胸を押しつけて駄々をこねた。
使用人はその気になった。
「そうだね。一度ぐらいはいいよね〜」
使用人は悪い恋人と遊ぶことにした。
半日楽しく遊んだ後、近所の水を汲んで幽庵に差し出した。
「取ってきました。へへっ」
ところが幽庵は見破った。
「むむっ。これは岸辺の水ではないか!」
「いえ、ちゃんと取ってきましたけど……」
「ウソをつけ! ペロペロ。人間くさい! 堅田の人間くさい! これは堅田の岸辺の水に間違いない!
クンクン。それにお前は女くさい! 十七、八のえげつない女子のにおいがする!
いったい今まで何をしておったんじゃ! もう一度汲み直してこいやー!」
「ひえー! 何でわかったのぉ〜!」